第一三四話 ナイトレイダーなお話
外は雨が降りしきり、風も強く吹いている。街中に灯りはなく、どこまでも続く暗闇が広がっている。
この状況では、誰かが近づいてきてもわかりはしないだろう。少年は両手を縛った男を前に立たせると、マンションの廊下を階段に向かって歩き始めた。雨でたちまち服が水を吸って重くなり、さらに吹き付ける風が体温を奪っていく。
「おい、寒いんだけど」
男の抗議の声に、少年は蹴りで返答した。悶絶してうずくまる男を強引に立たせ、少年は階段を降り始める。
空が一瞬光り、続いて耳をつんざく雷鳴が轟く。空を見上げると、黄色とも紫とも言えぬ色の稲光が、龍のように空に輝いていた。
「ゴースト、こちらデッドマン。天候が悪化してきました。合流はまだですか?」
『デッドマン、こちらはまだ戦闘中。風のせいで弾が当たらない。周辺に敵の姿は見えるか?』
少年は階段から、マンションの周辺を見回した。と言っても暗いせいでどこに何があるのか、ほとんどわからない。暗視装置を装着しても、視界は真っ白に染まってしまう。肉眼で雷の光を頼りに周囲を見た方が、まだマシなレベルだ。
「確認できません、今のところは」
『わかった。こちらでも敵の姿を見失った。さっさとここを離れるとしよう。エントランスで待っていてくれ』
了解、と返し、通信を終える。再び男と共に階段を降りようとしたその時、稲妻が空を一瞬明るく染めた。どうやら近くに雷が落ちたらしく、すぐに爆音のような雷鳴が轟く。
その空が明るく光った一瞬に、少年はマンションの近くの道路で何かが動いたのを見た。人間の頭のような丸い物体が、道路のブロック塀の陰からわずかに覗いている。目を凝らしていると、再び雷鳴と共に空が明るくなり、少年は自分が見ているものが半壊したカーブミラーであることにようやく気付いた。
この暗さに加え、風の音で足音も聞こえない状態では、目の前に敵が来るまでその存在を察知するのは難しいだろう。少年は再び男の襟首を掴むと強引に立たせ、一階のエントランスを目指す。吹き付ける雨で既に二人ともびしょ濡れだった。
「こんな状態なのに外に出るなんてどうかしてるぞ!」
「黙ってろ」
少年がそう返すと、男はニヤリと気味の悪い笑顔を浮かべた。
「そうか、わかったぞ。俺の仲間が来てるんだな? だから慌ててここから逃げ出そうとしているんだ」
「……」
「そうかそうか、これでお前たちもお終いだな。今のうちに投降しろ、俺が悪いようには――――――」
「黙れと言ってるんだ」
少年が拳銃のグリップで背中を殴りつけると、男はうめき声を上げてよろめいた。が、仲間が来たことに勇気づけられたのか、先ほどまでの怯えた態度はどこかへと消えている。
このままでは気を抜いた隙に、反撃されてもおかしくない状況だ。仮に手を出して来たら容赦なく撃とうと心に決めつつ、少年は男の襟首を掴んで一階のエントランスを目指す。
エントランスの中は、マンションの住民たちが出て行った時のままの状態が保たれていた。床に散らばったチラシやダイレクトメールの葉書は湿気に晒され続けたせいでしわだらけになり、開いたままの通用門から入ってくる風がそれらの紙切れをエントランスの奥へと押し込んでいく。エントランスの中も当然真っ暗で、外で時折轟く雷の光だけが入口から入ってくる。
「ゴースト、こちらデッドマン。エントランスに到着、そちらは?」
『今から下に降りる。警戒を怠るな、オーバー』
少年は改めて拳銃に消音器が取り付けられていることを確かめ、グリップのボタンを押して弾倉を排出した。弾倉に9ミリ弾が15発フルに装填されていることを改めて確認し、スライドを軽く引く。薬室に収まる金色の銃弾を確認して、少年は男に膝蹴りを食らわせその場に跪かせた。
雷雨は徐々に勢いを弱めつつあった。佐藤はまだかと何度も背後の階段を振り返る少年と、形勢逆転だとばかりにほくそ笑む男。そんな中で少年は小さくなりつつある雨音に交じって、何かが近づいてくる足音を確かに聞き取っていた。
足音は外から聞こえた、ような気がした。佐藤が屋上から下りてくるとすれば、わざわざ外から入口を通ってくるはずがない。少年は暗視装置を目に当てると、消音器付きの拳銃を構えた。マンションの入り口からは道路と、路肩に放置されたままの乗用車が何台か見える。
男がまた何かを言おうとしたので、少年は持っていたバンダナを猿轡代わりに男に噛ませた。そして廊下に置かれた大きな観葉植物の陰に男を引きずり込むと、自身は入口正面に位置するエレベーターホールの柱の陰に隠れる。暗視装置を当てた目をわずかに柱の陰から出すと、ガラス戸が開いたままの入り口から、一つの人影がエントランスに入り込んできた。
長いコートを着込み、手には短機関銃を構えた男性らしき人影。らしき、というのは、そいつの頭部が防弾ガラスを備えたヘルメットに覆われていたからだった。厚さ一センチはありそうな、ポリカーボネイト製の防弾バイザーを備えたヘルメット。武器と首から上だけは、まるで警察の特殊部隊のようだった。
そんなアンバランスな格好をした男が、短機関銃を手にマンションのエントランスに足を踏み入れる。その足取りからは、いささかの恐怖心も感じられない。少年がすぐ先で待ち構えていることなど考えてもいないようだ。
これが佐藤が言っていた、敵の正体だろう。暗視装置越しなので色は見えないものの、腕に布を巻いていることから同胞団の一味と考えて間違いない。すぐに発砲したい衝動に駆られたが、威力も命中精度も小銃に劣る拳銃では、ギリギリまで引き付けてから発砲しなければ効果がない。
頭はヘルメットに守られているから、狙うべきは胴体だ。見た限り、敵は防弾チョッキなどは身に着けていないようだった。胴体に数発撃ち込み、確実に息の根を止める。
少年は息を吐き、敵が10メートルの距離まで迫ったその時、上半身だけを柱の陰から出して引き金を引いた。敵の同胞団員は腰だめに構えていた短機関銃の引き金を引く間もなく、少年の銃火に晒される。消音器越しの、くぐもった銃声が狭いエントランス内に反響する。
敵の胸から何かが飛び散るのが見えた。撃たれた同胞団員は声もなく仰向けに倒れ、被っていたヘルメットが床に当たる音が響く。胸に三発、これで確実に戦闘能力は奪った。まだ息があっても、じきに死ぬ。
とどめを刺そうと拳銃を構えなおしたその時、少年の頭上にあった蛍光灯が粉々に砕けた。同時に少年の背後にあったエレベーターの扉に、火花と共に小さな穴が開いていく。
銃撃。砕けた蛍光灯の破片が降り注ぐ中、少年はとっさにその場に伏せた。音もなく飛来する銃弾が次々と壁に穴を空けていく。発砲につきもののはずの銃声は聞こえない。
「ゴースト、こちらは銃撃を受けている。敵の位置は不明、銃声も聞こえない」
『こっちも足止めを食らってる。連中、消音器付きの銃を持ってるようだ』
無線機越しに佐藤の声と、かすかな銃声が聞こえてくる。佐藤の方は、エントランスに来る途中で敵と遭遇したのだろう。となると、一人でこの状況をどうにかしなければならない。
少年は暗視装置を外し、外の暗闇に目を凝らす。道路の向こう、放置車両の陰で何かが蠢いているのが見えた。それが敵であると判断できたのは、消音器で抑制された僅かな銃火がその手元から迸るのが見えたからだった。
複数の敵が、道路からマンションのエントランス目がけて銃撃を行っていた。拳銃では到底当たらない距離で、ライフルは発砲音が響くため使いたくはない。どうするかと少年が考えていると、不意に銃撃が止んだ。
その瞬間、通路を挟んで反対側に隠れていた捕虜の男が、入り口目がけて飛び出す。
「おい、待て……!」
少年が拳銃を構えた時には既に遅く、男は入口から外に向かって駆け出していた。
「助けてくれ!」
銃撃戦の最中でパニックに陥ったのか、それとも仲間に助けを求めようとしたのか。男は喚き声を上げながら仲間である同胞団員の元へと走ったが、同胞団の者たちは銃弾で男を歓迎した。
男の身体が複数の銃弾に貫かれ、下手くそなダンスを踊るかのようにその身体が揺れる。少年が手を下すまでもなく、男は死んだ。誤射だったのかそれとも敢えて撃ったのかはわからないが、自分の仲間たちの手で殺されたのだ。
再び銃撃が止む。エントランスでの合流は危険でしかない。少年は無線機のマイクを押し、佐藤を呼ぶ。
「ゴースト、こちらデッドマン。捕虜が死亡。エントランスの外には敵が複数いて、合流は困難です。後退してそちらに――――――」
続きを言おうとした少年の目の前で、目を疑うようなことが起きた。先ほどエントランス内で射殺したはずの敵が、呻き声を上げてその上半身を起こした。
少年は確かに、エントランスに足を踏み入れた敵の胸に3発銃弾を撃ち込んだ。防弾チョッキでも身に付けていない限り致命傷になることは避けられないし、少年自身撃たれた敵から飛び散る血を目の当たりにしている。辛うじて致命傷にならずとも、激痛で動けないはずだ。
それなのに敵は上半身を持ち上げて、うめき声を上げつつも立ち上がろうとしている。少年は再び、ヘルメットで防護された頭を避け、敵の胸に二発銃弾を撃ち込んだ。被弾したはずの敵は上半身を大きく揺らしたが、それだけだった。
「嘘だろ・・・・・・」
数発の銃弾を食らったはずなのに、痛そうな素振りはこれっぽっちも見られない。撃たれても怯まずに突進してくる、感染者そっくりだった。
まさか同胞団は銃を撃てる感染者を飼いならしているのか? そんな考えが一瞬頭をよぎる。だがすぐにありえないと否定し、一旦後退する。敵は血を流し、呻き声とも怒声とも取れない不気味な声を上げながら少年の後を追う。
少年は後ずさりしながら、追ってくる敵に拳銃を発砲した。だが今度はどちらも動いているせいか、放たれた銃弾はほとんど当たらなかった。当たっても腕や足をかする程度だったが、それでも敵は止まらない。
「なんだよコイツ・・・・・・!」
立ち止まり、頭を狙って撃つ。わかってはいたが、防弾のヘルメットに銃弾が弾かれた。分厚い防弾バイザーの奥にある瞳は、まっすぐ少年を狙っている。
さっき撃たれた時に取り落としたのか銃こそ持っていないものの、少年は撃たれても追ってくる敵に恐怖を抱いていた。ライフルと散弾銃は持っている。使えばヘルメットは貫通できるかもしれないが、銃声が響いて感染者が集まってきてしまうだろう。いやそもそも、コイツに銃は通じるのか。自分は死なない敵と戦っているのではないか――――――。
そんな恐怖で焦ってしまったのか、後ろ歩きをする足がもつれ、少年は転んでその場に尻餅をついてしまった。手にした拳銃は弾切れで、スライドが後退したまま。慌てて迫る敵にライフルを構えようとしたが、それより敵が少年に殴りかかってくるほうが早かった。
とっさにライフルでその拳を受け止める。物凄い衝撃に手が震える。顔面に右ストレートを食らう事態は避けられたが、代償としてライフルが廊下の片隅まで吹っ飛んでいってしまった。
「死ねえぇぇぇええっ!」
防弾バイザーの向こうから罵声が上がり、拳が飛んでくる。そこでようやく少年は、敵が人間であることを理解して安堵した。言葉を発するということは、感染者ではない。感染者に言葉を発するだけの知能はない。
少年は繰り出された拳をどうにかかわす。敵は思い切りコンクリート製の壁を素手で殴りつける形となったが、痛がる素振りは見えなかった。手の甲の皮が裂け、血が流れているが、敵の目はまっすぐ少年を見据えている。
防弾バイザー越しに見える敵の瞳には狂気が宿っていた。そこに恐怖の感情は見られない。そのことに少年は恐怖を抱く。
再び敵が何かを喚きながら突進してくる。今度はその手に、刃渡り20センチはありそうなナイフが握られていた。
もはや躊躇っている暇はなかった。少年は背負ったリュックから突き出した散弾銃のグリップを掴むと一気に引き抜き、敵の懐に飛び込む。
胴体に何発撃ち込んでも敵は怯まないし、倒れない。なら、頭を撃つしかない。
敵の頭はヘルメットで防護されているから、遠くから撃ち込むのでは意味がなかった。少年は銃身と銃床を切り詰めた上下二連式散弾銃のグリップを握ると、敵が振るったナイフの刃をしゃがんで回避する。そして立ち上がる勢いを利用して、手にした散弾銃の銃口をヘルメットで守られていない敵の喉元に押し付けた。
引き金を引いた瞬間、鈍い銃声と共に血の雨が降った。
至近距離から発射された散弾は敵の頭を粉々に吹き飛ばした。防弾バイザーが内側から真っ赤に染まったヘルメットがくるくると飛んでいき、顎から上が焼失した敵の身体がその場に膝をつく。下顎しか残っていない頭に忘れたように残っている舌だけが、吹き流しのようにひらひらと揺れていた。
銃を使ってしまったが、敵は死んだ。どういうわけか痛みにもダメージにも強いようだが、殺せることだけはわかった。
「デッドマンからゴーストへ……敵を一名射殺。こいつら、全然死なないですね」
『ああ。どうやら連中、クスリか何かをやっているらしいな。だから恐怖を感じないし、撃たれても構わずに突進してくる。こっちもそのせいで足止めを食らってる』
「今からそっちに合流します。この分じゃ、すぐにマンション内に敵が入り込んでくる」
『気をつけろ。拳銃じゃ胴体にいくら撃ち込んでも倒れないぞ。やるなら動かなくなるまで銃弾を叩き込むしかない』
「何とかします。以上」
少年は既に死んだ捕虜の男が持っていた、白い粉のことを思い出した。
敵はどうやらラリっているらしかった。撃たれて怯まないのも、恐怖を感じていないのもそのためだ。わずかに理性が残っている感染者も同然ということだ。
威力の弱い拳銃、それも消音効果を高めるため弱装弾を使用しているとあっては、胴体にいくら撃ち込んだところで簡単には死んでくれないだろう。かといって頭部は防弾ヘルメットに覆われているから、拳銃弾ではまともなダメージは与えられない。
こうなれば感染者が集まってきてしまうことを覚悟で、強力なライフルなどを使っていくしかない。感染者と薬漬けになった敵、どちらがマシなのだろうかと考えつつ、ライフルを拾い上げた少年は佐藤のところへ急ぐ。
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