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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第三部:逆襲のお話
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第一一六話 ローン・サバイバーなお話

 目を覚ますなり襲ってきたのは、猛烈な頭痛と吐き気だった。脂で濁った視界の中、自分がどこか民家の一室らしき場所にいることに気づく。蝋燭が一本だけ灯った部屋の中で、少年はソファーに座らされて今まで気を失っていたようだった。

 周囲を見回すと、自分がいる場所が民家のリビングらしいことに気づいた。雨戸が締め切られた部屋の中は薄暗かったが、蝋燭の炎のおかげでぼんやりと室内の様子はわかった。壁際のテレビと、ソファーの前に置かれた背の低いテーブル。視界を巡らせると、背後には食事用のテーブルと椅子がいくつかあった。

 

 状況から考えて、あの迷彩服の男が自分をここまで連れてきたのだろう。そこでようやく少年は、自分の両手が手錠で繋がれていることに気づいた。

 脱臼した左肩も、今は三角巾と添え木で固定してある。簡素ながらもがっちりと前方に突き出す形で固定された左腕に引っ張られるように、右手が手錠でセットにされて伸びていた。ワイヤーで締め付けられていた右足も、湿布が張られているのかなんだか冷たい。


 助けてくれたはいいが、所詮は赤の他人同士だ。警戒して当然だろう。そう考えたその時、「起きたか」と背後で聞き覚えのある声が響いた。


 あの迷彩服の男だった。寝起きだったとはいえ、暗闇と同化していたのではないかと思うほど少年は彼の存在に気づけていなかった。迷彩服の男は今はヘルメットを被っていなかったが、相変わらずカービン銃を手にしている。銃の先端の消音器は今は外されていたが、仮に少年が男に襲い掛かろうとしても、不審な動きを見せた時点で彼が発砲することは簡単に予想できた。


「あんたは……」


 その問いに答えることなく、男は少年の座るソファーの前までやって来た。うっすらと無精ひげの生えた男の顔は厳つく、その眼光は鋭い。やや頬の肉は落ちているようだが、いたって健康体に見える。男は少年が手を伸ばしても届かない距離を保ちながら、目を見て言った。


「聞きたいことはいろいろあるだろうが、まずはこっちがいくつか質問させてもらう。お前は何者だ? 今までどこにいて、どうしてあの場所にいた?」


 あの場所とは、少年がぶら下がっていた橋のことだろう。素性の知れない相手に自分の情報をべらべら喋るのは気が引けるが、現状、男の方が圧倒的に有利な立場にあるのを少年は理解していた。今はまだ比較的穏やかに質問してきているが、もしも少年が男の問いに応えなかったら、次に男は暴力的な手段で少年の情報を得ようとするだろう。それに少年が男に害意を持っていないことも伝えなければならなかった。


 少年は素直に自分の名前と出身地を話した。あの場所にいたのは偶然だということも。


「このあたりには昨日来たと言ったな? もしかして昨日の夜にドンパチやってたのはお前か?」


 少年が安全な場所を求めているうちにこの周辺まで来たことを言うなり、男は少年の言葉を遮ってそう言った。少年が記憶している限り、自分たちのほかに銃撃戦を繰り広げている連中はいなかった。いたら銃声が聞こえている。少年は首を縦に振った。


「襲ってきたのは何人くらいだ? 武器は?」

「正確に数えてはいませんけど、10人はいたと思います。そのうち5人は僕が倒しました。武器は……全員が銃を持ってました」

「一つ聞くが、お前の車に積んであった銃。あれは奴らから奪ったものか?」


 男は少年が失神している間に持ち物や車の中を調べたらしい。当然、少年が大量に積み込んでいた銃器の数々も目撃しているだろう。あれらを没収されてはたまらない。


「いえ、ほとんどこの街に来る前に手に入れたものです。拾ったり、襲ってきた奴らを倒して奪ったり……昨日の連中から奪ったのは猟銃と、あと僕が持っていたライフルだけです」


 あんたに取られた、という言葉を少年は飲み込んだ。男に助けてもらった際に武器は没収されたままで、返してもらえそうな気配は微塵もない。銃が手元にあれば、この先どうなろうと少しは不安が解消できるのだが。しかし男にとっても少年は素性のわからない相手で、自分に牙を剥いてくるかもしれないという不安がある以上、彼が少年の武器を取り上げたままであるのも当然の話だった。


 男はしばらく少年の目を見ていたが、何かを納得したのか「……嘘は言っていないみたいだな」と呟いた。


「最後にもう一つだけ質問だ。今まで何人殺した?」


 一番訊かれたくない質問だった。これまで何人殺したかなんて覚えていない。いや、思い出したくもない。

 すべては自分が引き起こしたことだ。だが少年は自分が殺した人々を夢で見て、毎晩うなされていた。廃墟と化した中学校で死者たちから責められる幻覚を見てから、少年は自分が犯した殺人の多くに必要性がなかったことを自覚した。自分が弱かったから、誰も信じられずに殺し続ける道を選ぶしかなかった心の醜さをはっきりと理解していた。


「……たくさん。たぶん40人以上」

「なぜ殺した?」

「正当防衛。でもほとんどは僕が弱くてバカだったから。誰も信じられなかったから、少しでも敵だと感じたら全員殺していた」


 こうやって自分が間違っていたことを誰かに話すのは初めてだった。これまではずっと自分が正しいと思い込んでいたし、実際にしばらく他の生存者たちと共同生活を送っていた時にもそう言っていた。だがそれは自分の心とちっぽけなプライドを守るための言い訳に過ぎず、自分の心が弱いせいで自分以外の人間を殺し続けていたことを認めたくなかっただけなのだ。

 今までは心の奥底にため込んでいて、腐敗していくだけだったその気持ちをようやく誰かに話すことが出来た。拘束されて下手をすれば殺されるかもしれないという状況であっても、自分の気持ちを誰かに話せたことだけはよかったと少年は感じた。


「……それで、お前は自分の犯した殺人についてどう感じている?」

「正当防衛については仕方なかったことだと思ってますし、そっちは自分が正しいと感じます。殺さなければ殺されてた。でも他の多くの殺人については虐殺も同然だ。僕は誰も信じられなかった。敵になったら怖い、復讐されるのが怖い。それしか考えられなかった、だから少しでも敵対的な行動を取った人たちは皆殺していた」

「後悔しているか?」

「前はしていなかった。自分がやっていることは正しいんだと思わなければ恐怖と不安に押しつぶされそうだったから。でも今は違います。後悔している。でも僕はあの時、他にどうすればいいのかなんてわからなかった」


 再び、無言。少年と男の間に沈黙が訪れ、短くなった蝋燭の炎が最後の輝きを放っていた。風が吹いているのか、雨戸が音を立てて揺れている。

 なぜ男が少年に殺人経験の有無を尋ねてきたのかはわからない。もしかしたら「こいつは危険だ」と判断されて、殺されるかもしれない。自分の気持ちに素直になって殺されるか、それとも自分を偽り続けることで生き続けるか。どちらがいいことなのかは少年にもわからなかった。


 蝋燭の炎が消え暗闇が訪れ、しばらく経ってから再び室内が明るくなった。男が新しい蝋燭に火をともしたのだ。男は何も言わず少年に近づいて、鍵穴に鍵を差し込んで手錠を外した。


「拘束して悪かった、とりあえずお前は安全そうだ」

「安全? 今まで何人も殺してきたのに?」

「少なくともお前は自分の快楽を満たすために殺人を犯すサイコパスには見えない。そして自分のやったことをきちんと理解して後悔している。お前の話が全部本当だとして、後悔したからといってお前がやったことが全部許されるわけじゃなさそうだが、少なくともお前は誰彼構わず殺しまくるような奴には見えない。まあ、今のお前が俺を殺そうとしたところで武器もないし、そんな身体じゃ誰かを殺すこともできないだろうしな」


 確かに銃もナイフも斧も取り上げられたし、脱臼した肩は痛い。立ち上がろうとして右足首の痛みによろめいた少年は、そこでようやくブーツが脱がされていることに気づいた。男が手当てのついでに脱がしたのだろうが、ブーツには折り畳み式のナイフも隠してあったはず。


「まあ、用心深いところは警戒すべき点かもしれんが」


 男はそう言って、少年がブーツに隠してあったナイフを摘まんでひらひらと振った。武器はすべて取り上げられ、満身創痍の状態では、仮に男に殴りかかろうとも素手で制圧されてしまうだろう。何より、男には少年を今すぐ殺したり、危害を加えようというつもりはなさそうだった。それならばここは男に従っていた方がいい。


「じゃあ今度はこっちが質問してもいいですか?」

「構わないが」

「あなたは誰です? 見たところ自衛隊員みたいですけど、なんでこんなところに? 昨日僕を襲ってきた連中について、何かしってるんですか? 他に誰か、仲間はいるんですか?」


 見た限りでは、男が自衛隊員であることは間違いなかった。武器を手に入れた単なるミリオタ、という推測は、男が走って移動する感染者に正確に銃撃を加えて倒していたことから当てはまらないことはわかっている。


「俺は佐藤さとうだ、陸上自衛隊一等陸尉。所属は特殊作戦群」

「特殊……なんです?」

「特殊作戦群、陸自の特殊部隊だ。本当は所属していることを喋っちゃいけないんだが、もうそんなことを気にする連中はいないだろうからな」


 つまり特殊部隊員ということだ。それで少年はいろいろと合点が言った。佐藤――――――本名かどうか怪しいが――――――と名乗った男の装備が今まで見てきた他の自衛隊員と異なっていることや、動く感染者にも正確に銃弾を命中させられる腕前も、特殊部隊の所属なら当たり前だろう。


「特殊部隊の人が、なんでこんな場所に?」

「簡単に言うと、取り残された。感染者に咬まれても発症しない奴がいるって連絡を受けて救助に来た、去年の3月21日のことだ」 


 去年の3月21日と言えば、少年がどうにかして感染者や空爆から逃れようと逃げ回っていた頃だ。その頃にはまだ、自衛隊も指揮命令系統がきちんと残っていたということか。


「こんなところにいるってことは、うまくいかなかったみたいですね」

「よくわかったな。俺たちが到着した時、救助対象は既に死んでた。感染者に食い殺されてたんだ。で、洋上の護衛艦に帰ろうとしたらヘリを見た大勢の生存者がやって来て乗せろと喚きやがる。そこを感染者に襲われて―――――――まあ後は想像がつくだろう。ヘリは俺たちを置いて帰っちまった。俺ともう一人が取り残される形となったが、そいつは間もなく感染者に襲われて死んだ。何とか陸路で脱出しようと思ったが、その頃にはもう展開していた警察も自衛隊もめちゃくちゃになってた。どこに行けばいいのかなんてわからなかった」


 それから佐藤は、この街に留まっているらしい。

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