第一六一話 歩道が広いではないかなお話
あちこち燃え盛る同胞団の拠点を後にした車列は、そのまま亜樹たちの待つコンビニへと向かっていた。
どれだけの団員たちが脱出できたのだろうか、と少年は思った。同胞団は団長の統率力あって組織が維持できていたようなものだ。その団長たちが拠点から脱出した後、組織があっという間に瓦解してしまったのは想像に難くない。
同胞団の拠点には武器弾薬が備蓄されていたというが、佐藤の同志たちの話では武器庫周辺にも感染者が集まっていたのだという。団員たちは武器庫に向かって戦闘を継続しようとしたが、武器を入手する前に感染者たちに追いつかれて殺されてしまったというところだろう。
恐らく同胞団は、これまで本格的に拠点を襲われたことが無かったのだろう。銃を持っていれば、遠距離から安全に感染者を排除できる。しかしそれも、数が少ない場合だけだ。一度に何十体もの感染者が殺到してきた場合、いくら銃を持っていても落ち着いて対処できなければあっという間に近づかれて食い殺されてしまう。
これまで団員たちは集団で銃を使い、感染者を排除してきたことで、感染者など恐れるに足らずとでも考えていたのだろう。だが少年と佐藤が拠点内で暴れまわり、各個に分断され、どこから襲われるかわからないという恐怖心を抱いたままでは、まともに感染者に対応できなかったに違いない。
佐藤が装甲車を奪った時も、既に団員たちは持ち場を放棄して逃げ出し始めていたのだという。一人が逃げると二人が逃げ、やがて全員が感染者たちに背を向けて逃げ出した。装甲車を奪った佐藤と戦おうとする者すらいなかったという。
所詮は銃という絶対的な暴力を手に入れたことで、イキがっていた連中の集まりに過ぎなかったということだ。本人ではなく銃が強いのであって、本人の心まで強くなったわけではない。彼らが「勝てない」と思った瞬間に、戦いの行方は決まっていた。
「逃げた連中は少ないだろう。残っていても、団長を失った状態でまた纏まることが出来るかどうかは怪しいもんだ。それに連中が頼りにしていた武器弾薬や物資は、今や感染者たちのど真ん中に取り残してきちまった。あいつらに危険を冒してまでそれらを取り戻しに行く度胸はない」
佐藤がハンドルを握りながら、ディーゼルエンジンの振動と銃声に負けない声で言った。少年としても、同胞団が集めた武器弾薬や食料品、燃料といった一切合切を置いてくるのはなんだか惜しい気がしたが、今は拠点から脱出し亜樹たちと合流することが先決だった。それに感染者は武器や物資に興味はないから、目の前にそれらがあっても手を付けることは一切ない。手段はともかく、後で戻ってきて持ち出すことは出来るだろう。
「佐藤さんはこれからどうするんです?」
路地から飛び出してきた感染者にミニミ機関銃の一連射を浴びせながら、少年が叫ぶ。拠点の内部と比べると数は少ないものの、外にも普通に感染者はいる。それらを跳ね飛ばし、銃撃を浴びせながら、装甲車を先頭に車列は進んでいく。幸い、自らの意思で脱走した団員たちを除けば、落後した車両はまだない。
運転席では佐藤がトランシーバーに向かって何事か話している。おそらく埋め立て地にいる佐藤の仲間に、「これからそちらに行く」とでも伝えているのだろう。
「それは無事にこの場を脱出出来てから考えることだ。もうすぐコンビニだ、あの子たちを乗せたらすぐに出発するぞ!」
また一体、感染者を跳ね飛ばした佐藤が言う。同胞団の拠点からずっと車列を追ってくる感染者の群れがいるので、長い間停車していることは出来ない。
やがて前方に、亜樹たちの隠れているコンビニが見えてきた。コンビニ周辺には感染者の姿はない。だがすぐに、車列を追ってきた感染者たちが殺到してくるだろう。
少年は佐藤に言って、それまで消しっぱなしだった装甲車のヘッドライトを、短い間隔で3回点滅させた。亜樹たちと別れる際に決めた、車に乗ったままでも味方だと判別させるための合図だった。亜樹たちは同胞団の残党や感染者に遭遇しないようコンビニの中で隠れているが、もしもコンビニにやってきた車がヘッドライトを3回点滅させたら、それは味方なので外に出てくるように取り決めてある。
すぐに、亜樹たちがコンビニの中から姿を現して、少年は内心胸を撫で下ろした。人数も減っておらず、怪我をしている様子もない。恐る恐るといった感じで出てきた彼女たちに、少年は叫んだ。
「早く乗れ! 感染者が来るぞ!」
少年は後方を振り返った。暗闇の中、遠くで蠢く人影が見える。車列に向かって走ってくるその人影の顔は見えなかったが、感染者であることは簡単に想像ができる。
少年はこの隙にと、装甲車の後部座席や荷室に何か使えるものが無いか探った。ミニミ機関銃の弾帯は既にほぼ無くなっていて、代わりの武器が必要だった。既に本来単発で使用する自動小銃を連射して、弾幕を張っている状態だった。
コンビニから出てきた少女たちが、次々と佐藤の同志がハンドルを握るSUVに乗り込む。さすがに一緒についてきている団員たちの車に乗せるわけにはいかなかった。皆が車に乗るのを見届けた後、亜樹が少年らの装甲車の後部ドアを開けて車内に潜り込む。
「全員乗りました」
「よし、掴まってろ!」
佐藤が装甲車を勢いよく発進させたが、既に感染者たちは車列の最後尾から十数メートルのところまで迫っていた。少年は装甲車の荷室にあった防水シートの下から、車載重機関銃の12.7ミリ弾が収まった弾薬箱を一つ見つけ、屋根に戻った。
「かなり近づいてきてますよ!」
「だからお前が応戦するんだよ!」
少年は急いで車載重機関銃の弾薬を装填し直した。この手の重機関銃はこの装甲車に乗り込むまで扱ったことはなかったが、佐藤から知識として操作方法を教えられてはいた。それに装填方法であれば、先ほどまで扱っていたミニミ機関銃と大きな違いはない。
装填が終わった重機関銃を構え、少年は進行方向を向いた。感染者たちが銃を撃ってこないことだけが幸いだった。これが人間相手であれば、銃弾が飛び交う中、おっかなびっくりの再装填となり、ろくに銃を撃つことだってできなかっただろう。
「こいつを装填しといてくれ!」
少年はそう言って、さっきまで撃っていた弾切れの小銃を、車内の亜樹に手渡した。重機関銃の弾もこの調子で発砲を続けていれば、あっという間に弾切れになるだろう。
何体か感染者を跳ね飛ばし、いくつかの角を曲がったところで、佐藤が急にブレーキを踏んだ。見ると前方の道路が、倒壊した建物の瓦礫で塞がれてしまっている。
「この前に通った時は大丈夫だったんだがな…」
見れば瓦礫は黒く焼け焦げていた。佐藤が最後に通った後、落雷か何かで炎上し、その後脆くなった残骸が道路を塞ぐようにして崩落したのだろう。とにかく、瓦礫だらけの道路は車では通れそうもない。車を捨てて徒歩ならばなんとか行けるかもしれないが、それではあっという間に感染者たちに追いつかれてしまう。
「ルートを変更する。感染者の多い市街地を突っ切るぞ、全車停まるなよ!」
佐藤がハンドルを切り、市街地へ向かうルートへ車を走らせる。市街地は元は人が多い場所だったということで、そのまま感染者になった連中も多い。危険だが、最短ルートがそれならば仕方ないだろう。
「…あのさ、先生はどうなったの?」
重機関銃のグリップを握る少年に、車内から亜樹が問いかける。少年を殺そうとしていた団長を撃ったのは亜樹だ。その時団長が裕子が死んだことを少年に自慢げに話していたが、亜樹には聞こえなかったらしい。
素直に言うべきか迷ったが、そうする他なかった。隠していても、いずれはわかることだ。それに今さらつまらない保身のために、これ以上の嘘を重ねることはしたくない。
「先生は死んだよ、僕が殺した。団長が言っていた、僕が撃った傷が原因で死んだって」
「…」
「…すまない」
亜樹は何も言わなかった。少年への怒りで言葉が出ないのか、それとも既に裕子が死んでいることは想像がついていたのか。
これ以上は何を言っても言い訳にしかならないことはわかっていた。亜樹や彼女の友人たちが何を言ってきたところで、甘んじてそれを受け入れるつもりだった。だが亜樹は何も言ってはくれない。いっそのこと、面と向かって罵倒してくれたり、非難してくれたらどれだけ気が楽になるだろうか。
車列は市街地の大通りに入る。雨の日は感染者は建物の中によくいるのだが、続々と車のエンジン音に引かれてビルや商店から飛び出してくる。大通りの車道は事故車両で塞がっており、佐藤は装甲車を歩道に侵入させた。歩道は広く、幅広な装甲車でも何とかガードレールや建物に接触せずに走ることが出来る。
歩道の前方に見える感染者へ向けて機関銃を発砲していた少年の目の前に、上から何かが降ってきた。見ると頭上から人の形をしたものが、次々と歩道に向けて降ってくる。
それらはビルから飛び出してきた感染者たちだった。流れ弾やその後の自然災害で割れたビルの二階の窓から、建物の中にいた感染者たちがエンジン音を聞きつけて外に飛び出してきたのだろう。感染者たちは地面に叩きつけられても痛がるそぶりを見せず、そのまま立ち上がって車列を追いかける。
装甲車の目の前にも一体感染者が降ってきたが、佐藤がスピードを上げてそのまま跳ね飛ばした。
「上から降ってくるぞ!」
佐藤のその言葉を待たず少年は機関銃を頭上に向けようとしたが、遅かった。感染者が一体、装甲車の真上に落ちてきた。
装甲車のフロント部分に落下した感染者は、立ち上がると目の前の少年に手を伸ばした。少年はとっさに機関銃から手を放すと、拳銃を引き抜いて構える。引き金を三度引いたが、それらは全て感染者の腕や胸に当たり、致命傷を与えることはなかった。
発砲後再装填していなかった拳銃は、そのまま弾切れになった。少年は弾切れの拳銃で伸びてきた感染者の手を殴りつけると、視線はそのまま目の前の感染者に向けたまま、車内の亜樹に手を伸ばした。
「銃! 銃くれ!」
機関銃はこの距離では使えなかった。旋回させている間に食いつかれるのがオチだ。銃座の防弾版を掴み、顔を近づけてくる感染者に向かって再度パンチを食らわせながら、「早く!」と少年は急かす。「これを!」という亜樹の声と共に指先に何か固いものが触れたので、それを掴みつつ腕を引き上げた。
手にはリボルバー拳銃が一丁、握られていた。弾切れの拳銃を車内の放り捨て、代わりにリボルバーを構えた少年は、文字通り目と鼻の先にいる感染者の額に銃口を突き付けて、引き金を引いた。感染者の後頭部から頭蓋骨の破片と脳漿が撒き散らされ、力を失った感染者が車体から振り落とされる。その死体はそのまま後続車に踏み潰された。
「助かった!」
そう言って少年はリボルバーをベルトに挿しこんだ。車列の誰も外に顔を出せない今、少年だけが感染者に対して応戦出来る状態だった。亜樹に弾切れの拳銃を再装填するように頼み、再び重機関銃のグリップを握る。
「車道に戻る!」
佐藤がそう言ってハンドルを切り、細い手摺を強引に引き千切って車道に出る。事故が起きている場所は通り過ぎたので、車道は車が問題なく通れるほど空いていた。だがその道路をまるで歩行者天国のように、感染者たちがうろついている。
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