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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第三部:逆襲のお話
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第一二五話 銃なんか捨ててかかってくるお話


 防音構造になった音楽室に逃げ込み、感染者の目からは逃れることが出来た。しかしこれで戦いが終わったわけではなく、むしろ始まりを意味していた。

 少年としては後ろをついてきていた同胞団の3人を音楽室の外に締め出しておきたかったのだが、今さらどうこう言ったところで状況は変わらない。感染者からの逃避行で友情が芽生えるなんてこともなく、こうやって武器を手に対峙している。


 少年は短刀を手に目の前に立ちふさがる巨漢と、茶髪の男に油断なく視線を送った。少しでも気を抜いたら、その瞬間に彼らは飛び掛かってくるだろう。攻撃してくる方向を限定させるため、少年は壁を背にして二人に対峙する。しかし男たちも少年を逃げ場のない教室の角へと追い詰めようと、左右から追い込むようにしてじりじりと近寄ってくる。


 銃が使えればなんてことはないのだが、さすがに防音構造になっている音楽室でも銃声を遮ることは出来ないだろう。会話や大きな声ならばまだしも、発砲した時点で廊下だけでなく学校中に銃声が響き渡り、あちこちの教室や廊下を徘徊している感染者たちが一斉に殺到してくる。音楽室の扉は防音のため分厚いが、感染者の馬鹿力な打撃に耐えられるほど頑丈ではない。


 発砲すれば、一対三の不利な状況をひっくり返せる。同胞団の連中からしても、わざわざ白兵戦を挑むリスクを冒さずに一方的に少年を殺せる。しかし撃った次の瞬間に、戦いの相手は人間から感染者の群れに代わるだけだ。しかもそちらを相手にする方が、人間を相手にするよりもかなり手ごわい。

 だから銃は使えない。少年は斧を構え、同胞団の男たちは短刀を手に、互いの間合いを計っていた。



 先に動いたのは、茶髪の男だった。「ふんっ!」という小さな気合の声と共に、手にした短刀を振りかぶって一気に少年との距離を詰める。男が短刀を振り下ろし、少年は横に飛びのいてその刃を交わした。

 がら空きになった茶髪の脇腹に斧を振り下ろそうとした少年だったが、視界の隅に映った巨漢の姿を見て攻撃を中止し、後ろに下がる。直後、少年がそれまでいた空間を、巨漢が振り下ろした刃が切り裂いていた。

 

 見事なまでの連携だった。後退した少年に攻撃の隙を与えないよう、今度は茶髪が短刀の切っ先をフェンシングでも行うかのように次々と繰り出してくる。後ろに下がってそれらを回避することしかできない少年に、再び巨漢が突進してきた。壁際まで追い詰められていた少年は、とっさに横に転がって巨漢の突進をどうにか避ける。


 三人のうち、一人の男は入口付近に立ったまま常に少年に拳銃の銃口を向けていた。万が一自分たちが敗れそうになった時には、発砲してでも少年を殺すつもりなのだ。しかし今は同胞団が優勢だからか、発砲しようとする気配は感じられない。


「ぐっ……!」


 入口の前に立つ男に気を取られた一瞬に、茶髪が突き出した短刀の切っ先が少年の右腕を切り裂いた。フリースの袖が裂け、日焼けした少年の腕が赤い血で染まっていく。

 傷は浅くなかったが、数センチに渡って皮膚が切り裂かれた。鋭い痛みが脳まで突き上げ、悲鳴を上げそうになる。しかし悲鳴を上げたり絶叫などすれば、校舎の中にいる感染者たちに居場所を悟られる可能性があった。ぐっと悲鳴を飲み込み、少年は痛む右手で再び斧を構える。

 

 少年に傷を与えたことで、男たちも勝てると踏んだらしい。先ほどよりも攻撃が激しくなり、それらを全て避けきることが出来ず、またもやいくつか斬撃を食らってしまった。どれも傷は浅いが、確実に少年に身体を傷つけている。ズボンやフリースの布地があちこち裂けて、そこから真っ赤に染まった肌が覗いていた。

 おそらく男たちは強力な一撃で少年を殺すのではなく、とにかく傷つけてじわじわと衰弱するのを待つ方針に切り替えたらしい。長期戦になれば、一人の少年に勝ち目はない。その上あちこち身体を切られて出血しているのであれば、体力を消耗するペースも早くなる。男たちが急いでいるのでもない限り、少年が死んだ後に感染者たちが周辺からいなくなるのを待てばいいだけだ。


 全身が激痛に悲鳴を上げているが、それと反対に少年の思考は徐々に落ち着きを取り戻し、冷静になっていく。頭に上っていた血が、出血で抜けてきたせいだろうか。

 にやけた茶髪の顔を見て、少年はその顔面に一発拳を入れたい気分になった。素早く教室の中を見回し、何か使えそうなものはないか探した。

 次々と振り下ろされ繰り出される刃を避けつつ、少年は壁に掛けられたモーツァルトの肖像画を空いている左手で掴んだ。力任せに引っ張って壁に留めている釘から外し、素早く短刀の刃先を突き出してくる茶髪に向かって縦のように肖像画を構える。


 茶髪が突き出した短刀の切っ先が肖像画の額縁に突き刺さり、そのまま少年は持っていた肖像画を捻った。茶髪が身体のバランスを崩し、その隙に少年は巨漢の突進を横に飛びのいて回避する。そしてチェストリグに収納していた小銃の弾倉を左手で取り出すと、そのまま茶髪に向かって投げつけた。30発の5.56ミリ弾が収まった弾倉はかなりの重量があり、少年の手を離れた弾倉は姿勢を崩した茶髪の側頭部を直撃した。


「うごっ……!」


 くぐもった悲鳴を上げ、茶髪が両手で頭を押さえて床に倒れ込んだ。指の隙間から真っ赤な血が流れ出し、床に滴り落ちる。巨漢が振り向いて少年に飛び掛かろうとしたが、その前に再び少年が小銃の弾倉を巨漢の顔面へと投げつける。巨漢が右腕を持ち上げて飛んできた弾倉を防いでいる隙に、少年は一気に茶髪の男との距離を詰めた。

茶髪は左手で弾倉の直撃を受けた側頭部をかばいつつも、どうにか右手に握った短刀を振った。傷つきながらもその動きは正確だったが、少年は怯むことなく前に進んで紙一重の動きで突き出された刃先を避けた。そしてそのまま右手に握った斧を茶髪に向けて振り下ろす。


 鈍い感触と共に、無防備なその首筋へと斧の刃が深々と突き刺さった。ぐえっというカエルを踏んづけたような短い悲鳴を上げ、茶髪が目を見開く。少年は左手でその顔にパンチをお見舞いし、その反動でその首に刺さっていた斧を引き抜くと、噴水のように茶髪の首の傷口から血が噴き出した。


「あ、あ、あ……」


 茶髪がうわ言のようにそう言葉を漏らしたのもほんの数秒だけで、糸を切られた操り人形のように茶髪の身体が力を失って床に崩れ落ちる。真っ赤な血はなおも首筋から流れ出し続けていて、茶髪の身体を中心にリノリウムの床へと血溜まりを作っていった。

 部屋の片隅に置かれていた一枚鏡には、返り血を浴びて顔の右半分が真っ赤に染まった少年の顔が映っていた。傷つき全身から血を流し、返り血を浴びたその姿は鬼のようだった。


「この野郎……!」


 怒声を上げて、巨漢が少年に向かって突撃する。しかし仲間を殺された怒りに飲まれ、冷静さを欠いたその動きは、次の行動が読みやすくなっていた。少年は冷静に巨漢の現在位置と彼の握った短刀の高さを把握し、そして一気に前に出る。横や後ろではなく、前へ。少年のその動きを予想していなかったのか、巨漢が動揺するのがわかった。

 巨漢が構えていた短刀を振り下ろした。しかし間合いを計り損ねたその一撃は狙いを外れ、彼の腕が少年の肩を殴りつけただけだった。その打撃だけでもかなりの衝撃があり、傷だらけの身体には堪えたが、少年はさらにひるまず前進した。斧から手を放し、代わりにナイフを引き抜いた少年は、がら空きの巨漢の身体の内側に潜り込むようにして彼の懐へと飛び込んだ。


 巨漢が次の一撃を放つ前に、屈めていた上半身を持ち上げる勢いを利用して、ナイフを握った右手を高々と突き上げる。その手に握られたナイフの刃先は下から巨漢の顎に突き刺さり、口腔を貫通して脳にまで達した。ごりっという鈍い感触がして、ナイフの刃が折れる感触が手に伝わった。


「げっ」


 そんな間抜けな声が、顎の上下をナイフで縫い止められた巨漢の口から洩れた。巨漢が白目を剥き、大きな音を立ててその巨体が床へと崩れ落ちる。少年の手には根元から刃が折れたナイフの柄だけが残った。

 既に死んでいるはずだが、巨漢の身体は奇妙に痙攣していた。少年は冷静に巨漢の傍らに落ちていた斧を拾い上げ、最後に残った入口の男へと目を向ける。

 

 自分たちが圧倒的に優位だったはずだったのに、ほんの数十秒でそれをひっくり返され、仲間二人をあっという間に殺された現実がまだ受け入れられないらしい。入り口で万一の事態に備えて拳銃を構えていた男は、化け物でも見るような視線を少年に送っていた。目と目が合い、「ひっ」と短い悲鳴を上げて慌てて構えていた拳銃の銃口を少年へと向ける。しかしそれよりも少年が手にした斧を男に向かって投げつける方が早かった。


 投擲された斧は回転しつつ、その刃が男の右肩に突き刺さる。悲鳴を上げた男は痛みに耐えられなかったのか、それとも斧が肩に刺さって力が抜けたのか、右手に握っていた拳銃を手放した。少年は巨漢の持っていた短刀を拾い、それを手に床に座り込む男へと近づいて来る。


「来るな、来るなよっ!」


 男が悲鳴を上げ、戦闘開始前に仲間が置いていったボストンバッグの中から短機関銃を取り出そうとした。しかし左腕一本ではそれも上手く行かず、少年がバッグへ向かって伸びていた男の手を蹴りつける方が早かった。乾いた音を立てて、左手の指が数本、ありえない方向へと折れ曲がる。


 そのまま男の身体に馬乗りになった少年は、逆手で握った短刀を男の喉首目がけて振り下ろす。しかし男は指が折れた左手で、振り下ろされた短刀の刃を掴んだ。素手で刃を握った左手から血が流れ出すが、男は構わず少年の振り下ろす短刀を止めようとし続けた。しかし少年が両手で短刀の柄を握り、さらに力を籠めると、その刃先が徐々に男の首筋へと降りていく。


「いやだ、やめてくれ、たすけ……」

「うるせえんだよ」


 男の瞳には恐怖の色が宿り、その口が命乞いの言葉を吐き出す。しかし今の少年の頭には、目の前の男を殺すという衝動しか存在していなかった。これまで考えてきた殺人についての自分の問いは、あっという間に頭の中から吹っ飛んでいた。殺さなければ殺される、その単純な恐怖と自分を攻撃し傷つけてきた同胞団への怒りが少年を支配していた。少年は男がこれ以上騒いで感染者を呼び寄せる羽目にならないよう、片手でその口を塞ぐ。


 全身の力を込めて短刀の刃を振り下ろす少年と、それをどうにか防ごうとする男。二人が力をぶつけ合い、握られた短刀がわずかに震える。しかし全身を切りつけられているとはいえマウントポジションを取って両手を使える少年と、その下敷きになって負傷した左手一本で抵抗するしかない男では、どちらの力が強いかなど考える必要もなかった。降りていく刃先がとうとう男の首筋に触れ、赤い線が刻まれた男の首から真っ赤な血が流れ出す。


「……!」


 男が声にならない絶叫を放った直後、彼の首に刺さった短刀の刃先がついに気管を貫いた。男が目を見開き、何かを言おうとしていたが、もはや言葉にはなっていなかった。少年がさらに力を込めて、完全に男の気管が短刀に断ち切られると、ごぼごぼと血の混じった泡を口から噴出す音しか聞こえなくなった。今まで短刀の刃を掴んでいた男の手から急速に力が抜け、肺に酸素を送り込めなくなった男の顔が青ざめていく。


 少年はもはやピクリとも動かなくなった男の瞳に映る自分の姿を見た。

 光を失った瞳に映る少年の顔は笑っていた。

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