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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第三部:逆襲のお話
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第一一五話 プレデターなお話

 気を失ってからどれくらいの時間が経っただろうか。目を覚ますなり襲ってきたのは頭の鈍痛と、足首に走る激痛だった。

 さかさまに映る世界はぼやけ、ゆらゆらと揺れている。揺れているのは自分の身体であることに気づいた少年は、ようやく罠にかかって気絶していたことを思い出した。二メートルほど下に、ひび割れたアスファルトの路面が見える。


 頭上――――――今や足元と言った方が正しいか――――――を覆う高速道路の高架に阻まれて太陽は見えないが、外は気絶する前よりも明るくなっている。地面に向かって垂れ下がったままの腕をどうにか持ち上げ、腕時計で時間を確認した。意識を失ってからまだ一時間ほどしか経っていない。

 少年の右足を締め付けているのは1センチくらいの太さのワイヤーで、それが照明の柱の横棒部分に向かって伸びていた。水たまりに足を突っ込んだ瞬間、何かの固定具が外れて足に引っかかり、同時にワイヤーの反対側に結ばれた錘か何かが落下して獲物を引っ張り上げるような構造をしているらしい。踝まで覆われているブーツを履いているおかげで直接足にワイヤーが食い込んでいるわけではなかったが、それでも1時間も足を締め付けられているのだ。おまけに全身の体重が右足一本に集中してぶら下がっていたせいで、足が激痛で悲鳴を上げていた。


「クソ……」


 思わず言葉に出してそう悪態をついていた。幸い、リュックや銃火器は落っことさないようにスリングやバックルでしっかり身体に身に着けていたおかげで、手の届かない地面に落としたものはなさそうだ。

 周囲を見回し、人影が見当たらないことを確認する。殺すのではなく捕獲するための罠ということは、必ず誰かが獲物が引っかかったかどうか確認するためにやってくることを意味している。わなを仕掛けた連中が次にやってくるのはいつだかわからない。その前にさっさとこの場を離れておかなければならなかった。


 ワイヤーは太く、ペンチ程度ではとても切断できそうにない。金属製のチェーンをも切断する斧の刃を叩きつけていれば、切断できるかもしれない。いざという時は銃撃でワイヤーを切断するという手もあるが、跳弾が不安だし何よりも銃声が響いてしまう。

ゆらゆらと揺れる視界の中、ベルトに取り付けた斧のホルダーに目をやった。幸い、斧はしっかりとホルダーに収納されている。斧を引き抜き、足に絡みつくワイヤーにその刃を叩きつけようとしたが、上半身が重くて手が届かない。


 背負ったリュックのせいだった。食料や予備の弾薬が入ったリュックはかなり重く、少年の上半身を重力の虜にしていた。仕方なく、バックルを外してリュックを地面に落とす。ぶら下がっている場所のすぐ真下には放置された乗用車があり、少年はなるべくゆっくりとリュックを下ろそうとした。が、手から力が抜けた途端リュックは勢いよく落下し、自動車のボンネットにぶつかって大きな音を立てた。


 腹筋の要領で上半身を持ち上げ、腕を振ってワイヤーに斧の刃を叩きつけた。が、力が入らないせいでなかなか切れない。硬い台の上で勢いよく斧を振り下ろせば一撃で中心部まで刃が届くのかもしれないが、ゆらゆらと揺れる空中で、しかもさかさまの状態では狙いも定まらないし斧を振る腕にも力が入らない。


 10回ほど斧を叩きつけたが、ワイヤーの繊維が数本切れてささくれだっただけだった。こんなことならワイヤーカッターを持ち歩いておくべきだった、と少年は後悔した。大型のワイヤーカッターなら親指ほどの太さの電線だろうがそこらの金網だろうがバチバチ切断できる。もっとも長さは60センチ以上、重さは2キロとあってはそう簡単に持ち運べるはずもなく、見つけてからずっと車の中に放り込んでおいたままだった。こうなるとわかっていたら、ワイヤーカッターを持ってきていただろう。


 なおも諦めず斧を叩きつけ、ようやく3ミリほどワイヤーに亀裂を入れたその時だった。聞き覚えのある咆哮が空気を震わせ、少年は腕を止めた。

 見ると目の前のビルから5体、感染者が道路に飛び出してきていた。先ほどリュックを落とした時の音を聞いて出てきたのか? 感染者たちは血走った目で周囲を見回し、少年の姿を認めると、咆哮を上げて彼に向かって走り出す。


「くそったれ……!」


 感染者たちが再び咆哮を上げ、身動きの取れない少年へ向かって走りだす。感染者に見つかってしまった以上、もう静かに作業を進める必要もなかった。斧を放り捨て、代わりに小銃を手に取った少年は、安全装置を外すなりろくに照準を定めることもなく発砲した。

 銃声が高架に反響し、さらに大きな音を響かせた。発砲の反動でワイヤーでぶら下がった身体は前後に揺れ、当然ながら放たれた銃弾は明後日の方向へと飛んでいく。小銃に取り付けられた円筒形のドットサイトを覗き込み、一番先頭を走る感染者に狙いを定めようとした。が、身体が揺れている上に上下さかさまなせいで、なかなか照準が定まらない。


 セレクターを操作し、3点バーストで発砲。一度引き金を引くごとに自動で三発の銃弾が発射され、先頭にいた感染者の胸を貫いた。感染者が口から血を吐き出しつつ地面に崩れ落ちたが、まだ無事な連中は4体も残っている。それらが少年になおも迫っていた。

 さらに感染者に射撃を加えたが、撃つたびに身体が揺れるのでなかなか命中しない。もう2体を射殺した時には、感染者たちは少年に手が届く距離まで近づいていた。


 幸い、ワイヤーで宙にぶら下がっているためすぐに捕まって食われるということはなかった。感染者たちは少年の真下の車に群がり、そこから手を伸ばしてジャンプし少年を掴もうとする。目の前に感染者の手が迫ってくる光景は予想よりも恐ろしく、少年は小銃を振り回して突き出された手を払いのけた。


「触るなよっ……!」


 振り回した銃床が感染者の指を直撃し、銃越しに骨が折れる嫌な感触が伝わる。しかし感染者は明後日の方向に指が折れ曲がった手を伸ばして、振り子のように揺れる少年を捕らえようとし続ける。

 パニックに陥りそうになる思考をどうにか抑え、冷静に弾倉を交換した少年は、ほとんど目の鼻の先にいる女の感染者の口に小銃の銃口を突っ込んで引き金を引いた。女の感染者の顎から下が吹き飛び、発射ガスで目玉が飛び出した。脊髄を断ち切られて動かなくなった感染者の口から銃口が抜け、もう一体の感染者にも少年は発砲する。さすがに手の届く距離まで来てくれれば、外すような真似はしなかった。


 

 ひとまずビルから飛び出してきた感染者は倒したが、安心している暇はなかった。銃声を響かせてしまった以上、すぐに別の感染者たちがやってくるだろう。事実、遠くない場所から咆哮が上がるのを少年は聞いた。声の大きさから考えてそれほど多くはないだろうが、すぐにこの場にやってくるであろうことは間違いなかった。

 グズグズしている暇はなかった。少年は再び上半身を持ち上げると、小銃の照準を足元のワイヤーに定めて引き金を引いた。5.56ミリ弾が火花を上げてワイヤーを断ち切り、少年は二メートルほど下にある車のボンネットに真っ逆さまに落下した。受け身を取る暇もなかった。


 車のボンネットにぶつかった途端に左肩に激しい痛みが走り、少年は悲鳴をあげた。左腕が動かない。勢いよく肩から落下したせいで、脱臼したらしい。

 左腕がわき腹にくっついたまま動かせなくなり、激痛が走っている。今までワイヤーで縛られていた右足には痛み以外の感覚がなく、動かそうとすると肩の痛みに負けないくらいの激痛が襲ってきた。今まで全身の体重を一点に受け、長時間強く締め付けられていたのだから当然だった。


 どうにか自由の利く右腕を動かし、小銃を杖代わりに立ち上がろうとした。が、右足の激痛と左肩の脱臼で身体はふらつき、背中を乗用車のドアに押し付けることでどうにか立っているような有様だった。そんな少年に対し、今度は路地から飛び出してきた感染者たちが向かってくる。


 どうにか動く右手で小銃のグリップを保持し、銃床を脇に挟んで片手で発砲する。が、本来両手で持って撃つべき自動小銃を片手で撃っているせいで、一発ごとに銃口は暴れるし、狙いも定められない。弾倉に残っていた十数発の5.56ミリ弾は感染者の群れに一発も当たることはなく、外れた銃弾が放置車両の窓ガラスを粉々に砕き、ボディにあたって火花を上げただけだった。

 小銃を手放し、拳銃を抜いて狙いも定めず撃つ。一発ごとに左肩に刺さるような痛みが走り、身体がよろめく。罠にかかった時頭を強打していたせいか、視界がぼやけ、ふらついていた。

 路地から現れた三体のうち、一体の感染者が頭に銃弾を食らって地面にヘッドスライディングを決めて動かなくなった。が、それだけだった。残りの二体は一発も被弾することもなく少年に向かって突進を続けていたが、もう拳銃が火を噴くことはなかった。スライドが後退したまま動かなくなり、弾切れしたことを示している。


 空になった弾倉を交換しなければ。しかし左腕は動かない。弾切れになった拳銃を構えたまま、少年は茫然と感染者が近づいてくる様を見つめていた。



 このまま死ぬのか。そんな言葉が頭に浮かんだ時だった。突然一体の感染者が頭から血をまき散らし、力を失ったその身体が地面を転がった。前を走っていた感染者の死体に躓いた残りの一体はすぐに立ち上がろうとしていたが、その前に音もなく飛んできた銃弾が数発、その胴体を貫いていた。


 朦朧とする少年の視界の片隅で、誰かがこちらに向かってくる姿が見えた。緑を基調とした迷彩服に身を包み、防弾チョッキとヘルメットを身に着けたその人影は、足音を立てることもなく少年に近づいてくる。そして少年から少し離れたところで足を止めると、その驚異的な生命力でまだのたうち回っている感染者に向けて、手にしたカービン銃を発砲した。

 銃声はかなり小さく聞こえた。その人影が手にしているカービン銃の銃口には円筒形の物体が取り付けられている。それが消音器であることは、銃に詳しくなくとも映画の一つや二つを見ていればわかることだった。


 消音器付きのカービン銃を構えた人影は銃口と一体化した視線を周囲に向け、生きている感染者が近くにいないことを確認し、再び少年に近づき始めた。まずは少年が取り落した自動小銃を拾い上げ、続いて素早い動作で少年が握っていた弾切れの拳銃を奪い取った。その素早い手つきはその人物が戦いなれていることを示していたが、少年にとってはどうでもいい話だった。抗議の声を上げる前に、人影は――――――男は少年がさらに持っていたリボルバーを取り上げていた。


「悪いが、これは預からせてもらう」

「あんた、誰だ……?」

「それは後で話す、今はこの場を離れることが先決だ。死にたくなかったら、俺の言うとおりにした方がいい」


 突然現れた武装した男の話を信用できるはずもなかったし、そのつもりもなかった。しかしまたもや響きわたった感染者の咆哮を聞いて、少年は考えを改めた。今はとりあえず、この男の言うことに従った方がいいだろう。もしも男が少年に危害を加えたり、武器や物資を奪おうとして近づいてきたのならば、わざわざ少年を襲っていた感染者を殺す必要はない。少年が殺されてから、のんびり死体でも漁ればいい。

 こうやって助けたということは、この男は昨夜襲ってきた集団とは異なり、少なくとも少年に対する外囲はないと見ていいだろう。どのみち銃はすでに奪われてしまったし、満身創痍の状態で戦っても勝ち目はない。


 頷いた少年に、男は「車はあるか?」と尋ねた。


「あそこの、黒のアウトランダー……」

「あれか。……とその前に、肩が外れてるな。今は時間がない、車まで我慢しろ」

「右足も使えないんですが」

「左足は無事だろ」


 違いない、と少年は思い、痛む右足を引きずるようにして荷物を積みかえたばかりのSUVへ向かって走り出した。走るといっても早歩き程度の早さでしかなく、それほど遠い距離ではないというのに、まるでフルマラソンのコースを走っているような気持ちになった。

 よたよたと走る少年の背後を、カービン銃を構えた男がついて来る。途中二度ばかり、男は路地から飛び出してきた感染者を射殺した。消音器付きのカービンで、胸に二発、頭に一発銃弾を正確に叩き込む。二人の姿を見た感染者が咆哮を上げる間もなく、手慣れた手つきで倒していった。


 顔を見る暇はほとんどなかったが、男が日本人であることだけはわかった。迷彩服の柄からして彼が自衛隊員であることは何となく察しがついたが、装備や武器はこれまで見てきた自衛隊員のそれとは明らかに異なる。

 しかし今は男の正体を詮索している暇はなかった。彼の言うとおりに行動し、この場を離れる。それが今やるべきことであり、それ以外のことは考えるべきではない。


 走ること数十秒、ようやく少年と男はSUVにたどり着いた。感染者たちの咆哮は風に乗って聞こえてきているが、周囲にその姿は見えない。少年がキーのリモコンでドアロックを解除するなり、男は少年から取り上げた小銃や拳銃の弾倉を抜き、本体もろとも後部座席の手が届かないところへと放り込んだ。ついでに少年がこれだけは持っていた斧やナイフも、同様に取り上げられて車の奥に投げ込まれる。


「鍵貸せ、俺が運転する」


 少年は素直にキーを渡した。武装解除された少年に、男に逆らう術はなかった。ブーツの中に折り畳み式ナイフが一本隠してあるが、もしもそれを使って男を殺そうとした場合、その前に男に殺されるであろうことは考えなくてもわかっていた。

 無事な右腕で助手席のドアを開け、身体を押し込むようにしてシートに座る。男は少年が手が届かないドア側にカービン銃を挟み、代わりに胸元に取り付けられたホルスターを見せつけるようにして運転席に座った。キーを捻り、エンジンを始動させたところで、少年の方へと身を乗り出して言った。


「肩を直してやるからこっち向け。放っておいたら治らなくなる」


 そう言うが早いか男は少年の両肩を掴んで強引に自分の方を向かせ、脱臼した左腕を両手で握るとそのまま捻った。ぐりっという嫌な感触と共に関節が元に戻り、同時に鋭い痛みが少年の全身を貫いた。


「―――――――ッ!」


 頭を強打し痛みと出血で意識が朦朧としていたところに、この激痛がとどめを刺した。男の正体も自分がこれからどうなるかもわからないのに、気絶なんかしてたまるか――――――。しかしまるで電灯のスイッチを切ったかのように、少年の意識は抗う間もなく闇に飲み込まれた。

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