第一一九話 WAになって踊るお話
とりあえず今すぐ殺されるわけではないし、佐藤が敵対的な人間でもないということが分かって少年はほっとした。しかし彼の話が本当であるという確信が得られない以上、そう簡単に信じるわけにはいかなかった。
一緒に戦ってくれ、という佐藤の要望への答えも保留だ。もっとも、佐藤も佐藤で少年への警戒心は抱いているようだったが。少年の手の届くところにはハサミなど武器になりそうなものは一つも置いていなかったし、ライフルや拳銃は肌身離さず身に着けている。ここがどこなのか、という少年の質問にも答えをはぐらかしていたし、佐藤が元々一緒に行動していた仲間たちの居場所もついに教えてくれなかった。
「自衛隊の人なら、どこかに安全な避難所があるとか教えられていなかったんですか?」
少年がそう尋ねたのは、佐藤のセーフハウスにやってきてから二日目のことだった。佐藤はこの家をセーフハウスの一つと言っていたが、少年は安全な場所なんてこの世に残っているとは思えなかったが。
「あるっちゃある。だがそれらの全てが今も健在だとは思えないな」
「総理大臣とか偉い人たちは船で逃げたんでしょう? そういう人たちが残ってたら、どこかで政府なりなんなりを続けることはできるんじゃ?」
「一応最悪の事態……感染が全国規模に広がった場合を想定した避難計画は策定されていた。だけど事はそれらの予測のはるか斜め上を突き抜けていったらしい。感染速度は予想よりも早かったし、感染ルートの特定もなかなか上手くいかなかった。安全な避難所を自衛隊と警察主導で確保しておく計画はあったらしいが、上手くいったとは思えないな」
上手く行っていたら今頃こんなところにいなかっただろうし、自衛隊が無差別に市民を銃撃し爆撃するようなことも起きていなかったはずだ。
「仮に感染者から逃れ、安全な隔離区域を確保していたとしても、それを大々的に報じるわけがない」
「何でですか?」
「一気に人が押し寄せてくるからさ。この国の生産能力は今やゼロだ、物資は今ある分しか残っていない。安全に暮らせる場所を開設したら、大勢の生き残った人たちが押し寄せてくるだろう。そうなるとどうなる? 残っていた物資があっという間に消費されるだけだ」
そもそも開設された隔離区域に、物資が十分備蓄されていないことだって考えられる。日本では昔から、将来起きるかもしれないことに備えるということに対し、熱心に取り組んでこなかった。災害対策予算は削減され、100年に1度の大災害に備えるための工事や設備も無駄と切り捨てられたことがあった。その傾向は日本人だけでなく、人間に共通してみられるものだった。
将来のことよりも今のこと。いつ起きるかわからない、そもそも起きる確率も低い大災害に金を使うよりかは、今目の前にある問題を片づけるために全力を注ぐべきだ。その結果が今の事態を引き起こしたのだとも言える。もしも世界的なバイオハザードに対応した隔離計画やウイルスの研究機関が充実していれば、ここまで被害は出ていなかったかもしれない。警察や自衛隊の人員を減らしたり、有事における適切な法整備を進めておけば、感染者を封じ込めることが出来ていたかもしれない。
「だからもしも安全な隔離地域を作ることが出来ていたとしても、それをわざわざラジオやビラまきをして伝えるようなことはしないだろう。隔離地域で暮らせるのは政治家や政府のお偉いさん方やウイルスの研究にあたる研究者たちで、一般人が保護されたかったら自力で隔離地域を探し当ててそこへ向かうしかない」
もしも人的、物的にも余裕が出始めたら、隔離地域から救援隊がやってくるかもしれない。佐藤はそう言った。
「まあ、救助隊を派遣する余裕があるかどうかもわからんがな」
「どういうことです?」
「敵は感染者だけじゃないってことだ」
感染者という脅威によって滅亡の危機を迎えているにも関わらず、人間は未だに争いを続けている。小さいところでは生存者とそれを襲う暴徒たちとの闘い、大きいところでは混乱の隙をついて覇権を握ろうとする国家同士の戦争だ。
「人間ってのはよっぽどバカな生き物だと実感したよ。こんな状況にも関わらず、戦争をおっぱじめているんだからな」
アフリカ、中東、ヨーロッパ、ユーラシア大陸、南米……あらゆる場所で人間同士、国家同士の戦いが起きているそうだ。どの国も感染者によって大勢の死者を出しながら、この混乱を利用して地域の覇権を握ろうと戦争を行っている。日本周辺の国家にも不穏な動きがあり、全国へ広がっていく感染者の排除に努める一方で、自衛隊や米軍は国土防衛のための作戦行動も行わなければならなかったのだという。
自衛隊本来の任務とはいえ、そのせいで市民の救助や避難誘導、保護に割く人手が足りなくなってしまったのも事実だった。艦船も人々の避難のためではなく、領海警備のために出動していた数の方が多いという。
「中東じゃ、核兵器も使われたそうだ。もっともそれが自国の感染者殲滅のために使用されたのか、敵対する国家を滅ぼすために撃ち込まれたのかはわからんが」
「人間同士で戦う余裕があるなら、協力して感染者を排除していけばいいのに……」
「皆頭ではそう理解しているだろうさ、本当はこんなことすべきじゃないってな。でも人間は将来のことよりも今目の前のこと、これまでのことを優先してしまう。得られるか分からない将来の10の利益よりも、確実に得られるであろう目の前の1の利益を選ぶ」
昨日まで敵対していた連中が弱っていたら、手を組んでともに脅威に立ち向かうよりも、好機と見て叩き潰す。自分たちをいたぶっていた連中が追い詰められていたら、たとえこちらも困っていようと復讐を遂げる。それが人間という生き物だった。
感染者が現れても昨日まで敵対していた国家や組織は今日も敵のままで、それが感染者との戦いで疲弊しているというのならばこの手を逃すわけがない。感染者の出現は、争いあっていた人々にとっては絶好のチャンスと言えた。これまで敵であったもの、そしてこれからも敵になりそうなものを倒すために、今も争いは続いている。
感染者という共通の脅威が現れたところで、それまで蓄積されてきた憎しみというものは簡単には消えてくれない。自分の家族や友人を殺してきた者たちが、「助けてくれ」と言ってきた時、どれだけの人が自分の恨みや憎しみを抑えて手を差し伸べることが出来るだろうか。そんなこと出来るはずがないと思ったからこそ少年は敵対したグループの人間を報復を恐れ一人残らず殺していたのだし、世界各地で続いていた内戦や虐殺の連鎖がその事実を示している。
たとえ和解を果たしたところで、その仲が続くのは感染者という脅威が存在し続けている間だけだ。もしも感染者の一掃に成功したとしても(できるとは思えなかったが)、その後は人間が敵の状態に戻るだけだ。感染者がいなくなった後に備えて、混乱に乗じ今のうちに敵を減らしておこう。そう考えて行動するのが当然だ。
「同胞団の連中も同じだろうな。奴らは今のことしか考えていない。今日を生き延びなければ明日はやって来ないと考えてる」
「それは……当然のことなんじゃ? 死んだら明日の朝日を拝めないですし」
「確かに、何としてでも生き延びようとするのは人間として、生物として当然のことだ。だが明日っていうのは今日の延長線の先にしか存在しない。今日がマシでない限り、明日もマシにはならない」
風が吹いてきたのか、雨戸がカタカタと音を立てて揺れている。
「今日のことしか考えないってことは、明日のことを考えないってのと同じことだ。連中は足手まといだから、効率が悪いからと言って赤ん坊までも切り捨て、見殺しにしている。確かに今日のことだけを考えるのなら、倫理的にはともかくそれは正しい判断だ。人手も物資も浪費して、泣き声で感染者の注意を引きかねない赤ん坊なんか邪魔だからな。だが10年後、20年後はどうだ? 感染者どもが生き残ってようが一掃されてようが、誰だって歳は取るんだ。もしも今皆が邪魔だから、効率が悪いからと言って赤ん坊や年端もいかない子供たちを見捨てていたら、将来誰が社会を担うんだ?」
この先すべての感染者が死滅したら、再び平和な世界が戻ってくるだろう。人類が元の繁栄を取り戻すまでには、かなりの時間がかかるに違いない。だが今子供や赤ん坊が大人たちから見捨てられ、死んでしまったら、その時に誰が社会の復興を担うというのか。
感染者がこの先も生き延び、長い戦いが続いていく場合も同様だ。同胞団のメンバーたちは大半が20台の若者だというが、人間は誰だって歳を取る。歳を取ればどれだけ鍛えていようとも、身体は衰えていく。今の同胞団のメンバーたちが歳を取って戦うことが難しくなった時、彼らに代わって戦う者は誰もいない。
「もう誰も助けに来ちゃくれない、だから今生きている奴らは皆協力していかなければならないんだ。でも同胞団の連中がいる限り、そうもいかない。たとえこちらから手を出さなくとも、連中は自分たちが必要だと思えばいくらでも人を殺すし、襲ってきて物資を奪っていく。命を取られずとも脅され、死ぬまで奴らの命令に従い続けるしかない道を選ばされる。あいつらを排除しない限り、俺たちの未来はない」
「こんな時に殺し合いだなんて馬鹿らしいって言ってたのに、ですか?」
少年がそう問うと、佐藤は苦笑して言った。
「矛盾しているようだがな、それが現実ってもんだ。認めたくはないし、やりたくもないことだが……。だが襲い掛かってくる脅威を排除しなけりゃ、俺たちは生き残ることが出来ない。それが感染者であろうと、人間であろうと」
きっと、佐藤は自分よりもはるかに出来た人間なのだろう。少年はそう思った。
彼は少年に、現実的に考えれば同胞団のやっていることは仕方がないことだと言った。だが佐藤はそんな現実を否定し、皆が協力して生き残る道を探している。しかしその道は同胞団に阻まれ、それを解決するために佐藤は下らないと吐き捨てた「戦い」という現実的な手段を選んでいる。
彼も矛盾に苦しんでいるのだと少年は感じた。佐藤は今生き残っている人間は皆協力し、争うことなくともに生き延びる道を選ぶべきだという信念を持っている。だが現実を見て今のことだけを考える同胞団は、佐藤の理想とは真逆の殺人や脅迫、略奪と言った行動を取っている。話し合いが通じるようならば事態はここまで悪化していないだろう。脅迫を受け命の危機に晒されている佐藤の仲間たちを救うには、暴力的な手段を以て同胞団を排除するという道しか残されていない。しかし誰かを排除し、殺すというのは佐藤の理想とは180度異なるやり方だった。
今生きている皆を救うために、誰かを殺す。殺し合いのない世界を作るために、誰かを殺す。矛盾しているようだが、それしか道はない。佐藤はその矛盾に悩みながらも、常に世界を良くするために考えて行動している。いつまでも同じ悩みを抱え続け、その場から動くことが出来ない少年とは違う。
「五日後、同胞団が物資を受け取るために俺の仲間たちのところへやってくる。そこにお前も一緒に来てほしい。奴らがどんなことをやっているのか、それを見た上で今後の方針を決めてくれ」
佐藤はそう言って、部屋を出ていった。なおも少年に対する警戒心は解けていないのか、ドアの外から鍵のかかる音が響く。
佐藤の言っていることは素晴らしいと思う。だが、実際にそれが出来るかと聞かれれば少年は無理だろうと答える。いくら立派な理想でも、実現が出来なければただの妄言に過ぎない。
だからと言って同胞団が正しいのかと問われたら、少年は答えに詰まるだろう。自分たちのことだけを考え、今だけを見据えて行動するのならば同胞団は正しい。だがそれは本当に人間として正しい選択なのだろうか。
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