第一三六話 因果応報なお話
天候はますます悪化していた。どうにかマンションを抜け出したものの、同胞団は追撃の手を緩めてはいない。
佐藤に引きずられるようにして、少年は撃たれた足を庇いながらどうにか歩いていた。足を撃たれ、転んだ際に足首を挫いたせいで、さらにその動きは鈍っていた。走ろうと思ってもせいぜい早歩き程度でしか移動できず、背後から迫り来る同胞団から逃げ切るのは難しいと感じていた。
佐藤が時間を稼いでいる間に少年が前進し、ある程度まで進んだら佐藤も少年の後を追って走り出す・・・という形でどうにか同胞団を抑えつつ前進できているものの、距離は徐々に詰まってきている。既に佐藤と少年がマンションから脱出したことを察知したのか、マンションの包囲に回っていた同胞団員らも少年たちの追跡に当たっている。
さらに、どこへ逃げたらいいのかもわからない。敵は同胞団だけではないのだ。双方とも消音器付の銃を使っていたとはいえ、騒ぎすぎた。いつ感染者に気づかれ、襲い掛かられてもおかしくはない状況だ。どこから感染者が飛び出してくるかわからない状況で、適当に走り回るわけにはいかなかった。
「走るのは・・・無理そうだな」
少年の足に目をやり、佐藤がそう呟く。出血は止まっているが、撃たれた足は未だに熱を持っており、さらに足首を挫いたことでどうにか歩くのが精一杯といった状況だった。
車があれば走れずとも問題なかっただろうが、あの銃弾が飛び交う状況で駐車場まで移動し、さらに何の防弾装備も無い車で脱出を図るのは自殺行為も同然だった。仕方なく、車は置いてくるしかなかった。
だからといって、映画かドラマのように「置いていってくれ」などというつもりは少年には無かった。置いていかれたら、その先に待っているのが死であることは容易に想像できた。
身勝手なことだとはわかっているが、少年は佐藤に見捨てられたら困ると考えていた。いくら銃を持っているとはいえ、敵もそれは同じだし、しかも単純な人数だったら向こうのほうが多い。いくら佐藤が特殊部隊の隊員とはいえ、相手が銃を持っており、数もこちらを上回っている状況ならば、練度が高いというアドバンテージにも限りがある。
同胞団もすぐに包囲を突破されたことに気づき、少年たちを追跡していた。その距離は徐々に縮まってきており、じきに追いつかれるであろうことは想像に難くなかった。
「このままじゃマズイな・・・」
佐藤はそう言ったが、少年にしてみればそんなことはとっくに承知していた。ただ、足が万全な状態であっても、この状況で逃げ切るのは難しいだろう。同胞団を足止めする手段があれば話は別だが、そんな都合のいいものは周囲に見当たらない。
「来たぞ!」
佐藤の声に、少年はとっさに地面に伏せた。その頭上を、背後から誰かが放った音も無く銃弾が通り抜けていく。振り返ると電柱の影に、銃を構える人影が見えた。その人影が同胞団の構成員であることは間違いなかった。
佐藤と少年は電柱に向けて発砲した。同胞団員はすかさず電柱の影に身を隠したが、生憎電柱は大の男一人が十分身を隠せるほど大きくは無かった。
銃弾が電柱を削り、その陰に隠れ切れなかった敵の身体に突き刺さる。悲鳴と共に地面に転がる敵にさらに銃弾を叩き込み、黙らせると、二人は再び動き出した。だが負傷した状態で強烈な雨風に曝され続けた少年の体力は、もはや限界に近い。急速だってあまり取れていない状況で戦闘に突入したのだから、当然だった。
「このままじゃ追いつかれるな」
佐藤がそう呟くのが聞こえた。何か妙案はないかと考えたが、激痛と疲労感に満たされた思考では、何一つ良いアイディアは浮かんでこない。
どこかの建物に逃げ込むにしても、鍵がかかっていない部屋を見つけるまでにどれだけ時間がかかるか。このあたりはウイルス流行初期のパニックをある程度乗り越えた街であり、大半の人々は無事に避難したため感染者も他と比べれば少ない。だからこそセーフハウスを設けたのだが、問題は人々が避難する際に自宅に鍵を掛けていってしまったことだ。
恐らくまた戻って来れると考え、誰かに入られないよう自宅の扉に鍵を掛けていったのだろう。結局家主たちはここではなく別のところで感染者に襲われ、帰ってくることは無かったが、ドアに鍵のかかった家はそのまま残されている。
鍵や扉を破壊せずに家屋に侵入するのは難しい。ピッキングなど出来ないわけではないが時間がかかるし、ドアを破壊して家に隠れたとしても、破壊の跡が真新しい家など即座に同胞団に怪しまれて踏み込まれるだろう。
かといって車で逃げることも難しい。二人が使っていた車は既に逃げ出してきたマンションに置きっぱなしだし、予備の車が置いてある場所も同胞団のいる方角だ。追われているのに、敢えて車を取りに逆戻りする気にはなれなかった。
民家のガレージや駐車場を探しても、家主が逃げ出す時に乗っていったのか停まっている車は少ない。あったとしても、鍵無しでエンジンを掛けるのには非常に時間がかかるし、上手くいく保障も無い。それに、ガソリンやバッテリーが劣化して走らない可能性だってある。
つまり今は、ただひたすら走って逃げ回るしかない、という状況だった。それだっていつまでも続かないだろう。
詰み、の二文字が頭に浮かび始めたその時、ふと佐藤が立ち止まる。敵かと思い前方を見たが、動いているものは見えない。
「佐藤さん、どうしたんですか? 何かあった・・・・・・」
「悪いな」
少年の言葉を遮り、佐藤がそう言った直後、少年の視界にグローブを嵌めた佐藤の拳が大写しになった。額に強烈な衝撃を感じ、少年は佐藤に殴られたのだと理解した。
何故と思う間もなく身体から力が抜け、地面に崩れ落ちる。90度傾いた視界の中、佐藤が少年の装備から、銃と弾薬を奪っていく様が見える。
「悪いな、このままだと俺まで捕まっちまう」
返してもらうぞ、と佐藤が倒れた少年のホルスターから、元は自分の装備だった消音器付の拳銃を引き抜く。そしてこちらは同胞団から奪った同じく消音器付の短機関銃を、予備の弾倉と共に拾い上げた。
少年から武器を取り上げた佐藤は、周囲を警戒するように足早に走り去っていく。その足取りは負傷していた少年を連れていた時よりも遥かに早く、あっという間にその姿は交差点の向こうへと消えてしまった。
うつ伏せに倒れたまま、少年は身動き一つ取ることが出来ないでいた。急速に暗闇に包まれていく視界の中で、少年は佐藤に置いていかれたのだとようやく理解した。
何故佐藤が殴ってまで置き去りにしたのか、考えるまでも無かった。自分は佐藤に足手まといだと判断されたのだ。だから佐藤はこれまで少年がやってきたように、自分が生き延びるため少年を同胞団への生贄として置き去りにしていった。
今度は自分の番か。少年は自分自身を嗤い、そして今度こそ意識を失った。
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