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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第一部 喪失のお話
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第十二話 夏の夜の夢のお話

 延々と連なる人々の列の先に、いくつかのテントが立てられた即席の検問所が設置されていた。まるで亀のような遅々とした歩みではあったが列は進んでいき、そして何十分かの後にようやく僕の番が巡ってくる。


「君、一人かい? 家族や友達は?」


 机越しに、パイプ椅子に座った中年の警官が訊いてくる。なるべく不安を与えないよう家族や面識のある人を一緒に避難させようというのだろうが、生憎ここには僕の知り合いは誰一人としていない。友達も、もちろん家族も。それらの人々は三日前、全て失ったも同然だった。

 だが素直にその事を言えなかった。どう答えようかしばらく口ごもったのち、ようやく出てきた言葉は、


「……今は一人です」


との中途半端な答えだった。警官は何かに気づいたのか僕に憐れむような視線を投げかけてきたが、後ろには多くの避難を待ち望む人々が並んでいる。余計な時間はかけられないのか、先に進むよう言われ僕はそれに従った。


 次に待っていたのは身体検査だった。男女に分かれて入り口が二重に設けられ気密が施されたテントに入るなり、パンツ一丁になれと命じられる。感染者に噛まれていないか検査するためなのだろうが、三月の夜はまだまだ気温が低い。僕も含めてテントに入ってきた人々は躊躇していたが、まるで宇宙服のようにも見える防護服を着込み、手には小銃を携えた自衛隊員に急かされてようやく服を脱ぎ始める。

 たちまち刺すように冷たい空気が身体を包み込む。老若問わずパンツ一丁の男たちがガタガタ震えているのはシュールな光景だろうが、やる本人からしてみれば面白くもなんともない。さっさと終わってくれと願いつつ、身体検査を受ける列に並ぶ。


「はい、両手を高く上げて」


 言われた通り手を高く掲げると、自衛隊員たちがじっくり僕の身体を見回す。少しでも傷があるとたちまち問い詰められ、現に僕の前に並んでいた人は余計な時間を食って、長く裸でいたことで唇が紫色になっていた。


「この傷は?」

「あ、それは転んだ時の傷です。こっちは学校から逃げる時にロッカーの角にぶつけたやつです」


 隊員が僕の掌の傷と太腿の傷を指差したので、正直に答えた。ふざけて「感染者にやられました」とでも答えようものなら、たちまちどこかへ連れて行かれるだろう。そうならないためにも、何としても僕が感染者に傷つけられていないというアピールをしなければならなかった。

 感染者の口内には大量のウイルスが住み着いており、噛むことで傷口からウイルスが体内に侵入して感染するとニュースで言っていた。血液中にもウイルスが含まれているらしいが、そちらは文字通り浴びるほどの量に接触しなければ感染の可能性は低いらしい。もっともウイルスに関してはわかっている事がほとんどなく、何が感染の原因となるのかはわからないから感染者との接触は何としても避けなければならない。


「大丈夫だ、行ってよし」


 そう言われたので、ほっとして服を着ようとしたその時だった。背後から男の喚き声が聞こえてきたので、思わず振り返る。見るとまだ検査を受けていないにも関わらず、一人だけ服を着た若い男が自衛隊員に向かって怒鳴っている。金髪にピアス、派手な色の服に加えて首からじゃらじゃらネックレスをぶら下げているのを見ると、どうやら彼はいわゆる「ヤンキー」という人種らしい。


「なんじゃコラァ! 俺に触んじゃねぇ!」

「服を脱いでください、身体検査を受けなければ避難はできません」

「見りゃわかんだろ、俺は大丈夫だ! どこも噛まれちゃいねぇよ!」


 うわ、フラグだ。即座に僕は、彼が危ないと理解した。頑ななまでに服を脱ぐ事を拒否するヤンキーにただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、ヤンキーを中心に周囲の男たちがその場から後ずさった。とはいえ狭いテントの中なので、パンツ一丁の男たちが互いに身体を押し付け合うという地獄絵図が広がってしまう。


「我々は事態の鎮圧のためには、あらゆる手段を採ることを許可されています。大人しく指示に従ってください」


 そう言って手を伸ばした自衛隊員の手を払うと、男は奇声を上げてテントの出口へ向かって突進した。だが男たちが犇めくテントの中ではうまく進むことも出来ず、すぐさまヤンキーは数人の自衛隊員に取り押さえられる。腕を振り回して抵抗したが訓練を受けた自衛隊員には敵わず、あっという間に地面に押し倒されて男は乱暴に服を脱がされていく。


「三佐、やはり噛まれています」


 その言葉に、周囲の男性が一斉に飛び退く。少しでもヤンキーから離れようと押し合いへし合いしている人々の頭の間から、数人の隊員に地面に押し倒され、上着をはだけさせられた男の身体が見えた。

 彼の二の腕には、血が滲む綺麗な歯形がついていた。止血しようとしたのか血塗れの包帯がその横に落ちていたが、どうやらまだ血は止まらないらしい。個人差があるとはいえ、傷口が頭に近ければ近いほど感染者になる時間も早いと言われている。ヤンキーがいつ咬まれたのかはわからないが、彼が正気を失い暴れ出すまであとどれくらいの猶予があるのだろうか。


「連れて行け」

「おい、ちょっと待てよ! 俺は大丈夫だ! 離せ、俺は人間だ!」


 ヤンキーが喚いたが、彼の両手を掴んで話さない防護服姿の自衛隊員たちが、無情にも彼をテントの外へと連れ出す。咬まれた時点で危険分子と見なされるのだろう、ヤンキーにはずっと小銃の銃口が突きつけられ続けていた。

 こんなやり取りはもう幾度となく繰り返されたのだろう。前にいる隊員の顔を窺ってみたが、ガスマスク越しのその表情はなんの感情も抱いていないように見えた。



 テントを出るなり、頭上を爆音を響かせて輸送機が通過していった。あれは確か、アメリカ軍が運用するオスプレイという航空機だろうか? その独特なフォルムに加え一時期散々ニュースで取り上げられていたから、それくらいは素人の僕にもわかった。

 どうやら在日米軍も生存者の救助に全力を尽くしてくれているらしい。盛んにオスプレイ反対と叫んでいた人は避難するためにオスプレイに乗るのだろうかというどうでもいい考えが頭に浮かぶ。ヘリポートとなった運動公園のグラウンドに降下していくオスプレイを見て、あとどれくらいでここから離れられるのだろうかとぼんやり考えた。

 グラウンドまで約200メートルといったところだが、人の流れは相変わらず遅い。日本中でこんな事態が発生しているのだから当然か。ここの人間を一度に脱出させるには、それこそ日本中のヘリコプターをかき集めなければならないだろう。


 ヘリの行き先は洋上の艦船か、感染者が確認されていない近くの無人島だと聞いている。僕はそのどちらに運ばれるのだろうか。そしてこれからどんな生活を送るのだろう。

 もう頼れる知り合いはいない。もしこのウイルス騒動が沈静化したところで、もう僕に帰る場所はない。僕が住んでいた地域一帯は大火で消失したとラジオで言っていた。奇跡的に家が残っていたところで、僕の他に住む人はもう誰もいない。




 父さんと母さんを殺したのは僕だ。

 日本で感染者が発生し、インフラが死に始めた時、僕たちはまるで地震か台風などの自然災害の時のように避難所に指定されていた高校へと向かった。あの時の僕は、どうせ事態はすぐに沈静化するだろうと物事をよく考えていなかったのだ。そして他の多くの人達も同じように考え、そして高校には多くの人々が集まった。

 感染者からしてみれば、非武装の人々が集まっている避難所など絶好の狩り場でしかない。今から考えてみればあの時取るべきだった選択肢は、人が集まる場所を避け、ひたすら逃げる事だった。


 だがいくら考えたところで過去が変わるわけじゃない。余所の地域から餌を求めてやってきた感染者は当然のように避難所を襲い、高校では血と肉片と死体が隙間なく転がる地獄絵図が繰り広げられた。

 あの時僕が死ななかったのは、単に運が良かったからだ。使われていなかった校舎を暇だから探索していた、それだけの理由で僕は助かった。だが生き延びた代わりに地獄を見る事になった。


 校庭から響いてくる悲鳴と怒号を聞いた僕が真っ先にした事は、掃除用のロッカーに隠れるという消極的な行動だった。あの時両親を捜しに行っていれば違った結末が待っていたかもしれない、だが僕はひたすら怖かった。怖くてその場から動く事が出来なかった。

 そして悲鳴が収まった頃、ようやく僕は行動に出た。途中で鉄筋を見つけ、初めて見る死体、それも酷く損壊しているものを目の当たりにして胃の中身を全て吐き出ながら父さんと母さんを探した。感染者は逃げていった人々を追っていったのか、校舎の中で動くものは僕一人だけだった。


 憔悴しながらも僕は父さんと母さんを探し回り、トイレで一体の感染者を発見した。両足の肉は食い尽くされたのかほとんどなくなり、両手で床を這いずり回る感染者を見たとき、僕はその場に立ち尽くした。

 

 その感染者は身体中の肉を喰われ、どうにか生きているという体だった。顔の皮膚が半分消失し、頬の肉も喰われ筋肉と歯茎がむき出しになっていたが、その感染者には母さんの面影があった。

 嘘だと否定したかったが、その服装や持ち物が死体一歩手前のその感染者を母さんだと如実に示していた。だが優しかった母さんの雰囲気は微塵もなく、這ってでも僕を喰おうとする感染者の姿がそこにはあった。

 母さんはもう人間ではない、そう本能が僕に告げていたし、僕もそれを理解していた。どうやったら裂けた腹から内臓がはみ出しているのに動き続けられる?

 母さんが怪物と化したことを理解した僕は、その時出来る最善の行動を取った。すなわち鉄筋を振り上げ、その頭にーーーーーー





 頭上を猛スピードで飛んでいった戦闘機の爆音が、僕を現実に引き戻した。見上げると、夜空にジェットエンジンの赤い軌跡を描きながら、数機の戦闘機が西へ向かって飛行している。そして気がつくと、いつの間にかグラウンドのヘリまでかなり近づいていた。これなら二三機ヘリが来れば、僕の順番が回ってくるに違いない。

 さっきのは無事な基地に向かって脱出していく自衛隊の戦闘機なのだろうか。そう思ったのもつかの間、地上の火災の赤い炎に照らし出される戦闘機の翼から、何かが落ちるのを僕は見逃さなかった。数秒後、それが落下した辺りから一際大きな赤い炎が立ち上り、続いてこれまでとは比べ物にならない爆音が轟く。


 火災や事故による爆発ではない、今のは爆撃だ。そのことに気づいた直後、今度は頭上を数機の攻撃ヘリコプターの編隊が通過し、その脇腹からロケット弾を発射する。西に向かって発射されたロケット弾はたちまち視界から消え、続いてホバリングする攻撃ヘリの機首から機関砲が放たれる。

 そうかと思えば、僕らがさっき来た西の方向から激しい銃声が響いてきた。これまで聞こえてきた銃声は散発的なものだったが、今回のはまるで銃撃戦でも起こっているかのように絶え間なく、そして大きいものだった。再び攻撃ヘリからロケット弾が放たれ、夜空をいっそう赤く染める。


 銃声が大きく聞こえるという事は、近くで発砲しているという事だ。そして戦闘機による爆撃に加え、攻撃ヘリによる機銃掃射。

 つまり、感染者が近くまで来ているという事だった。そのことに気づいた時には既に人々はパニックを起こし、我先にヘリに乗ろうとグラウンドへ向かって駆けだしていた。


「落ち着いてください! 皆さんは我々が守ります! だから列に戻って!」


 警官や自衛隊員が声を枯らして叫ぶが、恐慌状態に陥った人々の耳には届いていないようだった。制止する自衛隊員を振り切って人々がグラウンドへ走るのを見た直後、今度は背後からさらに多くの避難民が津波のように押し寄せてくるのを僕は目の当たりにした。


「奴らが来るぞ!」

「早くしろ!」


 戦闘が起きている場所に近い分、公園の外で待っていた彼らの方が僕らより多くの事を知っているのかもしれない。さっきまで厳重に警備されていた検問は人の波の前にあっさり飲み込まれ、身体検査が行われていたテントは多くの人が強引に突破したせいか、もはやボロ布が骨組みに引っかかっていると言った方が正しい有様になっていた。

 空を見ればさらに多くの攻撃ヘリがロケット弾と機銃を撃ちまくっていた。あれだけ撃ってもまだ戦闘が続いているということは、それだけ多くの感染者がこの運動公園へと押し寄せて来ているということだ。


 それもそうだろう。何しろここには僕がいた避難所と同じく、多くの餌となる人間がいるのだから。それに加え人々を守るために自衛隊や警察が散々発砲し、拡声器を使って呼びかけていたのだ。必要なこととはいえ、餌はここにありますよと言っているようなものだ。感染者が殺到しない方がおかしい。

 グラウンドを見ると、避難民を収容していたヘリが慌てて離陸していた。感染者に襲われる前に離脱しようとしたのか、それとも人々が殺到して重量オーバーで離陸できなくなることを恐れたのか。どちらにしろ、もうヘリはここへ戻ってこないだろう。そして僕たちは、ここから脱出する術を失った。


 あと少しでここから離れられたのに、どうしてこうもタイミングが悪いのか。呆然とその場に立ち尽くす僕を、検問所の方から走ってきた若い男が「どけ!」と突き飛ばした。

 倒れ込んだ僕はその拍子に、道の脇に植えられていた木の根本に頭を強く打ち付ける。視界に火花が散り、鈍痛と共に後頭部を何か生暖かい液体が濡らすのを感じた直後、僕は意識を失った。




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[良い点] 現実の日本政府からこうなるよなーって言うお粗末さがあって考えさせられました。
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