第一四一話 What I've Doneなお話
少年は考えた。
確かに団長の言うことにも一理あるだろう。これから感染者や無法者たちと戦い、生き抜いていくためには強い人間が必要だ。戦える人間、戦えずともその技術や知識で戦える人間をサポートできる者たちが。
だが弱い者、戦えない者、何の知識や技術もない者は、団長の言う通りリソースの無駄遣いにしかならない。今は誰もが自分の身を守るだけで精一杯で、他の誰かを守れる余裕がある人間はほとんどいない。その場合、守る対象は医者やエンジニアといった、何か技能がある人間が優先されるだろう。戦うことができず、かといって何か役に立つ特別な技能もない人間を守るために人手を割くのは無駄だ。
そして不足する食料を始めとした物資を全員で分け合う余裕もない。わずかな食料を全員で分け合っていたら、皆が体力不足で倒れてしまう。「うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる」という言葉があるが、今は分け合っていても物資は足らない。
だとしたら物資が優先的に配分されるべきなのは、戦える人間たちだ。弱い人間にも物資を与え、全員が飢えて死んでいくのと、生き残るべき人間を選別して人類の存続を図るのでは、どちらがマシだろうか。
何のことはない。団長も少年が考えていたのと同じ思想を持っているだけだ。違いはその考えを貫ける意志の強さがあるか否か、そしてそれを実行できる力があるかどうかだ。
団長は政治家というステータスがあり、それは今でも衰えていない。同胞団には多くの人間が所属していて、そのすべてが感染者と戦い生き残れる強さを持っているか、あるいは何か特別な技能を持っている。そして武器や物資も豊富に揃っている。
団長が自らのステータスと同胞団という実力組織を駆使すれば、感染者やならず者たちが闊歩するこの世界を生き延びていくことは容易だろう。団長が語ったように、感染者たちが死に絶えた後に新たな世界を創造していくことだって可能なはずだ。
新しい世界を作る。その一言はとても魅力的な響きを放っている。
その上で、少年は言った。
「あほくさ」
それが少年の、団長からの誘いに対する返事だった。
「弱肉強食って、それしか言えないのか。何がカリスマ政治家だあんた。こんな奴に投票していた大人たちは相当なアホだな」
「てっきり君は同意してくれるかと思っていたが、一応その理由を聞かせてもらおうか」
「答えは簡単だ。あんたの作ったその世界には未来がないからだ」
少年は知っている。その先に何が待ち受けているのか。
「あんたが作ろうとしているのは新しい世界なんかじゃない、地獄だ。生きるために誰もが鬼と化し、人間らしさを失った世界だ。そんな世界、誰が望むと思う?」
「地獄、ね。そうなるという根拠があるなら聞かせてもらおうか」
「僕がその地獄を作り出してきたからだよ」
死体だらけの避難所。血塗れになって転がる子供たち。そして濁流に飲み込まれる女性の絶望した顔。
「僕もあんたと同じようなことを考えていたさ。世の中がこうなってしまった以上、今までの生き方は通用しない。非情にならなければ生きていけないし、それが出来なかった連中は死んだ。だから僕の生き方は正しい。弱肉強食、弱い者が死ぬのは仕方がない。生きるためなら何をしてもいい・・・」
「だったら、私の考えを理解はしてくれないのかね?」
「僕も自分の考えが正しいと思い込もうとした。でも無理なんだよ。結局のところ、僕は普通の人間だ。僕が弱肉強食云々と理屈を立てたのは、自分が犯した罪から逃れたかっただけだ。僕は間違っていない、感染者に殺された連中が悪い。僕に殺されるほど弱い連中が悪い。僕は正しい、間違ってない・・・。
でも無理だった。自分でどう言い訳をしようと、誰かに責任を押し付けようと、僕のしてきたことは間違いだった。僕は自分で地獄を作り出してしまった」
だから、と少年は団長の目を見た。
「仮にあんたの理念に心の底から共感する奴がいるとすれば、そいつは人が死んでも何とも思わないサイコパスか屑野郎だ。だけど世の中の大半の人間はそういった連中じゃない。皆昔は普通に暮らしていた、普通の人間なんだよ。どれだけ言い訳をしたところで、誰も自分の犯した罪から逃れることはできない。自分への言い訳と罪悪感の板挟みになり、やがては壊れる」
少年は廃墟と化した学校で見た幻覚を思い出す。あの幻覚も、自分の心の底で押し殺していた感情が溢れてきたものだったのかもしれない。自分の行為が間違っていると知りながら、生きるためだと言い訳を続けてきた自分への、無意識からの訴えだったのだろう。
「あんたのやろうとしていることは、一部の頭のおかしい連中を除いて、生きている人を皆地獄に叩き込もうってことだ。あんたみたいに弱肉強食の世界が正しい、弱い連中は死んで当然だし、殺したって構わないと考えているような奴らなら、あんたの作る世界は天国だろうよ。でも普通の人間、今まで普通に生きてきた人たちにとっては、あんたの作る世界は地獄だ。弱い者に価値がないということは、いつまでも戦い続け、敵を殺し続け、自分が強い人間だって証明し続けなければ生きていられない」
弱肉強食。それを唱える人間は、自分が弱い立場に落ち、肉として食らわれるかもしれないことを考えたことはあるのだろうか?
「もしもあんたが感染者の一掃に成功したとしても、その後に作られるのは地獄だ。決して平和な世界じゃない。あんた、地獄を作りたいのか?」
団長は何も言わない。
「あんたに聞きたいことがある。前に捕まえた同胞団の奴が、子供は役に立たないし、守らなきゃならない弱い存在だから同胞団には必要ないと言っていた。あんた、子供がいなかったらどうやって未来を創っていくんだ?」
「今は非常時だからな。子供に構っている余裕はない。無論私が秩序を回復した暁には、子供は一定の年齢まで保護するつもりだが」
「小さい時から弱肉強食、弱い者に価値はないから好きにして構わないとか教えられた子供たちがどんな世界を作るか、あんた考えたことあるか? そうやって育っていった連中はもはや人間じゃない、人の皮を被ったただの獣だ」
少年は感染者がいなくなった後の世界のことを考えていた。もしも感染者との戦いに人間が打ち勝ち、いずれ社会を復興させたその時。そこでの共通理念が弱肉強食で、弱い者は死んで当然、殺しても構わないという価値観の社会が出来上がっていたら、そこに住む人たちは人間だと言えるだろうか?
「人間は獣と違うんだ。助け合い、共に困難を乗り越えていくのが人間であるはずなのに、その人間らしさを捨ててまで人類が生き残る価値はあるのか?」
「君の言っていることは綺麗事のように聞こえるな。この時代に、果たしてその綺麗事を貫ける人間がどれだけいるだろうかね?」
「あんた大人だろ? 政治家なんだろ? 大人の政治家がきれいごとを言わなくて、誰が世界を良くしていくんだよ? 今の世界に必要なのは皆で助け合って生きていくって希望だ、弱い者を切り捨てることじゃない」
「なるほど。だが君にそれを言う資格はあるのかね? 話を聞いた限り、君はこれまで自分が生き延びるために大勢の人間の命を奪ってきたようだが」
どんな言い訳を並べ立てたところで、少年がこれまでしてきたことが無かったことになるわけではないし、許されることもない。誰に許してもらえるのかはわからないが、少年は自分の行為を許すことはできなかった。
団長がやってきたこと、団長が考えていることは、少し前の少年がやってきたこと、考えてきたことと同じだった。他者を利用し、傷つけ、盗み、そして殺した。弱い人間には価値がない、生きるためには強くならなければならない。自分がこうやって今も生きているのは自分の行為が正しいからで、死んでいった人たちは間違っていたのだと。
団長との違いは、それが心の底まで染まり切った理念ゆえの行動か、追い詰められた弱い人間が重ねた言い訳だったかということだ。
もしも地獄があるとすれば、自分はそこに行くことになるだろう。少年は自分の行動を振り返り、そう感じていた。
「確かに、僕がやったことはあんたがやってきたことと大差ない。だけど、ようやく理解できたんだ。僕は人間として、人間らしく生きていたいんだよ」
「人間らしく生きる? そう言った連中はあっという間に死んでいったぞ。下らないヒューマニズムのせいで、家族や友人だった感染者に殺されたんだ。皆で仲良くなんて言った奴らも、暴徒どもに襲われても、ろくに抵抗すらできずに死んでいった。今の世界は人間のルールが通用しないんだよ」
「それだと感染者と同じだろ。理性を失い、ただただ殺し、食らい続ける。僕はそんな生き方はごめんだね」
そう言って少年は団長を睨みつけた。
確かに少年に、団長の生き方、考え方を非難する権利はない。
だけど彼と一緒になって、さらなる地獄へ足を踏み入れるのはごめんだった。
「・・・私も人を見る目がなかったかな。君には期待していたんだが」
「あんたに選ばれても、これっぽっちも光栄じゃないね」
「そうか、じゃあ残念ながら君は敵ということになるな。敵である以上、排除するしかない」
排除する、つまり殺すということだろうが、不思議と怖くはなかった。
これまで少年は死ぬことが怖くて、そのために大勢の命を犠牲にしてまで一人生き延びてきた。だが今死を目前にしていても、恐怖は沸いてこない。死への恐怖よりも、団長への怒りが勝っているのだろうか。
「だが単に殺すのは惜しい、人材の無駄遣いだ。君は『民衆にはパンとサーカスを与えろ』という言葉を知っているか?」
「知らないよ。あんたの言葉だ、どうせロクなもんじゃないだろうけど」
「古代ローマの詩人の言葉だ。人々の支持を得るには食料と娯楽を与えればいい、という意味だ。君にはサーカスをやってもらう」
そう言うと団長は部屋のドアを開け、「連れていけ」と待機していた見張りに指示した。すぐに二人の見張りが少年の両脇に立ち、腕を掴んで歩き出す。少年は見張りたちに引きずられるようにして、部屋から連れ出された。
サーカスをやらされるということは、決して同胞団の連中を芸か何かで笑わせろ、ということではないだろう。
そう考えると少年は少し暗い気持ちになったが、それでも自分の選択への後悔の念は沸いてこなかった。
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