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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第三部:逆襲のお話
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第一一四話 ロスト・イン・トランスレーションなお話

 朝になり、太陽が空高く上る頃になってようやく少年は動き出した。だが襲撃者たちがどこからやってきたのかがわからない以上、移動するにも更なる慎重さが必要とされた。おまけに感染者もいるとわかった今、下手に動き回ることはできない。ひとまず安全な場所を探し、襲撃者たちの正体を調べる。それが今やるべきことだった。

 

 だが少年はどうしようもないほどに疲れ果てていた。いっそのことこのまま死んでしまいたい、そんな気持ちすら心のどこかにあった。

 自分が最低の人間であることは十分理解していた。今まで自分の醜い本音を「仕方ない」という言葉でごまかし、多くの人々を死に追いやってきたことも。だがそのことを自覚した今ですら、「仕方ない」という理由をつけて恐怖心から無抵抗の相手を感染者の餌にした。裏切られる恐怖と、決して誰も信用できない自分の心の弱さから。


 もう何もかもが嫌だった。どうせどの道を選んだところで、自分には誰かを殺し続ける未来しか待っていない。醜い本音を言い訳でごまかし、誰かを助けることもできず、自分ひとりが生き延びるためにほかの人を犠牲にし続ける。かつてヒーローに憧れていた少年にとって、そんな生き方は到底受け入れられないものだった。

 だからこそ、今の自分も受け入れられない。まだ自分にも良心というものが残っていたことに少年は驚いたが、その良心こそが今の自分を苦しめていた。


 もはや生きていくためには、人間であることを捨てるしかない。良心も人間としての尊厳もすべてをかなぐり捨てて、力ですべてをねじ伏せていく生き方をしなければ生きていけない。自己の存続を最優先とし、他者はすべて利用するもの、信用できない存在として扱わなければ生き延びられない。

 かつて少年はそう考えていたし、実際にそんな生き方をしていた。だがその結果得られたのは数か月の命だけで、後に残ったのは以前よりもはるかに大きくなった虚無感と無力感だけだった。生きていくために人間であることを止めるのであれば、理性を失いただ食欲と攻撃本能に従って生きるだけの感染者と同じではないか?


 結局、どんな生き方をすればいいのか最後まで分からなかった。誰かが道を指し示していてくれたら、公開する生き方はせずに済んだのだろうか。





 東京に近いということもあってか、海沿いの街はそこらじゅうの道路が封鎖されていた。乗用車の侵入を阻止するためか道路には数十センチ間隔で太い杭が打ち込まれ、コンクリートブロックが積み上げられている。他にも道路を塞ぐようにして停められた、タイヤがパンクしたトラックが少年の行く手を阻んだ。


 ワゴン車のエンジンから異音が聞こえてきたのは、東京方面へ向かう道路を探して市内をぐるぐる巡っていた時だった。唐突にアクセルを踏んでもスピードが上がらなくなり、エンジンがせき込むような音を立てて異常に振動を始める。タコメーターの数字が見る見るうちに下がっていき、ついに完全に止まってしまった。

 その理由はすぐに分かった。ワゴン車のフロントグリルの隙間部分に、一見しただけではわからないほど小さな弾痕が開いていた。そこから飛び込んだ銃弾がエンジンに突き刺さり、徐々に不調をきたしていたらしい。


「マジかよ……」


 少年は舌打ちして、もう一度エンジンキーを捻ってみた。しかしエンジンは完全に壊れてしまったのか、うんともすんとも言わない。バッテリーは充電されているから電気走行は可能だが、電池を使い切ってしまったらそれまでだ。

 少年には自動車整備の知識も技術もなかった。せいぜいエンジンオイルの量を確認したり、ボンネットを開いてエンジンをざっと見るくらいしかできない。撃たれて壊れたエンジンの修理などできないし、一人ではエンジンを交換することだってできないだろう。

 

 静かに電気走行が出来るうえ、大量の荷物を運べるハイブリッド方式のワゴン車ということで重宝してきたのだが、とうとうここで終わりらしい。この状況では、代わりとなる車を見つけるのも一苦労だろう。自動車自体はそれこそタイヤが腐るほどそこら中に転がっているが、条件を満たしたものはそう多くはない。

 いつ物資を発見できるか分からない以上、できるだけ物資は持って移動したい。それに加えて感染者の気を引かないように、静粛性も必要だ。また整備のされていない道路は荒れ果てているから、悪路走破性も求められる。


 これらを満たしている車は、そうそうない。少年はハンドルの上に地図を広げ、自動車ディーラーを探した。そう遠くないところに、いくつか販売店が密集している場所がある。そこなら目当ての車も見つかるだろう。そう考え、少年はハンドルを切った。さすがに一年近く放置されていたそこら辺の車に乗っていく気にはなれなかった。


 街には高速道路の高架が東京に向かって南北に走っていたが、入り口に通じるスロープは殺到したらしい車で塞がれていた。車を捨てれば高速道路沿いに一気に東京まで行けそうだったが、この先のことを考えると大量の物資と武器弾薬は置いていく気にはなれなかった。

 バッテリー残量がギリギリになったところで、ようやく目当ての自動車販売店を見つけた。一家に一台車がある時代のおかげか、遠目から見た限りでは荒らされた形跡はない。人々は自分の車に乗って街から逃げ出したのだろう。

 

 とはいっても、駐車場に停められた車は新車と言えど選択肢から外すほかなかった。一年近く屋外に放置され、風雨に曝され続けた自動車が満足に動いてくれるか不安だったし、何より海が近いということで錆が回っているかもしれない。屋内に展示されている車両を狙うしかなかった。

 自分で整備が出来たら、そこら中に放置してる車の中から条件に合うものを見つけて乗っていくのに。少年は技術を身に着けることの重要さを身に染みて理解していた。世の中の多くの人々はホワイトカラーこそ素晴らしいと信じ、ブルーワーカーになることを避けようとしていたが、こういった危機的状況ではどれだけ自分に技術があるかが重要になってくる。


 すでにバッテリーの残量は0に近づきつつあり、少年はのろのろと走るワゴン車を路肩へ寄せた。後部席から自動車雑誌の入ったリュックと昨夜交戦した男から奪った89式小銃を手に取り、車から降りる。

 89式小銃はM1ライフル程長くはないし、MP5短機関銃よりも威力がある。男の死体からは弾倉3本分の予備弾しか見つからなかったが、以前自衛隊員の感染者から入手した5.56ミリ弾が車の金庫に積まれたままだった。肝心の銃が見つからないせいで今まで放置していた形だったが、ようやく役に立つ。

 

 問題は、一発も撃っていないことだ。念のため軽く分解してみたが、男たちには銃器の知識が余りなかったらしく、整備が行われた形跡はほとんどなかった。機関部はひどく汚れていたし、銃身にも大量の煤が付着していた。整備は済ませたが、かといってバンバン発砲する事態は避けたい。車が動かない以上、代わりのものを見つけるまでなるべく感染者には見つかりたくなかった。


車が故障する事態を予期して、少年はあらかじめ雑誌を参考に複数の車種を絞り込んでいた。高速道路の高架のすぐ脇に自動車販売店が4つほど連なっていたが、少年はその中の赤いダイヤモンドがロゴのディーラーへと足を踏み入れる。国内販売は乗用車メーカーの中でも下位の方ということもあり、他の販売店と比べると駐車場は狭く取り扱っている車も少ないようだった。が、少年からしてみれば目当ての車がすぐにみつかるので、ありがたいことだった。


 駐車場には目当てのプラグインハイブリッドのSUVが二台ほど並んでいたが、可能ならば屋内に展示されている車の方を使いたかった。一年近く風雨に曝され続け、動いていなかった車だ。走り始めてすぐ不調が出る、なんて事態は避けたい。

 ディーラーの店舗に荒らされた形跡はなく、ショーウインドーの向こうに見える数台の乗用車も綺麗なままだった。電気が止まり、閉まったままの自動ドアを無理やりこじ開け、少年は店内に侵入した。


 しんと静まり返った店内に、自分の足音だけが響き渡る。閉店作業中に店員たちが感染者たちから慌てて逃げ出したのか、カウンターの向こうには書類が散らばっていた。そのさらに奥の事務所では、いくつか自動車のキーが並んで壁に掛けられている。キーホルダーには番号が書かれていたが、どのキーがどの車に対応するかはわからない。少年は壁のフックにかかっていたキーをすべて持ち出し、ショールームに戻った。

 

 目当てのSUVは、ショールームのど真ん中に堂々と展示されていた。ガソリンエンジンとモーターの両方を搭載し、外部からの充電も可能なプラグインハイブリッド方式を採用したSUVだ。ワゴン車に比べれば車内容積は劣るが、それでも他社のハイブリッド車に比べれば車内空間は広い。さらに四駆ということもあって、荒れた道を走るには最適なモデルだ。

 事務所から持ち出したキーは、5本目でようやく回った。ひとまずエンジンをかけようとしたが、バッテリーが上がっているせいかうんともすんとも言わない。が、これは想定できていたことなのでカーバッテリーの液体を、ワゴン車から持ち出してきた新品と交換する。

 

 バッテリーが充電されるのを待ちつつ、店内を巡ってほかにも使えそうなものがないか探した。店内の自販機をこじ開けて飲料を補充し、食料品が少なくなってきていることを思い出す。計画的な封鎖が行われた形跡があるから、この街の人々が避難したり死亡したのはかなり後になってのことだろう。それまでの間に商店は略奪を受けただろうし、実際に途中で見かけた街のコンビニやスーパーマーケットは荒らされていた。

 

 しかしこの近くには缶詰などの食品会社の工場が密集している埋め立て地区があることは、事前に地図を見て確認できていた。海に面したこの街では沿岸部の再開発が進められており、北部の埋め立て地区にはショッピングモールや映画館、タワーマンションなどが、南部には工場が建設され稼働している。食品工場の中には缶詰や保存食を製造している会社のものもある。工場にはまだ出荷されていないそれらの製品が残っているかもしれない。


 SUVに残っていた古いガソリンをホースで吸い取って捨て、代わりにワゴン車から持ってきた携行缶からガソリンを補給する。そのあとエンジンキーを捻ると、一発でエンジンがかかってくれた。ひとまず車が動くことを確認し、車両搬入用の扉を開けてそのまま外へとSUVを出す。


「あれは……」


 動かなくなったワゴン車へSUVを寄せようとしたその時、高速道路の高架下で柱に激突しているトラックが目に入った。荷台のコンテナには、全国展開しているコンビニのロゴが描かれている。

 もしかしたら荷台には配送されるはずだった商品が積まれているかもしれない。生鮮食品の類はとっくに腐っているだろうが、保存食や菓子類ならばまだ期限が来ていないものもあるだろう。調べてみる価値はある、と少年は考えた。

 しかしまずは物資の積み替えを優先させた。いつ感染者や暴徒が襲ってくるかわからない。襲撃された際、すぐに逃げられるようにワゴン車の物資だけでもさっさとSUVに積んでおく必要があった。




 いつも万が一に備えて荷物をまとめていたせいか、それとも食料等の消費が激しいためか、荷物の積み替えは意外とすぐに終わった。運ぶのに手間取ったのは銃と弾薬だった。これまで死体から入手したり、戦った敵から奪ったりしてきたせいで、集めた銃はかなりの数に上っていた。もっとも、それらの大半が猟銃だったが。

 物資を全てSUVに移し替えた後、ようやく少年はトラックの調査へと向かった。高架の柱に激突し、運転席が潰れたトラックにどれだけの商品が残されているか。コンテナの扉は半開きのままで放置されており、もしかしたら以前に誰かが食料を持ち去っていたかもしれない。調べてはみるが、あまり期待しない方がよさそうだと感じた。


 コンクリートの腐食が進んでいるのか、高架の下にはあちこち水たまりが出来ていた。頭上を走る高架のせいで陽が差し込まず、なかなか水が蒸発しないようだ。薄暗い高架下の道路を、89式小銃を携えながら少年はトラックへと歩いていく。

 道路を塞ぐようにして放置された乗用車の中には、ほとんど死体が見当たらなかった。高速道路が封鎖され、車で逃げるのは難しいと人々は判断したのだろう。いくつか白骨化した死体が乗った車があったが、それらはどれも事故車両だった。この街の多くの人々は、感染者に襲われる前に逃げ出したのだろうか。


 柱に激突した配送トラックの周りにも、水たまりが出来ていた。半開きのコンテナからはいくつかプラスチック製のケースが零れ落ち、中身を地面にばら撒いていた。弁当のプラスチック容器が路面に散乱していたが、カラスに食われたか腐りはてたらしく、中身は当然入っていない。

 コンテナの中は闇に包まれていて、とても外からでは様子を伺えない。少年が中身を確認しようと水たまりへ一歩足を踏み出したその時、ビンと何かが弾ける音が聞こえた。


 次の瞬間、世界が上下さかさまになって少年に目に映っていた。同時に後頭部に衝撃が走り、視界が一瞬暗転する。

 先ほどまでは少年の頭上を覆っていた高速道路の高架が、今は足元に見えていた。そして自分の足首から高架に向かって降りている------いや、伸びている細長いロープが目に入り、少年は自分が上下さかさまの状態で宙にぶら下がっていることにようやく気づいた。

 どうやら自分は罠にかかったらしい。水たまりの中に足を踏み入れた瞬間、輪になっていたロープが引っかかり獲物を吊り上げるタイプの罠だろう。誰が何のために仕掛けたのか考えようとしたが、その時にはすでに少年の意識は薄れつつあった。

 身体中の血が頭に向かって降りてくる。加えて足にロープが引っかかり、転倒した時に強打した後頭部からは血が流れて出ていた。

 確認を怠った自分の迂闊さを呪う暇もなかった。頭をぶつけた衝撃と頭に上る血で、少年の意識は急速に暗闇へと飲み込まれていく。

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