第一三七話 ELECTRICAL COMMUNICATIONなお話
『無様ね。今まで自分がやってきたことをやり返されたのはどんな気持ち?』
暗闇の中で、知っている声が聞こえる。あざ笑うかのような口調の女の声。
『あんた、今まで何人も助けを求める人を見捨ててきたよね。自分が逃げるために母親の足を撃って、赤ん坊と一緒に置き去りにしたこともあった』
そんなこともあったな、とぼんやりと思う。あれはいつのことだったか…。ほんの数か月前のことのはずなのに、もう何年も昔のことのように思う。
『いつもいつもあんたは言い訳ばかりで、自分のことしか考えていなかった。あんたは自分のことを最優先して、他の人たちを切り捨ててきたのよ。切り捨てられた人がどうなるか、考えもしないでね』
仕方ない…という言い訳はもうできないだろう。それを言ったところで事態は何ら改善しないし、むしろその言い訳が自分自身をさらに追い込んでいくことは身に染みて理解していた。
『今度は、あんたの番よ』
刺すような頬の痛みで、少年は目を覚ました。
脂で濁った視界の中、強烈な光で目が眩む。思わず下を向いたところで、いきなり冷たい水をぶっ掛けられた。
「おい、こっちを見ろ」
低い男の声が聞こえると共に突然頭を掴まれ、強制的に真正面を向かされた。何か椅子に座らされているらしく、少年は抵抗しようと立ち上がろうとしたが、何故か身体が動かない。手首と足首に何か冷たいものが当たる感触がある。どうやら手錠か針金で椅子に縛り付けられているらしかった。
「こっちを見ろと言っているんだ」
ようやく視界がまともに戻ってきた。少年の真正面には、頭頂部が薄くなりかけた40代くらいの男が同じく椅子に腰掛けていた。だが少年と違い、男は拘束されていない。偉そうに足を組み、ふんぞり返っている。
少年は頭を押さえつけられたまま、視線だけを周囲に巡らせた。正面の椅子に座る男の隣に一人、空のバケツを持ちベルトに拳銃の納まったホルスターをぶら下げている若い男が立っている。どうやら彼に水をぶっかけられたらしい。頭を押さえつけている人物は背後に立っているので顔は見えなかったが、力具合から考えて恐らく男だろう。
今いる場所はどこか倉庫のような場所らしい。打ちっぱなしのコンクリートの床に、剥き出しのままの柱の鉄骨。天井からぶら下がる裸の電球が、少年たちを照らしている。
何故こんなところにいるのだろうか? 目の前の連中は誰だ?
そこでようやく少年は、意識を失う前の出来事を思い出した。同胞団に襲われたマンション、薬物で痛覚を鈍らせ、我武者羅に突っ込んでくる敵。そしてマンションから脱出したは良いものの、そこで佐藤に殴られたところで記憶は終わっていた。
唐突に、撃たれた足の痛みが蘇ってくる。捻挫した足首の腫れは引いているが、銃弾が掠めた箇所はまだ激痛が走っていた。
佐藤に殴られた後、気絶している最中に感染者に食われて死んでいないということは、同胞団に捕まったということなのだろう。目の前の男たちが同胞団員であることは、彼らが腕や首に巻いている黒い布で一目でわかった。何より少年に突き刺さる敵意に満ちた視線が、彼らがこれまで戦い続けてきた敵である同胞団ンの人間であることを如実に表している。
最悪の事態になったな、と少年は思った。佐藤に足手まといだと置いていかれ、一番捕まりたくない連中に捕まってしまった。意識を失ったまま感染者に食い殺されていた方が、よっぽどマシだったかもしれない。
そんな少年の考えを見透かしたように、目の前の禿頭の中年男が言った。
「無様だな」
「そりゃどうも。顔を洗ってくれてありがとう」
そう皮肉を言った途端、バケツを持った男に顔を殴られた。一瞬意識がブラックアウトし、瞼の裏で星が瞬いた。再び意識が飛びそうになったが、どうにか耐える。幸い、歯が欠けたり鼻が潰れたりはせずに済んだ。
「何でコイツを生かしておくんですか! さっさとぶっ殺しちまいましょうよ!」
たった今少年を殴った若者が、顔を真っ赤にして怒鳴る。中年男は面倒くさそうに答えた。
「そりゃ俺だってコイツをぶっ殺したいけどさ、団長が殺すなと。ついでにコロシアムで使いたいから、重症を負わせるのも禁止だとさ。とりあえず俺らの仕事はこのクソガキを尋問して、情報を引き出すことだ」
とりあえず、しばらくは殺されずに済みそうだ。その団長とやらはこの同胞団のリーダーなのだろう。同胞団のリーダーが何故自分を生かしておいているのか、少年は理解できなかった。同胞団からしてみれば少年は、散々仲間を殺してきた憎き敵であろうに。
またコロシアムという言葉も頭に引っかかった。どこかで聞いたことはあるが、単語の意味が思い出せない。もう少し勉強しておけばよかったと、少年は後悔した。
「じゃ、話をしよう。お前には聞きたいことが山ほどある。どこから来て、何で俺たちを襲っていたのか。仲間はどこか、物資は。そして何であんなところで気絶していたのか」
「質問をする時は一度に一回って小学校で教わらなかったのか?」
再び減らず口を叩いた直後、何かバチバチという音がして、少年の全身に文字通り電流が走った。再び視界に星が瞬く。身体がしびれ、筋肉が痙攣し、息が出来ない。焼けるような激痛が全身に走る。
「おとなしく質問に答えろ。でなきゃこれだ」
ようやく激痛が治まり、目の前の中年男がそう言うと共に、今まで少年を押さえつけていた男が少年の目の前にスタンガンを突き出した。スイッチを押すとバチバチという音と共に、電極の間に青白いスパークが走った。
どうやらスタンガンで痛めつけられていたらしい。ようやくまともに息が出来るようになった少年は、とりあえず彼らの質問に答えようと思った。あの激痛を味わった後では、またスタンガンを食らうのは避けたい。
それにここで意地を張って彼らの質問に答えなかったところで、何か状況が改善されるわけでもないのだ。佐藤には見捨てられ、一人ぼっち。もはや仲間もいない状況で、守らなければならない秘密など無い。
それから少年は、聞かれたことに答え続けた。名前や元々住んでいたところから、いつこの街にやってきたのかまで。今更それを知ってどうなるのか、とも思ったが、もうどうでもよかった。
代わりに少年も、同胞団から情報を引き出そうとした。しかし彼らは少年の質問には一切答えなかった。男たちの質問を遮ると問答無用でスタンガンを押し当てられたので、少年は黙るしかなかった。
が、それでもここがどこなのかある程度想像はつく。
おそらく海岸近くの倉庫街にある、同胞団の拠点だ。頭上に見える割れた窓からは絶えず風の音が聞こえているし、わずかに潮の臭いも漂っている。それに今閉じ込められている場所は、どう見ても倉庫の一室だ。同胞団の拠点は倉庫街にあるから、そこのどこかだろう。
「お前の仲間は? もう一人いただろう。そいつはどこに行った?」
「知らない」
直後、再びスタンガンの電流を食らう。またもや全身に激痛が走り、痙攣する。5秒ほど高圧電流を食らった後で、再び同じ質問がされた。
「言え。お前が逃がしたんだろう?」
「だから知らないって・・・・・・おい待てよ」
少年の願いも空しく、この日何度目かの電流を食らう。今度は10秒近く高圧電流を食らった。呼吸が出来ず、心臓が止まるのではないかと思った直後、ようやく男がスタンガンのスイッチから指を離した。
「フン・・・どうやら本当らしいな」
「最初からそう言ってるだろう」
「まあ置いていかれて当然だな、戦えない人間に価値なんてないんだから。相方がその場でお前を殺していなかったのが不思議なくらいだ」
「戦えない人間に価値はない」。その言葉が同胞団の価値観を端的に示していた。
同胞団は生き延びるために戦える人間が集まった集団だ。全員が武器を持って、感染者と戦うことが出来る。
だが高齢者や病人、女子供といった弱い存在は、彼らからすれば価値が無い人間でしかない。誰かに守ってもらうことでしか生き延びられない人間は、人手や資源を無駄に消費するだけの存在でしかないのだ。特別な技術…銃の消音器でも作れるようなエンジニアなどは別だろうが、何のスキルもない、消費者としてしか生きられない人間はここでは価値が無いのだ。
そして少年も同胞団との戦闘で負傷し、満足に動けなくなった。そうなってしまえば佐藤が少年を見捨てようと考えるのも当然のことだろう。動きの鈍い少年を守って逃げていたのではいずれ追いつかれてしまうし、少年の存在は佐藤の生存にとって必須ではないのだから。
佐藤は一人でも十分生き延びて行ける戦闘能力とサバイバル技術を持った人間だ。今まで少年と一緒にいたのは、少年もある程度戦える人間で役に立ちそうだったから。戦えなくなった少年に価値はない、置いていった方が身軽に行動できる。だから彼は少年を殴り倒し、同胞団を足止めするための生贄として利用したのだ。
「そうだ…僕に価値なんてない…」
同胞団の男たちが嘲笑う声を聞きながら、少年はそう呟いた。
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