第一三九話 勝てばいい、それが全てなお話
自業自得とはいえ、誰かから信じてもらえないということはこんなにも辛いことなのだということを、少年は身を以て感じていた。もしも亜樹の信頼を勝ち得ていたら、ここからの脱出に彼女が手を貸してくれていたかもしれない。もっとも、亜樹に信頼されていればそもそもこんなところにいるはずもないので、考えたところで無駄だったが。
それにしても、なぜ彼らは僕を生かしているのだろうか。少年は天井を見上げた。
同胞団が少年を敵と認識しているのは、看守たちの態度からして明らかだ。それに少年が有益な情報を持っていないことは、捕まった時の尋問で彼らもよく理解しているだろう。脱走や反抗などのリスクも考えたら、さっさと殺してしまう方がいい。
彼ら自身も「役に立たない人間に生きる価値はない」と言っていた。にもかかわらずまだ少年を生かしているということは、少年に何か使い道があるということなのだろう。その使い道とやらがまともではないことは、少年にも予想がついていた。
そんなことを考えながら、床に敷かれたビニールシートに寝ころび天井を見上げていた少年は、鉄の扉が開かれる掠れた金属音で我に返った。床に寝たまま顔だけ上げると、いつもの見張り役が拳銃を構えて部屋に入ってくる。
「座れ」
一言そう言われ、少年は素直に椅子に腰かけた。見張りたちが緊張しているように見えるのは気のせいか? その推測は、「団長、こいつです」という見張りの声ですぐに正しいと証明された。
「君たちは下がってていい。私一人で十分だ」
「しかし・・・」
「私を信用していないのか? 一人で十分だと言ったんだ」
そんなやり取りの後、一人の男が少年が拘束されている部屋に入ってきた。歳は20代後半といったところだろうか? 端正な顔つきのその男の顔を少年はどこかで見たような気がしたが、どこで見たのかは思い出せない。
その若い男———見張りたちとの会話の内容からして同胞団の団長は、一人少年の部屋に入るとそのまま入り口の扉を閉めた。その腰には一丁の自動拳銃が、ホルスターに収められてぶら下がっている。「戦えない人間に価値はない」がモットーの同胞団だ、拳銃は単なるお飾りではないだろう。
数十名の構成員を抱える武装組織、同胞団の団長は、椅子に座った少年を見下ろしながら言った。
「君みたいな子供に、さんざん手を焼かされるとはね。おかげでこちらは大損害だ」
だが少年は男の顔の方が気になっていて、それに答えるどころではなかった。団長の端正な顔は、どこかで見たことがある。それも何度も。確かテレビか何かで―—―———。
「あ、思い出した! お前元総理大臣の息子だな! 名前は忘れたけど・・・」
何年か前にこの国の総理大臣を務めていたカリスマ政治家、その息子が目の前にいた。確かその息子も国会議員になり、何度もテレビで取り上げられていたはずだ。少年が団長の顔に見覚えがあったのは、若手ながら将来の総理大臣候補としてテレビで話題になっていたからだ。もっとも少年はその他大勢の高校生と同様に政治にはあまり興味がなかったので、名前までは憶えていなかったが。
「そうだ、高校生くらいなのによく知っているね」
「テレビで何度も取り上げられてれば、名前はわからなくても顔くらいは憶える。それにしても国会議員様が、こんなイカれた連中のボスだとは。世も末だな」
「そりゃまさに今、世が末だからね」
少年の皮肉を団長は涼しい顔で流した。さすがカリスマ政治家の息子、頭の回転が速いと少年は思った。
「それで元国会議員・現武装集団の団長様が僕に何の用だ? 処刑の日程でも決まったのか?」
「少し話がしたくてね。この地獄を生き延びてきた外の人間に興味があるんだよ」
「運が良かっただけだ。それにしてもなんで国会議員がこんなところに? まだニュースがやっていた頃に、政治家は洋上の護衛艦に避難したって聞いたが」
早期の段階で内閣を構成する主要閣僚は全員海上自衛隊の護衛艦に避難し、他の重要な政治家たちもヘリコプターなどを使って護衛艦に避難したとニュースでは報じていた。国会議員、それも元総理大臣の息子で若手ながら与党の大物議員ともあれば、当然ながら救助対象者のリストに載っていただろう。
「私は自分の意志で残ったんだ」
「は? あんたバカじゃないの? せっかく安全に逃げられるチャンスだったのに」
「私は自分の力を試してみたくてね。こんなチャンス、滅多にないだろう?」
少年は目の前の団長が何を言っているのか理解できなかった。チャンス? 力を試す? 全く理解が追い付かない。
「あんた政治家だろ。それも有名な。力なら十分にあるだろう」
「確かに、私には権力があった。金ならいくらでも使えたし、私の言葉一つで官僚や自治体、マスメディアさえも思いのままに動かせた」
「だが、それは父から全て受け継いだものだ」と団長は続けた。
「私は生まれてからこれまで、父の言葉に従って生きてきた。学校も部活動も、父が勧めたところに入った。大学を卒業してからしばらく政治家の秘書を務めていたのも父の勧めだ。そして父が望んだとおりに私は政治家になった。言われた通り父の地盤を受け継ぎ、国会では昔の父を真似て発言し、そしてメディアの前では父が喜ぶような言葉を発した。そこに私の自由はなかった」
団長がどんな政治家だったのか、政治に興味がなかった少年はほとんど知らない。だがカリスマと謳われた元総理大臣の息子だ、プレッシャーは半端なかっただろうし、自由だってそれほど満喫できなかっただろう。
「私は昔から何度も父の権力に救われたよ。大学時代に交通事故を起こした時は、父が警察に圧力をかけたおかげで私は無罪放免になり、相手が悪いという事実と異なる結果になった。私が喧嘩で相手を死ぬ寸前の重傷を負わせても、警察や弁護士のおかげで正当防衛という形にされた。権力、力が全てだ。力があれば何でもできる。そのことを私は学んだ」
「マスコミが聞いたら格好の餌になりそうな問題発言だな」
「既にマスコミなんてものは消え失せた。何を言ったって平気さ」
そう言って団長は続けた。
「世界がこうなってしまって、改めて私は自分の考えが正しいと理解した。力こそが全てだ。生きる権利があるのは力を持つものだけ、力を持たないものに生きる資格はない」
「あんたそれでも政治家か?」
「政治家だからこそ、どんな状況でも自分の理想を達成しようとしているだけだ。それに今一人でも多くの者を生かすためには、全員を救ってはいられない。生き残るべき価値ある者だけを生かし、弱い者、何の才能も持たない者には死んでもらう。共に助け合うなんてことは平和で豊かだった世界でこそ言えるたわごとだ。今はそんなことをしていては全員が死んでしまう。弱者は負担であり、無駄飯食らいでしかない。弱い者を守って全滅するわけにはいかないし、乏しい資源を全員で分け合って皆が飢えていくことも容認できない」
「だから弱い者は殺すか、死ぬまで働かせるのか」
「そうだ。そうでなければ人間は生き残れない」
そこで団長は天井を見上げた。まるで目に見えない何かを見るように、その目はどこか遠くを見ている。
「感染者たちはいずれ死ぬだろう。飢えか、我々が知恵と努力で絶滅させるか。そうなった後に、私は新しい世界を作り上げる。力のある者こそが優遇され、本来の実力を発揮できる世界を」
「新しい世界、ね・・・」
「感染者が現れる前の世界は、平和でこそあれ停滞していた。何故か? それは弱い者たちが大手を振って『自分は弱者だ』と主張し、社会も弱者は無条件で保護されるべき存在だと認識していたからだ。いや、違うな。本当はそうすべきではないと考えていても、『人権』だの『平等』だのという下らない言葉が社会を支配していたから、皆本当のことを言えなかっただけだろう。弱者は保護すべきでないなどと言おうものならば、あっという間に袋叩きに遭うからな」
確かに、政治家が生活保護を巡って不用意な発言をし、炎上したという話は聞いたことがある。それに学校で習うことは「助け合い」や「平等」という言葉だけで、「弱肉強食」などという理念はこれっぽっちも教わった記憶がない。
「それだけではない。インターネットの発達で、現実社会では何もいえないような臆病者たちが、ネットの世界では大手を振って匿名性を武器に簡単に他者を非難する。優れた者たちが、批判する資格すらない者たちの心無い言葉によってその才能を潰される。
そして弱者は自分の弱さを武器として、権利を声高に主張する。堂々と『自分は弱い』ということを武器にして、本来彼らに分配されるべきでないリソースを費やすよう要求することが当たり前になっていたのはおかしいとは思わないか? その価値が無いものたちに割かれた金や時間を、才能ある者たちや強い者たちに割り当てていたらどれだけ彼らを成長させ、国力を伸ばすことが出来ていたと思う?」
「難しい話はよくわからない」
「感染者が現れる以前の世界だったら、変革は望めなかっただろう。下らない『人権』やら『平等』やらの意識は、人々が望むと望まないとに関わらず、既に世界を覆っていたからな。誰かがそれが間違っているのではないかと感じても、口に出した途端内容の如何に関わらず非難され、社会的に存在を抹殺されかねない状態だった。
だが今は違う。今は力と才能こそが全てを決める。力なき者、才能なき者、戦えない者、戦わない者は死ぬしかない。真に強き、戦う者たちだけが生きる権利を持つ。私の望む世界を作り上げるにはうってつけの状況だ」
「だけど感染者たちはいつか死に絶えるぞ。餓死か人間たちの反撃か、どちらかは分からないが、生き物である限りは死ぬ。奴らに生殖能力でもあれば別だが、いずれは寿命で死ぬだろう。その時まで人間が生き延びていれば、再び世界を元通りにしようと動き始める。あんたのその思想が、復興した世界で必要とされるかな?」
と言いつつ、少年は感染者が絶滅して人間が再び元の世界を作り上げられるかどうかは疑問に感じていた。だが人間はその個体数を、既に大きく減らしている。感染者たちは人間以外の生き物も食うが、今のところ人間以外の感染した生物は見たことがない。感染する人間自体が少なくなり、餌も減っていけば、いずれは感染者たちも飢えて死ぬか、人間たちに徐々に数を減らされていくだろう。
もしも人間がこの戦いに勝てば、間違いなく世界を復興させようと考えるはずだ。その時でもなお、弱肉強食の理念が必要とされるだろうか? 物資が人々に行き渡り、感染者や暴徒に殺される恐れもなければ、自然と人々の考えは穏やかになっていくに違いない。その時用いられる理念は、間違いなく団長が嫌う「平等」「人権」といったものだろう。
「だから私は同胞団を作り上げたんだ。感染者が死に絶えた後、生き残った者たちは新しい世界を作り上げる。だが以前のような人権や平等などといった欺瞞だらけの戯言に従った理念の世界は、かつてそうであったようにすぐに行き詰まり、作り上げられた社会も成長は望めまい。だから私は私の理念に従った、当たらしい社会を作り上げる。力のある者が世界を作り上げ、才能のある者が自分の能力を最大限に発揮できる社会を。私は父が成し遂げることができなかった、新しい世界を作り上げる。そして父を超えて見せる」
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