第一五話 高所恐怖症のお話
結局結衣と愛菜ちゃんが起きてきたのは午前8時頃だった。僕の事を心配してくれているのならもっと早く目が覚めてくれてもいいのだけど、二人ともここ数日あまり眠っていなくて疲れていたのだ。仕方ないね。
「アンタ、無事だったのね!?」
目を覚ますなり部屋にやってきてドアをぶち破るように開け放った結衣は、僕の顔を見るなりそう叫んだ。その背後には寝ぼけ眼を擦る愛菜ちゃんの顔。
「あ、ああそうだけど」
「このバカ、起きてたならさっさと報告しなさいよ!」
そう言う結衣の目が赤く見えるのは、僕の気のせいだろうか。とにかく彼女は僕を心配してくれている、それがとてもうれしい。普段は僕への敬意など欠片もない結衣だけど、きちんと僕を仲間として見てくれているのだろう。
「僕は大丈夫だよ。そりゃまあ腕は痛いけど、全員助かったんだからそれくらいの怪我は安いもんさ」
「そりゃそうだろうけど、でもあんな無茶は二度としないで。私たちだってアンタが死ぬんじゃないかってヒヤヒヤしてたんだから」
「あれ? もしかして心配してくれてる?」
「ッ! んなわけないでしょうがこのバカ!」
次の瞬間、僕の顔面目掛けてクッションが飛んできた。
起きた結衣と愛菜ちゃん、そしてナオミさんと一緒に朝食を摂った後、僕たちはある場所に行くことにした。ナオミさんの、
「まずうちさぁ、屋上…あんだけど…外の様子見てかない?(意訳)」
との言葉で、外の状況を確認すべく屋上に出ることにしたのだ。出血は止まったもののまだ血が足りず身体はフラフラだったが、今は一刻も早く自分たちの置かれた状況を確認したかった。まず外の様子がどうなっているのかを知らないことには、これからの行動計画も立てられない。
「うわっ」
立ち上がった瞬間一瞬視界が暗くなったが、すぐに結衣が支えてくれた。今はあまり立ったり座ったり、歩き回ったりするのは無理かもしれない。戦うのなんてもっと無理、逃げる事すら不可能だ。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん。心配してくれてありがとね」
一緒に支えてくれた愛菜ちゃんが不安そうな顔で、僕の目を見てくる。愛菜ちゃんは素直に僕の事を心配してくれる分、結衣よりかわいいかもしれない。
ナオミさんが先頭に立ち、僕らを屋上へ案内する。その腰には二本のグルカナイフがぶら下がったままだ。安全だと思える場所でも気を抜かないことが、今まで彼女が一人で生き延びてこれた理由の一つに違いない。
「そういや、ナオミさんはどれくらい強かったんだ? 僕気絶してたからわからないんだよね」
「そりゃもう凄かったわよ。アンタを背負って平気で走ってたし、感染者に遭遇すれば一旦アンタを地面に下ろして、まさに千切っては投げ千切っては投げ……。このマンションに来るまでに20体は倒したんじゃないかしら」
もうアメリカに戻ってエクスペンダブルズにでも入ればいいのに。多分スタローンが喜んで迎え入れてくれるだろう。
廊下には当然、僕たち以外の人影は見えなかった。高級そうな床のタイルも、この三か月一度も掃除されていないのか泥にまみれ、壁際には埃が吹き溜まっている。ここに住んでいた人たちはいったいどうなったんだろうか。多分金持ちばかりだったはずだけど。
そんなことを考えている内に、屋上へ続く螺旋階段が見えてきた。停電でエレベーターが動いていない以上、屋上へ行くには階段を使うしかない。普通に歩くだけでも辛いけど、結衣たちに支えられながら僕は一歩一歩階段を上った。
幸い屋上は僕たちがいた階のすぐ上だったので、大した時間もかからず僕たちは目的地に到着した。それでも思っていたより体力を消耗してしまった僕は、屋上に着くなり座り込んでしまう。たった数十メートル移動しただけなのに、全力疾走した後のように鼓動が早まっていた。どうやら僕が思っていた以上に出血が深刻だったようだ。
「うわぁ、すごい……」
愛菜ちゃんがそう言って屋上の縁へと駆け出す。どうやら高い所が好きならしく、柵にしがみついて熱心に地上を見下ろしていた。それに比べて結衣の顔色は青い。
「……もしかして、高い所苦手?」
「そ、そんなわけないでしょ、へーきよへーき」
「棒読みで言われても説得力ないんだけど」
まあ女の子だし、怖いものの一つや二つあっても普通だろう。というか、なかったらおかしい。男の僕だって怖いものくらいたくさんある。
結衣が屋上の入り口から動こうとしないので、代わりにナオミさんの肩を借りて地上が見える位置まで移動する。ナオミさんの身体は結衣や愛菜ちゃんと違い、柔らかくありつつ引き締まった筋肉の感触がする。きっとかなり鍛えているに違いない。もしかしたら身体能力は、僕を軽く上回っているかもしれない。
「わーお、これはまた……」
屋上を囲う柵に掴まって視線を下に向けると、地上がはるか下に見えた。そして格子のように地上を走る道路を、指先ほどの大きさに見える無数の感染者がさ迷い歩いている。どいつも何をすることもなく、ただフラフラ外を歩き回るだけ。マンションの屋上にいる僕たちに気づいた様子は欠片も見られない。
「そういや昨日、どうやってここに入ったんですか? 感染者に見られたりは?」
「大丈夫、全部倒しながら進んだから。目撃者を消せばバレたことにはならないから安心して」
「わーお、なんてアメリカンな思考」
実際は感染者の少なそうな道を通って進んだのだろうが、それでもあれほどの数の感染者に見つからずここに逃げ込めたのはラッキーの一言では済まない。よっぽどナオミさんが強く、またこの辺りの土地に関して詳しかったからこそ僕らはこうやって生きていられるのだ。
だがこの町にこれだけの感染者がいるとは想像もしていなかった。この町に入ってからしばらくは感染者を一体も見かけていなかったから、見える範囲だけで軽く100を超えるだろう感染者たちがどこからやって来たのか不思議でならない。
だが一つだけ確かなのは、この町が感染者に支配されてしまっているということだ。
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今回は短めです。すまぬ、本当にすまぬ。