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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第一部 喪失のお話
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第一六話 感染するお話

「うわあ、なんだこれは……たまげたなあ」

 

 地上の様子を見て、僕はそう言わざるを得なかった。そこら中をうろつく感染者、数も密度も今まで僕が見てきた中では段違いに多すぎる。少しでも外に出たら、一発で見つかってしまうであろうことは想像に難しくない。

 これだけの感染者はどこからやって来たのだろうか? 少なくとも僕たちがこの街に来る途中で感染者の集団に追いかけられたり、追い抜かれたりしていないのだから、連中は元々ここにいたことになるけど……。


「あいつら、どっから来たんです?」

「あそこの橋の状況から考えると、元々ここにいたんだろうね。生存者を追ってこの街に集まった感染者がこれ以上東に進まないよう、自衛隊が橋を爆破した。で、残ったのは大量の感染者だけってところかな」

「じゃあ僕たちは、進んで感染者の群れの中に突撃してきたってことですか……」


 詰まった排水溝と同じだ。パイプの役割を果たす橋が爆破されて塞がってしまったから、感染者がこの街に溜まってしまった。通れる橋はなく、対岸へは泳いでいくしかない。だが感染者がここに集まったままということは、連中は泳げないのだろうか?


「なんで連中は対岸へ行かないんです? あれだけの運動能力があるんなら、泳いで川を渡ってでも生存者を追えばいいのに」

「それは私にもわからない。でもこの感染症、もしかしたら狂犬病に近いのかも」

「狂犬病?」

 

 狂犬病とは、犬が罹る病気のことか? おうむ返しに尋ねると、ナオミさんは頷いた。


「君たちがここに来るずっと前からこの街にいたんだけどね、連中の症状は狂犬病のそれに近いんだよ。目に入るものに攻撃する、そうしない時はただ動き回る、涎を垂らしっぱなしにする……。他にも凶暴になるってのが当てはまるね」

 

 ナオミさんはそれから、この新型感染症と狂犬病がいかに似ているかを語った。感染経路は唾液に含まれたウイルスが咬むことによって体内に侵入し、脳に到達して凶暴化する。興奮状態になって攻撃的になる、エトセトラエトセトラ。


「ま、狂犬病でないことは確かだね、近いってだけで。だって狂犬病なら発症して一週間くらいで感染者は死ぬし」

「よくそんなに病気について知ってますね、僕なんて風邪とインフルエンザくらいしか知識がないのに」

「アメリカにいた時、近所に住んでたイラク帰還兵から教えてもらったんだよ。その人もイラクに行くにあたって、事前に狂犬病ワクチンを打って症状とかを教わったらしいし」


 さすがアメリカ、さらっと帰還兵という単語が出て来るなんて。それと同時にこういった知識が豊富だから、ナオミさんは今まで一人で生き残っていられたのだろう。

 まあこの感染症がどういうものだか僕はわからないし、これから先も当分わからないだろう。医者や科学者といった人々が今もどれだけ生き残っているのかわからないし、そもそも残っていたとしたって彼らの研究の成果を知る機会はない。テレビもラジオも沈黙したままだ。


 ただ、はっきりわかっているのは一度咬まれたらアウトであり、そしてこの感染症のワクチンは存在しないことだ。死にたくなければ、あるいは涎を垂らしながらあーうー喚いてかつての同胞を追いかける羽目に陥りたくなければ、感染者に見つかってはならない。

 感染者は僕たちよりも圧倒的に数も多く、力も強い。逃げ切るには運と体力が必要だが、今の僕には体力が無い。走って数秒で息切れし、よたよた歩いているところをガブリとやられる。運は大事だけど、運だけでやっていられるほどこの世界は優しくない。




「とりあえず、一度皆集まってくれない? 今の状況を把握したいんだ」

 

 そう呼びかけると、屋上の縁から地上を覗き込んでいた愛菜ちゃんと、顔を真っ青にしてしゃがみこんでいた結衣がやって来る。情報を共有し、状況を把握し、適切な判断を下す。生き延びるためにはそれが重要だ。昨日の僕たちはこの街に大量の感染者がいるという情報を知らず、唯一残っている橋が通行不能という状況も把握できず、そして疲れていたせいで適切な判断を下すことが出来なかった。そのせいで危うく全員死にかけたのだ。


 助かったのはたまたまナオミさんがこの街にいて、たまたま逃げる僕たちの姿を見ていたから。おまけに彼女が強かったからこそ僕たちは生き延びることが出来たけど、次も同じような状況に陥った時、誰かが助けてくれるとは限らない。だから再び同じ状況に陥らないようにしなければならないのだ。


「あのさ、話し合いなら下でやらない? 屋上でやる意味ないよね」

「意味ならあるよ、周囲が見渡せるから建物とか地形を把握しやすい」

 

 そう答えると、ますます結衣の顔が青くなった気がした。いつもは偉そうな結衣が萎えてしまっているその姿は中々いいものだと思う。実は僕って加虐嗜好者(サディスト)だったのだろうか。

 だが今は結衣の怯える姿をじっくり眺めている場合ではない。とりあえず市内の地図にナオミさんが知っている情報と、屋上から見て得られる情報を書き込んだ。この市と隣の市を隔てる川にかかる橋は、そのほとんどが自衛隊によって爆破されるか事故で塞がれている。上流にかかる川も同じようだが、ナオミさんは人口密集地の北側へまでは行ったことがないらしく、その先の様子は把握していないのだという。かなり上流の方に橋が一つだけかかっているそうだが、そこがまだ残っているかどうかは行ってみないとわからない。


「ナオミさん、食料と水ってどのくらいありますか?」

「そうだね……4人分となると、あと二週間分くらいかな。でも問題は水だよ」

「水?」


 そこで僕はようやく、屋上のあちこちにバケツが置いてあることに気づく。雨水を溜めるために置かれているのだろうか、中にはベビーベッドにビニールシートを張って桶に仕立てあげたものまである。だがそれらの全てが空だ。


「ここのところずっと雨が降ってない。商店から手に入れられる水は全部飲用に回してるから、生活用水がほとんどないんだよ」

「……そういえば、最後に雨が降ったのってあたしがアンタと会う前の日よね」


 顔を青くしながらも結衣がそう言ったので、僕は数週間前の夜を思い出した。誰もいないマンションの一室で、音楽を聞きながら一人眠りについたあの日。確かにあの夜からずっと雨が降っていない。


「川で汲んでこようにも、外には感染者がうようよいるからね。それに水を汲めば汲むほど身体が重くなって動くが鈍くなる。かといって身体を洗わないのは衛生的によくないけど、今じゃ飲用以外に使える水はほとんどない」


 不衛生にしておけばしておくほど、病気になるリスクも高まる。病院に行ったところで医者はいないし、薬局は略奪にあっているだろうから薬が入手できるかどうかもわからない。半年前じゃ数日寝ていれば治った風邪ですら、今の僕たちには死をもたらしかねないのだ。


「あの、食料ってもう街には残ってないんですか? どこかのスーパーとかコンビニには?」

「残念だけどわたしが行ける範囲内に残ってた食糧は、全部このマンションに持ち込んであるの。だからこの近くの商店を探したところで、もう何も残ってないんだよ」

「じゃあもっと遠くに探しに行けば……」

「できればそうしたいんだけどね、行動範囲が広がれば広がるほど、感染者に見つかるリスクは高くなる。それにあまりに遠すぎると、荷物を運ぶだけで体力を使っちゃうから、もし見つかった時に逃げ切れなくなるかもしれない」


 愛菜ちゃんの疑問に優しく答えるナオミさんを見て、この街に来た直後に見たコンビニを思い出した。あそこにはまだ棚の半分くらい食料と水が残っていたが、ここからでは遠すぎる。持ってくるだけで一苦労だし、その途中に待ち受けている危険も多い。


「となると、三週間以内にここを出なきゃならないってことですよね……」


 一気に気分が沈んだ。いくら堅固な要塞でも、食料が無ければ中の人間は飢え死にするしかない。それに人間は一日に最低2リットルの水を必要とするし、身体を洗ったりトイレで流したりする水はもっと要る。なのに雨は降らず、近くにあるというのに感染者のせいで川にも行けない。改めて上下水道が便利だったのだと実感した。

 たとえ雨が降ったとしても、マンションに備蓄されている食料が尽きたら外へ出なければならない。いつまでもここに立てこもっているわけにはいかないのだ。


「……なんかすいません、僕たちのせいで」


 気づいた時にはそう謝っていた。僕たちがここに来なければ、ナオミさんは4倍物資を自由に使うことが出来たのだ。単純計算で、食料だけで12週間分。それを僕たちを助けたせいで4等分する羽目になった。


「そのことはもういいよ、わたしだって仲間が欲しかったんだし。だから君たちが遠慮したり申し訳ない気持ちになる必要はない、だってわたしの意志で助けたんだし」

「ナオミさん……」


 彼女が見せる笑顔に、僕は思わず惹かれそうになった。いや、もしかしたら惹かれているのかもしれない。こんな地獄でも笑顔を絶やさずにいるナオミさんは、暗闇に差し込んだ一筋の光のようだった。


「それよりもこれからどうするかを考えよう。まだ三週間ある、きっと何とかなるよ」


 そうだ、どうしようって嘆くだけじゃなくて、何とかしないとって頑張らなきゃならないんだ。僕はまだ死ぬわけにはいかない、結衣と愛菜ちゃんの二人を安全な場所まで送り届けるまでは。


 ……もっとも、その前に僕の腕の怪我も何とかしなきゃならないけど。



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