第一二四話 敵の敵は……なお話
少年と同胞団の3人が見つめあっていたのは、ほんの一秒にも満たなかった。しかし少年にとってはまるで何十秒のことのようにも感じられたし、同胞団の3人にとってもそれは同じだっただろう。
サキに戦闘の口火を切ろうとしたのは同胞団の方だった。3人いるメンバーのうち、一番若い10代後半と思しき茶髪の男が、手にした拳銃を少年に向けようとする。その人差し指が引き金に架かっているのを見て、少年も手にした89式小銃を茶髪に向けようとする。しかし銃声は轟かなかった。残りの二人の同胞団のメンバーが、慌てて茶髪の拳銃を取り押さえたからだ。
二人が茶髪に撃たせなかったのは少年を助けようとしたからではない。今もなお学校に大量に潜んでいる感染者の群れを、これ以上刺激したくなかったからだ。
少年は一瞬のうちに同胞団の構成員たちを見回し、彼らも自分たちと同じ目的でこの学校に来たのだと推測した。同胞団の男たちは、その身体に何丁もの自動小銃や短機関銃をぶら下げている。肩から吊ったボルトンバッグはあちこちが歪に出っ張っていて、閉まり切らなかったファスナーからは拳銃のグリップが覗いていた。
学校内に残されていた物か、それともここに来るまでに倒した自衛隊員の感染者から奪ったのか。銃同士がぶつかりあうがちゃがちゃという金属音に釣られたのか、男たちの背後の職員室から一体の感染者が飛び出してきた。そしてにらみ合う少年と同胞団の男たちの姿を目の当たりにするなり、咆哮を上げて4人に飛び掛かる。
まず動いたのは、リーダー格らしきがっちりした体格の短髪の男だった。20代後半に見えるその男は手にした小銃ではなく、背中に忍者よろしく吊っていた短刀を引き抜いて、飛び掛かって来た感染者の首筋を薙ぎ払うようにして切りつける。軍用ナイフをそのまま大きくしたような短刀は、刃渡りが50センチもありそうだった。他の二人も同様に短刀を背中に吊っているが、手作りなのかそれぞれディティールが違う。
斜めに振り下ろされた短刀の刃は、しっかりと感染者の首筋を切り裂いた。刃は感染者の首筋に深々と突き刺さり、ほとんどその首は半分切断されているような状態だった。だらりと頭部が背中側に垂れ下がった感染者が、首筋の断面から鮮血を噴出して廊下に崩れ落ちる。しかしその直前に放っていた咆哮のせいで、この学校に人間がいることが他の感染者にも知られてしまった。
少年の背後の階段では、感染者の吐息と共に荒々しい足音が近づいてきていた。一階にいた感染者が、今の咆哮を聞きつけて二階に上がって来たのだ。他にもどたどたと慌ただしい足音が、静まり返った学校のあちこちから聞こえてくる。久しぶりの獲物を逃すまいと、学校にいた感染者たちが集まって来ようとしていた。
一階からも複数の足音と、殺到してくる荒い吐息が聞こえてくる。渡り廊下を通じてもう一つの棟から移動してきたのか、それとも少年がまだ見ていない教室から出てきたのか。
もはや睨みあっている暇はなかった。少年は踵を返して階段を降りようとし、そこで感染者が一階にいたことを思い出して慌てて三階へと向かう。一方同胞団の男たちも少年と同じくひとまずどこかへ隠れようと考えたのか、何と少年の後を追って走り出した。途中一階から上って来た感染者に出くわしたが、またもや短髪の男が短刀で喉笛を切り裂いて倒す。
少年が一階に降りようとしなかったのは、いったん感染者の目から逃れようとしたからだ。一階にはまだ感染者がいる可能性があるし、現に感染者の足音も聞こえた。もし外に出たとしても、銃声を聞きつけて学校の外にいる感染者までもが集まってくるかもしれない。そうなったらたとえ一階に降りたとしても、外からやって来た感染者に発見されて追い回されるのがオチだ。
外に出て感染者がいなかったとしても、次の瞬間には背後の同胞団の男たちに撃たれることは容易に想像できる。例え感染者の巣に突き進むような行動であっても、少年は感染者と人間なら感染者を相手にしたいと考えた。銃を持った人間を三人も相手には出来ない。
ならばひとまず学校内で感染者に見つからないところに隠れ、落ち着いてから脱出を考えた方がいい。感染者は人間を見つけると執拗に追い回す。しかし視界から獲物が消えた場合、最後に人間を見た場所をぐるぐる彷徨った後、最後はどこかへと行ってしまう。
食料や水は携行しているから、数日は立て籠もっても平気だ。感染者の注意が散漫になったところで、見つからないようにして脱出すればいい。だがその前に、どこかへと隠れなければならない。
少年は学校に一つはある音楽室を目指した。音楽室ならば防音構造になっていて中の音も外に漏れにくいし、ドアも普通の教室より厚いから立て籠もるのにぴったりだ。この学校のどこに音楽室があるのかはわからないが、少年は経験から最上階だろうと推測した。少年がこれまで通ってきた小中学校、そして高校は、近所迷惑にならないようなのかは知らないが、全て最上階に音楽室が設けられていた。
一方で同胞団の三人の男たちも、少年の後を追って走っていた。彼らも少年と同じく隠れる場所を探しているのか、それとも少年を何としても殺そうとしているのかはわからない。しかし敵に後をつけられているという状況が、とても気に入らない。
感染者に居場所を知らせることになるから、発砲してくることはないだろう。だが敵が何を考えているのかわからない以上、後をつけられるのは御免だった。かといって背後から感染者もやってきている今、わざわざ立ち止まって同胞団の連中の相手をする余裕もない。同胞団を無視し、せいぜい足止めのために嫌がらせをするくらいしかできない。
階段を駆け上がる途中で、下の階での騒ぎに気付いたらしい感染者がふらふらと顔を表した。すかさず少年は小銃をバットのように構え、走りながらその少年の足を払う。転倒しながらも咆哮を上げようとした感染者を、少年の後を追ってきた同胞団の男たちが短刀で突き刺し、小銃の銃床で殴りつけた。とどめとばかりに大柄な男が転んだままの感染者の頭を思い切り蹴り飛ばし、乾いた枝をへし折るような音と共に、その首が変な方向にねじ曲がった。
痙攣しだした感染者を振り返ることもなく、少年と同胞団の男たちは音楽室を目指して走る。途中で何度か感染者と遭遇したが、そのたびに少年が感染者を転倒させ、後からやって来た男たちがそれらを始末した。
初めて会った人間同士、それも敵同士のはずなのに、奇妙なことに息がぴったり合っていた。少年が感染者を転ばせて、男たちが倒す。感染者が吠える前にそれらの動作を完了させているおかげで、今のところ四人が感染者の大集団に追われるという事態は避けられている。それでも校舎のあちこちに感染者が残っているのか、行く手に次々と感染者が現れ、そのたびに倒すせいで時間と体力を奪われて仕方がない。
校舎に残っていた感染者の中には、自衛隊の迷彩服を身に着けたものも何体かいた。感染者になった時に銃は取り落したのか武器は持っていなかったが、身に着けているポーチの中には小銃用の銃弾や手りゅう弾が収められている。それらを回収したい衝動に駆られたが、いまは逃げることで精いっぱいだった。男たちも少年と同じく、それまでに回収した武器の詰まったダッフルバッグこそ捨てていないものの、自衛隊員の感染者の死体には見向きもしていない。
4体目の感染者を倒したところで、ようやく前方に「音楽室」のプレートが掲げられた教室が見えた。ドアは開かれたまま、しかしその音楽室から一体のセーラー服を着た少女の感染者がふらふらと姿を見せる。
少女の感染者は少年たちの姿を認め、かっと目を見開いて大きく口を開けた。大きく開かれた口から咆哮が上がる直前に、少年は感染者目がけて渾身の飛び蹴りを食らわせる。大きく吹っ飛んだ感染者に構うことなく音楽室に滑り込もうとした少年だったが、着地時に足を滑らせて文字通り滑りながら頭から音楽室に飛び込むことになった。
少年が飛び蹴りを食らわせた感染者に対し、同胞団の男たちが短刀を振るってとどめを刺す。それから悠々と扉が開いたままの音楽室へと足を踏み入れ、立ち上がろうとした姿勢のままの少年が見ている目の前でその扉を閉めた。
男たちが入ってくる前に扉を閉めようとしていた少年にとって、この事態は最悪と言えた。せっかく感染者の目から逃れられても、これでは袋の鼠だ。ドアの鍵がかかる小さな音が聞こえ、男たちが一斉に武器を手にする。
「お前だな、先日倉庫で俺の仲間たちを殺したのは」
大柄な男が、まだ感染者の血が滴る短刀の刃先を少年に向け、低い声でそう言った。倉庫で殺した男の仲間たちとは、同胞団の連中のことだろう。ここで否定の言葉をいくら重ねたところで、彼らが少年のことを信じるとは思えなかった。あの場から撤退した同胞団の連中は何人もいたし、そいつらが少年の情報を仲間に伝えるのはむしろ当然のことだ。
仲間から聞いた情報を照らし合わせ、目の前にいる少年が敵だと判断に違いない。既に他の二人も武器を抜いていた。誤って発砲し、この事態を招き寄せたらしい茶髪の男も短刀を構え、もう一人が拳銃の銃口を少年に向ける。
今すぐ発砲して少年を殺そうとしないのは、せっかく防音の音楽室に逃げ込んだのに、また感染者に追われる羽目に陥りたくはないからだ。防音構造になっている音楽室では会話こそ外には漏れ聞こえないが、さすがに大きな銃声は遮音出来ない。もしも発砲したら、その時点で感染者たちが殺到し、馬鹿力を持って音楽室の壁やドアをぶち壊して中に侵入してくる。
話し合う余地はない。少年も腰のホルダーから斧を引き抜き、右手に構えた。三人の男たちが全員短刀を構えないのは、万が一の事態に供えてだろう。短刀を持った大柄な男と茶髪が前に出て、残りの一人がわずかに後ろに下がって少年に銃口をポイントする。最悪の場合、発砲してでも少年を仕留めたいようだ。それほど少年は、同胞団の連中に脅威に思われているらしい。
感染者を始末している時は奇妙な連帯感が芽生えたが、所詮敵は敵と言うことだ。共通の脅威が去ったら、また争う運命でしかない。少年も斧を構え、壁を背にして男たちと距離を取る。銃撃戦ならば一対二でも勝つ可能性はあるが、格闘戦では単純に数が多い方が勝つ。強烈な一撃を叩き込まずとも、じわじわと少年を消耗させれば、いずれは男たちが勝つ。
勝てる可能性は限りなく低かったが、戦わなければその可能性もゼロになってしまう。最悪、こちらも発砲して対抗するしかないだろう。その場合、戦う相手に感染者が加わることになり、生きてこの学校を出られる可能性もさらに低くなるだろうが。
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