第一三八話 人生は地獄よりも地獄的であるお話
少年が同胞団に拘束されてから二日が経過した。狭い倉庫の一室には時計が無く、正確な時間は不明だったが、少なくとも一度日没があったことは頭上の窓から差し込む光でわかっていた。
尋問していた同胞団の男たちは少年から多くの情報を引き出した後、特に彼に危害を加えることも無くその場を後にした。代わりに少年には十分な食事が与えられた。
十分とは言っても乾パンや缶詰の肉、そしてモヤシなど簡単なものだったが、物資が手に入りにくいこのご時勢には十分豪華だと言えるだろう。何故同胞団が敵である少年を生かしておき、さらに貴重な食料まで分け与えるのかは理解できなかった。だが今は体力を回復させるのが最優先だと判断した少年は、出された食事を素直に食べた。
同胞団の連中を観察していてわかったのは、彼らが豊富な物資を有しているということだった。少年を尋問していた連中は皆顔色が良かったし、飢えている様子も無い。武器も種類はバラバラだが、銃を一人一丁は持っている。
そして無線機を使って、頻繁に情報をやり取りしていた。軍用の高性能なものではなく、民生用の家電量販店などで売っていそうなトランシーバーだったが、それでも十分な数を揃えているようだった。
さらに男たちの身なりも綺麗だった。人間は余裕がない状態では身だしなみに気をつけなくなるから、身だしなみに気をつけられるということはそれだけ生活に余裕があることを意味している
それでも同胞団が少年に敵意を抱いていることは、わざわざ観察するまでも無く分かっていた。食事を用意し、手を出してこないとはいえ、彼らが少年を憎んでいることは間違いない。尋問の最中少年は何度も暴行を受けたし、尋問後何度も罵倒された。本当だったら男たちは少年を殺したいようで、食事を渡してくる時も渋々といった感じがありありと伝わってきた。
それにしても、いったい彼らは僕に何をやらせるつもりなんだろうか。少年は高い天井を見上げた。
情報を引き出した後は殺すわけでもなく、十分な食事を与えて放置している。何か利用価値があるから生かしているのだろうが、同胞団の敵である少年にどんな価値があるというのか。単に生かしておきたいだけならば、最低限の食事だけ与えておけばいいはずだ。
今は昼のようで、天井の窓からは青空が見える。天井から剥き出しでぶら下がる蛍光灯に、今は光が点っていない。物資が豊富な同胞団とはいえ、昼間も電気をつけっぱなしでいられるほど余裕があるわけではないのだろう。
波の音に混じって、時折車のエンジン音が聞こえてくる。同胞団の拠点は海沿いにあり、北風が吹いている時間帯ならば、風下は海だから風に乗ったエンジン音が感染者に聞かれる恐れも無い。それに同胞団のことだから、周辺一帯の感染者は残らず駆逐しているだろう。
やけに大きなエンジン音は、トラックのディーゼルエンジンのものだろうか? トラックを使うということは、よほど大きな荷物を運んでいるに違いない。人やある程度の物資を運ぶだけならば、エンジン音がしない電気自動車を使えば済む。
同胞団をこのまま放っておけば、彼らはさらに行動範囲を広げ、より多くの生存者を脅かすようになるだろう。何人かは実力を認められて同胞団の仲間として迎え入れられるかもしれないが、それ以上に「価値が無い」と切り捨てられる人間の方が多い。そして同胞団にとって価値のない人間は使い捨ての奴隷も同然だから、ろくな食事もなく重労働に従事させられ衰弱死するか、死の危険が大きい危険な仕事を押し付けられて感染者に殺されるかのどちらかだ。
そのようなことは止めなければと思う一方で、自分にその資格があるのかと少年は感じていた。今まで自分がやってきたことは、同胞団のやっていることと代わりが無い。自分が生き延びるために他者を見捨て、感染者への囮にして、危険だと判断すれば殺した。
自分には同胞団を非難する資格は無い。今更正義のヒーロー気取りで同胞団を止めるなんて、格好いいことを言える立場には無い。
何もかもがもうどうでもいいと感じ始めていた。佐藤に置き去りにされ、同胞団に捕まって、ようやく自分がいかに冷酷非道な行為に手を染めてきたのかを実感した今、もはや何か行動を起こそうと思えるほど少年に気力は残されていなかった。
守るべきものはなく、生きる意味も無い。死にたくないという考えのみで行動してきた結果がこれだ。多くの人を死に追いやって、それでもまだ醜く生にしがみついている。自分勝手に生きていくことでさらに多くの人の命を奪うことになるなら、死んだ方がいいのかもしれない。
そんなことを考えていると、突然少年の目の前にあった扉が開かれた。入ってきた人物の顔を見て、少年は言葉を失う。
「久しぶりね」
そういって部屋に入ってきたのは、以前少年が居候していた女子高で知り合った亜樹だった。彼女と最後に会ったのは数週間前、最悪の別れをしたまま今まで会えていなかった。
彼女たちとの関係が断絶するきっかけとなったのも同胞団のせいだ。偶然亜樹たちがこの街にやってきた際、同胞団よりも早く少年が接触出来ていればと思う。だが現実はそうならず、彼女たちは初対面の同胞団の男を信用してしまい、少年が男へと放った銃弾は彼女たちの先生に命中してしまった。
そのせいで亜樹たちは少年を敵だと判断し、同胞団の側についていった。それ以来彼女たちを見ることはなかったが、こんな時に再会するとは。どうやらとことん運が無いらしい。
「10分だけだ」
外に立っていた見張りの男がそう言って、扉を閉めた。部屋の中にいるのは少年と亜樹だけ。しかし少年は手を縛られた虜囚の身であり、亜樹は看守の側の人間だった。
10分だけというのは、面会の時間だろう。何のために彼女が会いに来たのかはわからないが、少なくとも少年にいい感情を抱いていないことだけは、顔を見ればすぐにわかった。
「あんた、まだ死んでなかったのね」
「酷い言い草だな。死んでおいた方が良かったかな?」
「私の手で殺してやりたいくらいよ」
冗談のようで、冗談には聞こえない。それほどのことをしたのだから仕方がない、と少年は自分に言い聞かせた。彼女たちからしてみれば少年は突然自分たちの前から姿を消した挙句、再会した時には自分たちを助けてくれた人間を危険人物呼ばわりし、その上で大事な彼女たちの先生を撃って重症を負わせた存在なのだ。
誤解が重なったとはいえ、頭に血が上っていて拙速な行動に出てしまった自分にも責任がある。少年は亜樹の批判を甘んじて受け入れるつもりだった。
「その・・・裕子先生は?」
「あんたに撃たれたせいで重症だったけど、ここの人たちが助けてくれたわ。でもよっぽど酷い怪我だったのか、今でも面会謝絶中」
助けてくれた、というその一言に少年は違和感を抱いた。戦えない、役に立たない人間に価値はないと考える同胞団が、負傷した他者を収容し、手当てを施すことなどあり得るのだろうか? だがそのことを口に出すと亜樹は途端に出て行ってしまいそうな雰囲気だったので、言うのはやめた。
「それで、今お前たちは何を?」
「あんたに言う必要がある?」
「・・・確かに、その資格はないな。でも、できれば教えてほしい」
少年がそう言うと、亜樹は腰のベルトに装着したホルスターを叩いた。ホルスターの中には、自動拳銃が収まっている。
「色々よ。ここに来てからは警備や物資調達や・・・まあ雑用ってとこね」
「戦闘は? お前は俺が捕まった現場に居合わせたのか?」
「いえ、でもその内に戦わせてもらえるかもね」
「戦わせてもらえる」、つまり彼女は戦うことを望んでいるのか。
確かに戦わなければ生き残れない、戦えない人間は死ぬしかないと言い続けてきたのは少年の方だったし、彼も亜樹たちに戦える人間になってほしいと考えていた時期もあった。だが実際に亜樹がこうやって当たり前のように銃を持ち、「殺す」だの「戦う」だのと言っているのを見ると、なんだか複雑な気持ちになった。
「そんなに、お前は戦いたいのか?」
「何言ってんの? 戦えない奴は死ぬって言ってたのはあんたでしょ? あんたがいなくなってから、ようやくその通りだって理解できた。私たちは死にたくない。だから戦う、敵は殺す」
「・・・誰か、殺したのか?」
「いえ、まだ人間は殺してない。でも生き延びるためだったら殺す」
まるでしばらく前の自分を見ているようだ、と少年は感じた。戦わなければ死ぬ、だから戦って自分は生き延びる。情け容赦なく敵は殺す。そう息巻いて、これまで何十人分もの命を奪ってきた。
だけどその行動の先に何が待ち受けているのか、少年は知っている。
今さらその生き方が正しくないかもしれないと言ったところで、彼女たちは聞く耳を持たないだろう。少年の生き方は、彼女たちまでも変えてしまった。
だが少年と違って、亜樹たちはまだ人を殺してはいない。その点では、まだ彼女たちは引き返せる。もしも人を殺してしまえば、その瞬間から彼女たちは引き返せない地獄へと足を踏み入れることになるだろう。
「いいか。僕が言えたことじゃないけど、人は殺すなよ」
「何それ? 誰かが襲ってきても抵抗せずに殺されろってこと?」
「違う。生き延びるためだとか、仕方ないってことを言い訳にして、する必要のない殺人は絶対にやっちゃだめだってことだ」
「あんたがそれを言うの? 今までさんざん人を殺してきた張本人が?」
「今までさんざん人を殺してきたからこそ、そう思うんだよ」
亜樹は呆れたとでもいうような顔をした。確かに彼女からすれば、少年が何を言っているのか理解できないかもしれない。人を殺し、自分たちにもそうするように言っていた人間が今更何を言っているのかという気持ちだろう。だが少年は、亜樹たちには自分と同じ地獄を体験してもらいたくはなかった。
彼女たちが人里離れた学園で何か月も平和に暮らしていたように、今の日本でもうまくいけば争いとは無縁の生活を送ることができる。だが一度人を殺してしまえば、その事実は一生自分に付きまとう。頭の中では自分が手にかけた者たちの顔が浮かんでは消え、そして次は自分が殺される側になるのではないかという恐怖に駆られ続ける。その恐怖に支配され、少年はこれまで多くの人たちを殺してきた。
「あんたが捕まったって聞いたから来てみたけど、あんた頭でも打ったの? なんかまるっきり別人に見えるんだけど」
「目が覚めたんだよ。この世が地獄なわけじゃない、僕の頭の中に地獄が広がっているんだって」
「わけのわからないことを・・・もう帰るわ」
そう言って部屋を出て行こうとした亜樹の背中に、少年は呼びかけた。
「早くここから逃げ出した方がいい。ここの連中はまともじゃない」
「だから、あんたがそれを言うの? 先生を撃ったあんたが?」
「その点に関しては何も言い返せない。だけど、ここの連中が自分たちが生き延びるためだったら、他の人はどうなってもいい。死んでも殺してもいいと考えているような奴らだってことは間違いないんだ。もう何人もここの連中に殺されてる」
「証拠はあるの?」
「今すぐお前を納得させられる証拠はない・・・。だから、先生に会ってきてくれ。もしもここの連中がまともで人間的であれば、きっと先生をきちんと治療してくれているはずだ。でももしも僕が知っている通りの連中なら、きっと先生は・・・」
役に立たない人間、働けない人間は価値がない。そんな価値観を持つ同胞団が、重傷を負った裕子の治療をしてくれているだろうか?
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