第一三五話 Armor Zoneなお話
麻薬で痛覚を鈍らせた敵を相手に、拳銃で挑むのは非力すぎる。銃声が轟き感染者とも戦う羽目になるかもしれないが、強力なライフルを使うことを少年は選んだ。感染者がやってきてしまったら今以上に脱出が困難になるのは火を見るよりも明らかだったが、同胞団相手に効かない銃弾をいつまでも浴びせ続けるよりはマシだろう。
とはいえ、やはり可能な限り発砲は避けたい。幸いマンションの通路は狭いので、刃物を使った接近戦に持ち込む余地はいくらでもある。ラリった同胞団員は痛覚が鈍り、被弾しても構わず突っ込んでくるが、死なないわけじゃない。即死させるほどのダメージを与えれば良いだけの事だ。
敵のリーダーは優秀なのだろうな、と少年は思った。こちらが威力の低い消音された武器しか使えないと考えて、薬漬けになった連中を鉄砲玉として送り込んできたのだろう。薬漬けで痛覚が鈍っているため、胴体はノーガードにして身軽にさせ、攻撃されたら一撃で即死しかねない頭部は防弾ヘルメットでガードする。おまけに敵は消音機付きの武器を持っているから、銃声を気にせず一方的に攻撃ができる。
そんな連中に対抗するには、感染者とも戦う覚悟で銃声が響く強力な武器を使用するか、危険を承知で近接戦闘を挑むしかない。どちらを選んでも、危険なことに代わりはない。
自動小銃を構えた少年は、マンションの廊下を静かに進んでいった。エントランス側からは既に敵が乗り込んできているだろう。となると駐車場を突っ切って逃げるしかないが、全方位から包囲されているのであれば、既に駐車場にも敵が潜んでいる可能性が高い。
幸い上の階には、非常用の避難用シュートが備え付けられている。弾薬もいくらか持ち込んであるし、食料だってある。逃げ出すのも、籠城するのもいい。ただ一人で戦うのも逃げるのも生存の確率を狭めるだけなので、今は佐藤との合流を目指す。
小銃を構えながら廊下を進んでいると、突然横から何かの気配を感じた。とっさに頭を下げた次の瞬間、少年の横にあった金属製のドアに、火花と共に次々と穴が開いていく。消音器付きの銃で撃たれたらしい。
少年は顔を上げ、手にした小銃の引き金を引いた……が、銃はカチリという乾いた音を立てるだけで、銃口から銃弾が飛び出して行くことはない。
不発弾か? そう考え、素早くボルトハンドルを引いて手動で次弾を装填する。そして再び引き金を引くが、やはり発砲できなかった。
先ほど敵に殴られそうになった際、小銃で受け止めたせいでどこかにガタが来てしまったらしい。舌打ちとと共に弾倉を外し、先ほど排出した銃弾と共にポーチへと放り込む。壊れたライフルは、捨てるしかなかった。
少年が発砲できないのをチャンスだと思ったのか、それまでマンション駐車場の植え込みに姿を隠していた敵が立ち上がり、走って一気に距離を詰めてきた。その手にはやはり消音器付きの短機関銃が握られており、頭はヘルメットで覆われていた。
敵は腰だめに構えた短機関銃を連射しながら、駐車場を突っ切って一気に少年のいる廊下へと距離を詰めてくる。壊れたライフルの代わりに少年は拳銃を発砲したが、動く相手にはなかなか当たらない。当たったとしても麻薬でハイになった敵には、消音のため減装薬された銃弾はさほど効果がなかった。
敵は弾切れになった短機関銃の代わりに、刃渡り30センチはありそうな短刀を手に少年に飛び掛かる。少年は拳銃の弾が尽きるまで発砲を続けたが、やはり敵は止まらなかった。弾切れになった拳銃をホルスターに戻し、少年は鞘から抜いたナイフを逆手に構える。
怒声と共に振り下ろされた短刀を間一髪でかわし、がら空きになった敵の脇腹を切りつける。鮮血がほとばしり、敵が呻き声を上げたが、すぐに怒りの声に変わった。普通だったらケガをすると戦意を喪失するものだが、麻薬で感覚が狂った同胞団の連中は、痛みすら怒りの力に変えて戦うらしい。
この時ばかりは敵が重たい防弾ヘルメットを被っていたことが幸いした。防弾バイザー付きのヘルメットは重く、視界も悪い。麻薬で痛覚を鈍らせた敵は中々死んでくれないし、馬鹿力を発揮した一撃を繰り出してはくるものの、その動きは隙だらけだった。
その身体に飛びつき、逆手に握ったナイフを敵の腹に突き立てる。呻き声が上がったが、それだけだった。筋肉が収縮し、深々と敵の身体に刺さったナイフが抜けなくなる。少年はナイフから手を離すと、廊下の端に置かれていた消火器を拾い上げた。
さすがにナイフが腹に突き刺さっているせいか動きは鈍っていたが、それでも敵はまだ戦いを止めようとしていなかった。少年はふらつく敵の頭目がけて、両手で消火器をフルスイングする。少しヘルメットが大きすぎたのか、よく締まっていなかった顎紐が宙に舞い、敵の頭から防弾バイザーの付いたヘルメットがすっぽ抜けて飛んでいく。
吹っ飛んだヘルメットのバイザーの下には、血走った眼をぎらつかせる男の顔があった。その顔を見て少年は、感染者そっくりだな、と思った。
いや、本質的には同じなのかもしれない。恐怖心を薬物で抑え込み、感覚を麻痺させ、わずかに残された理性の使い道は相手をいかに殺すかということ。こうなってはもう、感染者と同じだ。人の言葉がわかるか否かの違いしか残っていない。
少年はヘルメットが吹っ飛んだ男の頭に向けて、再度消火器をフルスイングした。鈍い音と感触と共に、男の頭が大きく歪む。倒れ込んだものの、まだ立ち上がろうとする男の頭に、少年は消火器を思い切り振り下ろした。
ぐしゃっという湿った音がした。男の身体が一度大きく痙攣し、それから手足が引き攣ったようにわずかに動く。だが、立ち上がる気配はない。さすがに痛覚が麻痺していたとしても、頭を消火器で叩き潰されれば流石に死ぬだろう。
少年は頭の潰れた男の死体に近づき、まだ熱が残り時折痙攣するその身体から短機関銃の弾倉を奪い取った。そして先ほど男が取り落した短機関銃を拾い上げる。
男が持っていた短機関銃は少年が使っていたのと同じく警察の装備品らしかったが、銃口に30センチほどの円筒が取り付けられているのが目についた。生々しい溶接痕を黒い塗料で塗りつぶしたその金属の円筒は、どうやら自作の消音器らしい。
少年も以前短機関銃に取り付ける消音器を自作したが、一発しか撃てない消音の自作消音器とは異なり、同胞団が製作した消音器は耐久性も消音性も十分あるようだ。しかも手製とはいえ、溶接機などの工作機械を使って作られた形跡がある。同胞団には機械工作に詳しい人間も加わっているに違いない。
消音器付きの短機関銃に弾を装填し、自動小銃に代わりに構えて前進する。短機関銃も拳銃弾を使うため威力は自動小銃に比べれば段違いに低いが、それでも拳銃に比べればだいぶマシだ。どのみち、自動小銃は壊れてしまったため使えない。
「おう、無事だったか」
その声と共に、佐藤が姿を現した。手にした消音器付きのカービン銃の銃口からは、熱した銃身に雨が当たったのか湯気が立ち昇っている。弾が掠ったのか、迷彩服の袖が破れて血が出ていた。
「佐藤さんこそ血が出てますよ、大丈夫ですか?」
「俺は問題ない、お前は…」
そう言いかけた直後、佐藤が少年を地面に引きずり倒した。次の瞬間、頭上にあった蛍光灯が粉々に砕け、二人に降り注ぐ。駐車場から廊下に向かって、同胞団が発砲してきたらしい。
「あいつら、薬物でラリった連中と、そうでない連中の二組がいるらしい」
カービン銃で応射しつつ、佐藤が言った。少年も顔を上げ、廊下の壁を盾に敵から奪ったばかりの短機関銃を構える。だが外には暗闇が広がっている上に、雨で視界も悪い。さらに消音器を装着しての発砲では銃声も発射炎もほとんど外には出ない。それでも佐藤は経験から敵がどこから撃ってきているのかわかるようだった。
暗闇の中からでは敵がどこから撃ってきているのかわからない。そんな少年の様子を察したのか、佐藤がレーザー照準器を点灯した。暗闇の中を蛍の光のように赤い光点が舞い、続いて佐藤が同じくカービン銃に取り付けられたフラッシュライトを点灯する。
強烈な光が闇を切り裂き、駐車場と道路を隔てる生垣を照らし出す。空から降り注ぐ雨粒がカーテンのように浮かび上がり、その向こうで蠢く人影を確かに少年は目の当たりにした。
藪に隠れている敵は、マンション内に突入してきた連中とは異なり、ヘルメットなどは身に付けていないようだった。しかし軽装であることを自覚しているのか、物陰に身を隠しながら銃撃を行っている。クスリ漬けになった連中は恐怖心が抑えられているため、堂々と身を曝しながら発砲していたが、今相手にしている敵は明らかにこちらの銃撃を警戒している。彼らが、クスリ漬けにはなっていない「まともな」同胞団の敵なのだろう。
敵はやはり手製の消音器を取り付けた短機関銃で武装していた。ヤク中になった連中と違って厄介なのは、こちらの攻撃を警戒して距離をとりつつ攻撃してくることだった。薬物で恐怖心を麻痺された連中だったなら、多少の被弾はものともせずに突っ込んでこちらを殺そうとしてくる。だが理性と恐怖心を保ったままの連中は、中々姿を見せようとしないし、近づいて来ようともしない。
強風と大雨に曝されながらの銃撃戦なので、銃弾は中々命中してくれない。風で手はブレ雨で視界が悪く、このような状況で撃ち合って当てるほうが難しい。もっともその事情は敵も同じなようで、敵が放つ銃弾も少年たちに命中したりはしない。
とはいえ、この銃弾の浪費が長く続くことはないだろう。同胞団は隙を見てはヤク中の構成員を突っ込ませようとしてきており、彼ら自身もどうにかマンション内に乗り込もうとしている気配があった。佐藤の話しが本当ならば既にマンションの周囲は同胞団に包囲されたと見ていい。どうにかして包囲網を突破できなければ、二人は袋のネズミも同然だった。
既に一階には敵の侵入を許してしまっている。少年はたった今自分が逃げてきたエントランスから、複数の敵が姿を現す様を見た。防弾バイザー付のヘルメットを被っていたので、クスリ漬けになった連中だろう。
少年と佐藤は階段の上からそれぞれ銃を連射した。少年が敵の足を狙って動きを鈍らせたところを、佐藤が頭部を撃ち抜く。防弾仕様のヘルメットといえど、至近距離からライフル弾を受けても耐えられるほど頑丈ではない。二人ばかりを倒したところで、「キリがないな」と佐藤が呟いた。
「一階の部屋を通ってここから逃げるぞ。必要なものは持っているな?」
「必要なもの」とは、武器と弾薬、それに数日の生存に必要な食料や医薬品のことだ。それらならば最初の脱出を試みていた際に既に身に付けていたため、わざわざ取りに戻る必要は無い。このマンションはセーフハウスとして利用していたため、武器弾薬や食料などを備蓄しているが、この状況ではそれを取りに戻る暇は無いだろう。残念だが、置いていくしかない。
佐藤が階段を駆け下りて手近な部屋のドアを開き、室内に飛び込んで内部の安全を確認する。そして窓から外を見て、道路の様子を確認した。安全を確認したのか、「いいぞ、来い!」と手を振る。外にも敵はいるのだろうが、どうにか突破できると判断したのだろう。
少年が部屋に逃げ込もうとしたその時、突然左足の脛の辺りに強烈な熱さを感じた。続いて激痛が襲ってきて、少年は自分が撃たれたのだと理解した。それでも何とか部屋の中に飛び込んだまでは良かったが、足を打たれていた少年は上がり框で躓いてしまい、大きく玄関に倒れこんだ。開いたドアからすぐさま防弾ヘルメットを身に付けた同胞団員が姿を見せ、大きく短刀を振り上げて少年を殺そうとする。
そこへ窓際に行っていた佐藤が、カービン銃を連射しながら玄関に戻ってきた。同胞団員が被ったヘルメットの防弾バイザーが内側から真っ赤に染まり、力を失った身体が廊下側へと仰向けに倒れる。その背中が床に着く前に、佐藤はこれ以上部屋に侵入されないようドアを閉め、鍵をかけていた。
「大丈夫か?」
見るとズボンの裾が一直線に裂け、赤い血が流れ出していた。どうやら銃弾は少年の足を掠めるに留まったようだが、それでも数センチに渡って肉と皮を削がれた痛みは尋常ではない。
「立てるか?」
佐藤のその言葉にどうにか立ち上がったものの、走るのは到底無理だろう。筋肉や骨までは傷ついていないだろうが、それよりも痛みが酷い。身じろぎするだけでも激痛が脳まで突き上げてくる。
「ここを離れる、急げ」
佐藤は右手でカービンを保持しつつ、左手で抱えるようにして少年を立たせ、窓際まで移動させた。ガラスが割れた窓から外を覗いたが、既に窓の外にいた敵は佐藤が倒した後なのか、動くものは見当たらなかった。
だがすぐに別の敵が少年たちの進路を塞ぐべく回りこんでくるだろう。そうなる前に何としてもこのマンションを脱出しなければならないが、足を撃たれた今それも難しい。
窓から外に出て、狭い庭と道路を隔てるレンガの壁をよじ登る。大人の胸ほどの高さしかないが、撃たれた足を引きずって登るのはかなりの重労働だった。力を込めて踏ん張るほど、撃たれた足から血が流れる。
下から佐藤に押してもらってどうにか塀を乗り越えたが、既に少年には体力はほとんど残っていなかった。道路にはマンションの部屋の中から佐藤に射殺された同胞団員の死体が転がっており、その身体から流れた血が雨水と共にどぶへと吸い込まれていく。
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