第一二一話 弱肉強食なお話
少年の隣で、佐藤が携帯無線機を取り出して電源を入れた。音量調節のツマミを回すと、ややノイズがかった男の声が無線機のスピーカーから流れ始める。
「あそこにいる連中の一人が無線機を持ってる」
「佐藤さんの協力者ですか?」
「まあな。協力者というか、中立的な立場というか」
双眼鏡で橋を覗くと、そこに見えた佐藤の仲間たちは4人いた。顔こそわからないものの、何となく雰囲気はわかる。4人はそれぞれ中年男性、中年女性、禿頭の高齢男性、そして20代後半と思しき男性だった。
佐藤たちを裏切り同胞団へと加わらなかった若者がいたとは驚きだったが、その理由はすぐに分かった。若い男は足を骨折しているのか、それとも元から不自由なのかはわからないが、杖をついて立っている。効率を求め、戦える人間ばかりを集めている同胞団が、他者の助けを必要とする人間を受け入れるはずがない。
「協力者って誰なんです?」
「それは言えないな。お前を疑うわけじゃないが、リスクは排除しておきたい」
「わかりました。佐藤さんの仲間は全員、佐藤さんが外で生きてるってことは知っているんですか?」
「いや、知らない。俺が生きていてどこにいるのかを知っているのは、俺の協力者ただ一人だけだ。だからもしそいつが俺と通じていることが他の連中に知られたら、俺の仲間たちは俺を同胞団に売るだろうな」
同胞団も自衛隊員だった佐藤のことは裏切った若者たちを通じて知っているらしく、その存在をかなり警戒しているようだ。銃を持って数で圧倒しているとはいえ、戦闘能力には絶対の差があることを理解しているのだろう。だから同胞団は佐藤に警戒し捜索を続けており、少年が街で引っかかったトラップや各所に仕掛けられた監視カメラは佐藤を捜索するためのものでもあるそうだ。
「残念だが、俺の仲間たちの中にも同胞団にどうにかして受け入れてほしいと思っている奴らがいる。そいつらは戦えないし何のスキルもないから同胞団も参加を拒否しているそうだが、奴らは俺を売ったら同胞団が自分たちを迎えてくれるかもしれないと考えている。だから協力者を通じて俺が生きていることがばれるのは非常にまずい」
佐藤の仲間たちも一枚岩ではなさそうだ。頼みの若者たちには出ていかれ、同胞団には仲間に加わることを拒否され脅されていては、仕方がないのかもしれないが。それにしたって今までさんざん自分たちの力になってくれていた佐藤を、保身のために売ろうとしているのはひどい話だと少年は感じた。
『……は、きちんと揃っているんだろうな?』
無線機のスピーカーから、冷たい声音の男の声が聞こえてきた。少年たちのいる位置からではさすがに双眼鏡を使ったところで誰が喋っているのか特定するのは難しかったが、誰が話していたところで同じことだった。車から降りた同胞団の男たちはそれぞれ手にはライフル銃を持ち、銃口こそ向けていないものの明らかに佐藤の仲間たちを威圧していた。
『はい、ここに』
『持ってこい』
双眼鏡の視界の中で、中年男性と女性が段ボールが積まれたカートを男たちのところへと押していく。カートは一つや二つではなく、二人が3メートルほどまで近づいたところで男たちは銃を構え、それ以上近づかないよう威圧していた。二人は怯えた様子で後ずさりして男たちから離れていき、また別のカートを押してくる。
男たちの中から一人が歩み出て、その場に置かれたカートの荷物を見分していった。ナイフで段ボール箱を開け、中身を覗き込む。ガソリンか灯油でも入っているのか、ポリタンクが積まれたカートもあった。
「かなりの量ですね」
「ああ、でも同胞団にとってはこれでも足りない」
一人や二人ならば一か月は余裕で暮らせそうな量の物資だったが、構成員が数十人もいる同胞団にとっては一週間も経たないうちに使い切ってしまう量だろう。あれだけの量の物資を集めてくるのに、どれほどの危険を冒さなければならなかったのだろうか。少年は佐藤の仲間たちに同情すると共に、それを奪っていく同胞団の連中に怒りを感じた。
自分たちは危険を冒さず、他者が命を削って持ってきた物資を収奪していく。しかしその見返りはない。同胞団は単に武器を持っているという理由だけで、警察も法律もなくなった世の中で好き放題にやっている。自分が言えたことではないのかもしれないが、少年はそれを許せないと思った。
『今回はきちんと集めてきたみたいだな。俺たちも銃弾と体力を無駄にしなくて済むから助かるよ』
『あの、もうこの周辺の物資はすべて無いんです。これ以上の物資を集めてくるには、もっと危険な東京方面へと行かなきゃならない。時間もかかるし感染者に襲われる危険だってぐんと上がる。もう少し時間の猶予を頂くことは出来ませんか?』
声から判断して、そう言ったのは杖をついている若い男だった。銃口が向けられている中、恐怖に震えながらも勇気を振り絞ってそう言ったのか、その声はやや上ずっている。
『あ? 何言ってんだオマエ』
『きちんと物資は集めてきます、ただもう少し時間を……』
『お前、あそこにぶら下がってる連中の仲間入りしたいの?』
そう言って男がライフル銃の銃口で何かを指し示した。その銃口の先にあるものを見て、少年は胸糞悪い気分になった。
男の銃口の先にあったのは、街灯にぶら下がるいくつかの死体だった。首にロープを巻かれ、街灯に吊るされている死体は鳥に啄まれ、あちこち骨がむき出しになった無残な状態で風に揺れている。それらの死体を見て、少年は佐藤と出会う前に見つけた避難所のことを思い出した。
これまで死体はいくつも見てきたし、それこそいくつも作り出してきていたが、晒し者になった死体を見るのはまた別の話だった。殺すだけでは飽き足らず、見せしめのために晒す。悪趣味どころの話ではない。
「あの死体は……」
「同胞団に逆らった連中だ。助けられなかった」
佐藤のその声には、仲間を救えなかった悔しさと、同胞団に対する怒りが籠っているように聞こえた。きとあれらの人々は佐藤が見ている目の前で、同胞団に殺されたのだろう。
佐藤はそれを止めようと思えば止められるだけの力があったはずだ、しかし出来なかった。もしも佐藤が仲間を殺そうとしている同胞団のメンバーたちを殺してしまえば、佐藤がまだ生きていることが明らかになってしまう。そうなったら同胞団は佐藤の仲間たちを人質に取って、投降するように脅してくるかもしれない。あるいは佐藤の仲間たちを皆殺しにする可能性だってある。そうなっては元も子のないため、佐藤はじっと耐え忍んできたのだろう。
『そんな! まさかそんなことは……』
『次からノルマは1.5倍だ、しっかり集めてこい』
『1.5倍!?』
『なんだ、できないのか? できないなら死んでもらうだけだ。今の世の中は、力のある奴しか生き残れない。お前らまだお客様気分で暮らしてるのか? 何の能もない連中は、本来ならとっくに殺されているはずなんだ。それをわざわざ俺たちが守ってやっているんだぞ? 戦うこともできない、何かを直すこともできない。ならばそれ以外のことで役に立てよ。役立たずは死ぬべきだ』
おかしな言い分だ。銃で脅して実際に何人も殺しておきながら、「守ってやっている」とは。ヤクザがみかじめ料を取り立てているのと同じだ。実際には何の役にも立っていないにも関わらず、力があるというだけで一方的な言い分を押し通す。実際に佐藤の仲間たちが外部から危害を加えられたところで、同胞団は彼らを決して守りはしないだろう。
『そんな……』
『次来る時までにもしっかりと集めて来いよ、でなければあそこにぶら下がってる死体がもう一つ増える。そんなの嫌だろ?』
同胞団の男たちはそう言って、佐藤の仲間たちが集めてきた大量の物資を乗って来た車に積み込み、元来た道を引き返していった。あとに残されたのは、呆然と立ち尽くす4人の男女だけだった。
「ノルマって、サラリーマンみたいな言い方ですね」
「案外、リーダーが昔はそうだったのかもな。これで、同胞団がどんな連中かわかっただろう? 奴らは自分たちのことだけしか考えていない。自分たちが生き残るためならば他の人間はいくらでも死んでいいと考えているし、脅して危険なことをさせる捨て駒としか扱っていない」
双眼鏡の中では、佐藤の仲間たちが顔を見合わせて何かを言っていた。その中の一人が持っている無線機は既に電源が落とされてしまったのか、少年たちの位置からでは彼らが何を言っているのかさっぱり聞こえない。だがその会話内容が明るいものではないことは確かだ。
どこに感染者がいてもおかしくない街まで出向き、残り少なくなった物資をかき集めてくる。危険を冒して集めてきた物資も、自分たちの腹を満たすためではなく同胞団が楽をするために軒並み奪い取られる。そんな毎日に希望はあるだろうか? ないに決まっている。
「お前はあいつらをどう思う? 無論どんな考えを持っていようと、俺たちの敵にならない限りはどうもしない。弱肉強食で他者を虐げ希望も何もかも奪い去り、人間らしい生活を取り上げてひたすら奴隷のように扱って自分だけ楽をしたいか? それとも楽ではないけれども、自分だけじゃなく他者と一緒に戦い生きていく道を選ぶか?」
自分には同胞団がやっていることを非難する権利はない。少年はそう思っている。この中で罪のない者だけが、この者に石を投げよ――――――少年は誰かに石を投げるには罪を重ねすぎている。
それでも同胞団のやっていることは許せないし、佐藤の抱いている怒りも理解できた。そして脅されて危険な目に遭っている佐藤の仲間たちについては、かわいそうだと思う。
そして何よりも、同胞団は少年に問答無用で襲い掛かって来た。同胞団は少年にとって敵となる存在だ。仮に少年が同胞団のやり方に共感し、「仲間にしてください」と彼らのところへ行ったって、銃弾で答えが返ってくるだろう。少年は同胞団の構成員を何人も殺した。彼らからしても少年はもはや自分たちの脅威となる存在でしかない。
面倒ごとに巻き込まれないよう、さっさとこの街を出ていくべきだ。その考えもあったが、少年はなぜだかその選択肢を取らなかった。「誰かと一緒に」「戦う」なんて少し前だったら到底選びもしないような選択を、少年は行った。
「……やります、僕も。連中は僕にとっても敵です」
「そうか、嬉しいよ」
そう言って佐藤が右手を差し出してくる。何の行為かと思い佐藤の顔と右手を交互に見比べ、ようやく握手を求めているのだということに気が付いた。少年は差し出された佐藤の右手を握り、そして
『それで罪滅ぼしになるとでも思ってるの?』
佐藤の背後で揺れる人影が、ぞっとする声音でそう囁く。額に空いた穴から絶え間なく血が流れ出し、顔が真っ赤に染まった少女の顔を、少年は忘れてはいなかった。かつて行動を共にし、そして少年の判断の誤りから感染してしまった少女。少年が自ら射殺した少女が、佐藤の背後に佇んでいる。
『あんた、ただ人を助けて自分の罪悪感を打ち消したいだけなんでしょ? 誰かを助けて自分の犯した罪の意識から逃れたいんでしょ? あんたがこの人の仲間を助けようとしているのは善意からの行動じゃない、ただ打算と利己心が絡み合った結果に過ぎないのよ』
私を殺した時みたいにね。血まみれの少女はそう言って、額に空いた穴を指差す。少年が険しい顔をしていることに気づいた佐藤が、「どうした?」と言って少年の視線を追って振り返った。
「何か見たのか?」
佐藤には何も見えていない。当然だ、なぜならこれは少年にしか見えない幻なのだから。体育館が焼け落ちた避難所で、自分の過ちを向き合った時から付きまとわれている幻覚、白昼夢に過ぎない。こうやって少年に語り掛けてくる少女は、とっくの昔に少年の手によって殺されている。
少女が幻覚であることは少年自身、よく理解していた。それでも少年は、少女の幻覚から目を離すことが出来ていない。目を逸らすことさえも。
『あんたの罪は決して消えない。今まで何人殺してきたと思ってるの? 今さら誰かを助けたところで、その罪が帳消しになるとでも?』
少女の幻影は、あざ笑うようにそう言った。
分かっているさ。少年は口中にそう呟く。佐藤の仲間を助けたとしても、決して自分がやって来たことが許されるわけではないことを。今さら数人、数十人を救ったところで、少年が大勢の人たちを殺してきた事実に変わりはない。
だけど、そうする以外に自分の罪を贖えそうな方法を、少年は知らなかった。
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