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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第三部:逆襲のお話
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第一二六話 オデノカラダハボドボドなお話

「お前、その内死ぬぞ」


 少年の腕に包帯を巻きながらそう言ったのは、今まで別行動を取っていた佐藤だった。少年は三つの死体が転がり、血で赤く染まった音楽室の床に座り込み、黙って彼の手当てを受けていた。


「どうして俺が音楽室にいるってわかったんです?」

「そりゃ、お前たちがご丁寧にパン屑代わりの死体を通った後に残していってくれたからな。集まって来ていた感染者を全部排除するのには時間がかかったが」


 佐藤は同胞団の茶髪が放った銃声を聞いて、急いで少年のいる教室棟までやって来たらしい。そこで少年と同胞団が協力して作り出した感染者たちの死体の後を追って、音楽室にたどり着いたのだそうだ。

 やはりこの学校にはまだ感染者が残っていたようで、少年たちが逃げ込んだ音楽室の周辺には感染者が集まってきていたらしい。それらを全て消音器付きの銃やナイフで始末し、佐藤が音楽室の扉を開けた時には、少年がこの騒動の元凶となった同胞団の三人を殺していた。


「あれ、全部お前がやったのか?」


 佐藤の問いに、少年は無言で頷いた。先ほどまで抱いていた奇妙な高揚感はどこかへと消え失せ、代わりに全身を切り裂かれた激痛が少年の意識を満たしている。


「大したもんだ、銃も使わずに三人も相手にして勝つとは」

「運が良かっただけですよ」


 本当にその通りだと少年は考えていた。もしも手近なところにモーツァルトの肖像画がなかったら。もしも投げつけた弾倉が狙いを外していたら。もしも巨漢が仲間の死に動揺もせず冷静なままだったら。もしも最後に残った男が、巨漢が死んだ直後に銃を発砲していたら。

 そう考えると少年が同胞団を相手に生き残れたのは、実力ではなく運が良かったからだと言えた。そして今まで運が良かったからこそ、少年は今も生きていると言える。死神が鎌を振るった時に、たまたましゃがんでいたから助かったのだ。


「ま、運も実力のうちってやつだ」


 佐藤は少年の止血を終えると、同胞団の連中が置いていったボストンバッグを漁り始めた。バッグの中には高校で見つけたらしい、自動小銃や拳銃が銃弾と共に収まっている。


「この音楽室に来る前に職員室を覗いたんだが、中には自衛隊員の死体がいくつかあった。武器や弾薬がなくなっていたから、そこから取っていったんだろう」


 自動小銃のボルトハンドルを引き、滑らかに動くか確認しながら佐藤が言う。職員室というと、同胞団の連中が飛び出してきたところだ。同胞団が倒したのか、それともずっと前に倒したものなのかは言っていなかったが、この高校に武器弾薬の集積所があるというわけではないのだろう。

 それに得られた武器も自動小銃が三丁と、拳銃と短機関銃が合わせて数丁と微々たるものだ。既にに少年と佐藤はそれらの武器を手に入れている。二人が欲していたのはもっと強力な武器であり、弾が増えたことくらいしかありがたみを感じられなかった。


「じゃあ、死体でも漁りますか」

「そうだな。お前はそっちの茶髪野郎を頼む」


 佐藤はそう言って、床に崩れ落ちた巨漢の死体をひっくり返した。少年も佐藤に倣い、自身がその首を切り裂いたばかりの茶髪の身体を仰向けにする。茶髪の男の死体は未だに温もりがあったが、じきに冷えて死後硬直で硬くなるだろう。茶髪の服にしみ込んでいた血液が裾から垂れて、少年のブーツの上に滴り落ちた。

 役に立ちそうなものと言えば、拳銃の予備弾薬。ライターや折り畳み式のナイフ。そしてタバコが一箱だけだ。どこかに同胞団の連中についての情報などが書かれた地図でもないかと死体のポケットを漁ったが、何も見つからない。


「ハズレか……」

「こっちはそうでもないぞ」


 そう言って佐藤が、巨漢の死体から見つけたらしいA4サイズの紙きれを振った。ところどころが血で汚れたその紙はどうやら地図のようで、あちこちにマルやバツ、そしてアルファベットが描かれている。そしていくつか記号が記されているが、それらが何を意味しているか少年にはさっぱりだった。


「これは?」

「ここにいた自衛隊員が置いていった地図だろう。ここの近くにある街のものだな。部隊の展開状態が描かれている……大半は感染者にやられて通信が途絶したみたいだが」


 地図に描かれているバツがそれなのだろうか。少年は記号が何を表しているのか全く理解できていないが、自衛隊員である佐藤には見慣れたものなのだろう。佐藤は地図に記された記号を指で辿り、『HQ』『Dep』などの文字が書かれた点を指し示す。それらが描かれていた地点は、県営の市民運動公園だった。


「司令部と補給所がこの公園にあったようだ。衛生部隊も展開していたらしい。おそらくこの運動公園に、この地域一帯における避難と感染者対策を担う本部が置かれていたんだろう」

「でもバツ印がありますよ」


 司令部を示す記号は、市民運動公園の文字ごと上から大きくバツを描かれていた。


「移動したのか、全滅したのか……どっちにしろ、もう誰もいないようだな」

「でも補給処が置かれていたってことは、武器や弾薬がまだ残ってるかも」

「かもな。撃ち尽くしていたり、撤退する際に焼却処分していないことを祈ろう」


 この地図を同胞団の連中が持ち帰っていたら、厄介なことになっていただろう。地図を見たらすぐにその記号の意味がわからずとも、とりあえず自衛隊の展開していた運動公園に行こうとしたはずだ。そしてもしも運動公園に強力な武器や弾薬、装備類が残されていたら、ますます同胞団は手に負えなくなってしまう。佐藤は特殊部隊の隊員で元は一般人の同胞団とは隔絶した戦力能力があるが、銃口の数で負けてしまっていればその優位性もなくなる。


「なるべく、早いうちに武器を確保しておきたい。今日中に運動公園に向かいたいところだが、動けるか?」

「動きますよ」

「ならいい」


 全力で走った上に一戦交えた後で身体はくたくた、おまけにあちこち切られて血も随分と流したが、それでもまだ動ける。それでも荷物を抱えて走り回るのは辛いので、倒した同胞団が持っていた銃火器や、少年が元々背負っていたリュックは佐藤に持ってもらうことにした。全部で何十キロにもなろう装備品や荷物を身に着けても、普段と同じく身軽に動く佐藤に少年は驚愕したが。




「僕、やっぱり頭がおかしいんでしょうか」


 少年が唐突にそう呟いたのは、佐藤と共に学校にある教室を一つ一つ隅まで見て回り、最後の一部屋を確認し終えた時だった。校舎の中には避難していた時に逃げ損ねて感染者に殺されたらしき人々の遺体がいくつか残されており、感染者たちもまだ徘徊しているままだった。

 負傷した少年に代わり、佐藤が消音器付きの銃火器で残っていた感染者を全て排除した。弾薬は同胞団が持っていたのと、彼らが自衛隊員の感染者から奪ったものがあったので潤沢と言えた。そして最後の一部屋を見て校舎から感染者がいないのを確認して、ようやく少年は佐藤に自分の気持ちをぶつけてみた。


「僕、さっき同胞団の連中と戦っている時に笑っていたんです。あちこち切られて痛くて、下手したら……下手しなくとも自分が死んでいたかもしれない状況なのに、楽しいとでも言わんばかりに笑ってたんですよ。いや、僕がそう感じていなかっただけで、本当は楽しんでいたのかもしれない。戦いと殺しを」

「それで、自分が頭がおかしい人間なんじゃないかって?」


 佐藤の問いに、少年は無言で頷いた。

 これまで少年は大勢の人の命を奪ってきた。自衛のためにやむを得ないものもあれば、完全に利己的な理由で殺害した人々もいる。だが楽しみのために誰かを殺してきたつもりはなかったし、殺し合いの最中にも楽しいと感じたことなんてなかった。

 だがあの時死体の瞳に映っていた少年の顔は、確かに笑っていた。本当に自分はまともな人間なのか? 身を守るためだの何だのと言い訳して、本当は誰かを殺したくてたまらない人間なんじゃないのか? そんな狂った人間にとうとう自分はなってしまったのか? そんな疑問と恐怖が少年の頭の中に渦巻いていた。


 少年は自分がまだ、理性のあるまともな人間であると信じていた。だがもしも自分が気づいていないだけで、本当は狂っている人間なのだとしたら。自分の知らない本性、それも自分が狂気を孕んでいる人間であるかもしれないということに、少年は恐怖を抱いていた。

 だからこそ佐藤には、「違う」と言ってほしかった。数多くの困難を乗り越え、様々な経験をしてきたであろう佐藤ならば人間の本性についても詳しいだろう。そんな佐藤に自分はまともな人間であると太鼓判を押してもらいたかった。しかし……。


「お前が自分のことをそう思っているのなら、そうかもしれないな」

「やはり僕が、頭がおかしい人間だと?」

「そもそも前提が間違ってる。今の世の中で、何が正しくて何が間違ってるかなんて、誰が決めるんだ?」


 佐藤は廊下の片隅に転がっていた、腐敗しきってもはや性別もわからない死体を銃口で指し示した。


「昔だったら笑いながら人を殺すような奴は確かに狂人だと誰もが考えるだろう。だが今は世の中の理が狂っちまった。それまでは盗むな殺すな犯すなの三つを守っていれば平和に暮らせていた世界が、感染者って要素を放り込んだだけでひっくり返った。自分に誰かを傷つけるつもりがなくても、誰かが自分を襲ってくるかもしれない。そしてそれらを予防し取り締まるべき警察は既になく、法律を制定し執行すべき機関も機能停止した。世の中のルールが変わったんだよ。そんな状況でこれまでの常識や考え方なんてものが、これまで通りに通用すると思うか?」


 死体を一瞥しただけで、佐藤は再び歩き出す。


「今じゃ人を殺したって殺人罪で警察が逮捕することも、裁判所で刑罰が決められて刑務所送りになることもない。誰も守らない法律なんて役に立たないし、その法律に守られていた世界は法律が機能停止したことによって無に帰した。人からものを奪い、殺したって今じゃ誰も咎めないだろう。世の中自体が狂っているのに、誰がお前を狂っているかなんて決められるんだ?」

「……」

「もしもこの状況が続いたら、弱肉強食が新しい世の理として通用するだろうな。誰かを殺して物を奪っても、悪いのは殺される方。力がある方が正義で、笑いながら人を殺せる人間がまともな奴だって考えが生まれてくるかもしれない。いや、もうそうなってるかもな」


 佐藤の言う通り、既に警察は壊滅して機能していないし、警察官がそもそもいるかどうかすらわからない。正当防衛どころか私利私欲のために暴力を振るい、誰かを殺したところで、誰もそれを取り締まらないのだ。だからそのような行為に及ぶ人間は大勢いるし、少年も実際にそのような連中とも戦ってきた。

 

「人を殺せる奴が正義で、その中でも何のためらいもなく、むしろ楽しみながら人を殺せる人間がいい奴。そんな世の中になっているのかもしれないぞ。そうなったら仮にお前が殺人に快楽を見いだす人間だったとしても、誰もお前がおかしいとは思わないだろう。むしろ人を殺せない人間、殺せても罪悪感に襲われたり、いろいろと考えてしまう人間の方が狂っていると思われるかもな」


 笑いながら人を殺せる奴がいい人間、そしてそれが当たり前とされる世界。少年はそんな世界を想像してゾッとした。それと同時にそのような世界に恐怖を抱くということは、一応自分にも殺人に対しての禁忌感などがあるのかもしれないと思った。


「お前の本性なんて俺にはわかりっこないさ。本当にお前が殺人や戦闘に快楽を見出している人間なのか、それとも単に戦闘で脳内麻薬がドバドバ放出されて、一時的に感情が昂っていたのか。後者の人間もよくいる、だから自分の頭がおかしいかなんてそんなに考えない方がいい。ただ……」

「ただ、何ですか?」

「お前が確固とした考え方、世の中に対しての見方を持っていない限り、この先も自分がおかしい人間なんじゃないかという考えは拭えないだろう。もしもお前が『自分はこうありたい』『世の中はこうあるべきだ』という自分なりに考え方を導き出し、それを貫き通すことが出来れば、この先お前が自分の行為や姿に悩むことはないはずだ」


 確固とした考えを持つ。そんなことが出来るのだろうか。少年は佐藤の後に続き、昇降口から外へと出ながらそう思った。

 認めたくはないが、さんざん今まで状況に流されてきた人間だと思う。感染者が現れた際には正義のヒーローのように振舞いたいと思いながら、あっさりと自分の身を守るため大勢の人を見捨て、死に追いやった。人殺しはいけないことだと思いつつも、仲間の身を守るためならば簡単に誰かを殺せた。そして自分の身を守るための殺人以外はしないと誓いつつも、襲われるかもしれないという恐怖に駆られ様々な言い訳を並べ立てて先制攻撃も仕掛けた。


 佐藤も悩んだりすることはあるのだろうか。そう尋ねようとして、やめた。少年にとって佐藤はまさしく超人であり、こんなになってしまった世界でも確固たる信念を持って行動している大人に見えた。その佐藤が悩んだり考え込んだりする自分と同じ普通の人間でしかないならば、今度こそ自分が縋れるもの、頼れるものがなくなってしまうような気がした。

 逃げであることはわかっていた。が、少年は今は佐藤が頼れる超人のままでいてほしかった。少年は何も言うことなく、乗って来たSUVの助手席に乗り込んだ。後部座席に銃の詰まったボストンバッグを放り込んだ佐藤が運転席に座り、二人は地図に記載のあった市民運動公園へと向かう。

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