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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第三部:逆襲のお話
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第一一三話 アローン・イン・ザ・ダークなお話

 頬に飛び散った血を手の甲で拭い、少年は次なる獲物を求めて暗視装置越しの視線を周囲に巡らせた。と、その時、暗視装置に覆われていない右目の視界が唐突に明るくなった。空を覆っていた分厚い雲が風に吹き流され、月明りと星の光が地表まで届いたのだ。

 無論、街灯などの人口の明かりと比べればそれらの光は微々たる明るさしか放っていない。しかし人工的な明かりが一切消えた今の状況では、月明りは予想以上に明るく、今まで少年が味方にしていた暗闇をかき消してしまった。一気に明るくなった夜空の下、「いたぞ!」という叫び声と共に、少年のいる場所に向かって銃弾が撃ち込まれる。


 先ほどまでの漆黒の暗闇の中では右往左往するしかなかった男たちが、今や少年に向かって正確な銃撃を浴びせていた。一方少年は暗視装置の恩恵がわずかになってしまったことに悪態を吐きつつ、飛んでくる銃弾を姿勢を低くして避けながら再びトラックの陰に隠れる。


「奴はトラックの向こうだ、周りこめ!」

「手ごわいぞ、注意しろ!」


 そんな言葉が月明りに照らし出される駐車場に木霊する。再び自動小銃による絶え間のない銃撃が始まり、その隙に何人かがこちらに向かって前進する気配を少年は感じた。地面に腹ばいになりトラックの下から向こう側を除くと、駐車場に放置されていたワゴン車のボンネットの陰から身を乗り出し、発砲する人影がいくつか見えた。どうやらワゴン車を盾にしているらしく、後部ドアの窓を叩き割ってそこから銃を構えている者もいた。

 どこかへ移動しようにも、ワゴン車からの銃撃で身動きが取れない。もしもトラックの陰から顔を出したら、その瞬間に銃弾が飛んでくるだろう。ワゴン車の陰から撃ってくる連中をどうにかしなければ、このまま回り込んできた奴らにやられる未来しかない。


 少年は長い自動小銃の銃身をトラックの下の空間に突っ込み、構えた。月明りで敵がはっきり視認できるので暗視装置は仕舞い、スコープを覗く。自動小銃の二脚をボンネットに立てて、こちらを伺う男の頭をレティクルの中心に捉え、引き金を引いた。

 スコープの向こうで男の頭の上半分が弾け、力を失った身体が車体の向こうに崩れ落ちた。隣で猟銃を撃っていた男が慌てて頭を下げるのが見えたが、少年は構わずワゴン車のドアに向けて数発発砲する。

 放たれた7.62ミリ弾は薄いワゴン車の扉を軽々と二枚貫通し、その向こうに隠れていた敵に突き刺さったようだった。ワゴン車の向こうから悲鳴が上がり、少年は自分が放った銃弾が命中したことを確信した。


「この野郎……!」


 怒号が上がり、少年の隠れるトラックに銃弾が殺到する。銃弾が命中したタイヤが音を立てて破裂し、トラックの車体が大きく沈み込んだ。荷台の銀無垢のコンテナに銃弾が突き刺さる金属音が、絶え間なく鳴り響く。しかし自動小銃を持った敵を倒したことで、飛んでくる銃弾の数は先ほどよりもかなり減っていた。


 このままなら返り討ちにできる。少年が確信したその時、銃声をかき消すかのように夜空に咆哮が響き渡った。空気を震わせるその咆哮は、これまで何度も聞いてきた感染者のもので間違いなかった。派手にドンパチしていたせいで、感染者がこちらに殺到してきているらしい。

 少年は舌打ちし、自分が乗ってきたワゴン車を見た。流れ弾を食らって車体のあちこちに穴が開き、窓ガラスにも蜘蛛の巣状のひびが入っているが、見た限りでは大きな損傷は受けていない。

 戦うとなった場合、感染者は人間よりも厄介な相手だ。一撃で頭か心臓でも撃ち抜かない限り致命傷を負ってもしばらく動き続けるし、動きがすばしっこいから銃弾を当てるのにも苦労する。何より、恐怖心を抱かないから銃弾が飛んでこようがひるまずに突っ込んでくる。


 少年はすでに、脅威の対象を男たちから感染者へと変更していた。今は一刻も早く、この場を離れなければならない。これだけ銃声を鳴らせば、感染者も既にどこに人間がいるのか把握しているだろう。襲ってきた男たちも、感染者の咆哮に怯えたかのように周囲を見回していた。

 一方先ほど少年がドアを撃ち抜いたワゴン車の向こうでは、悲痛なうめき声が上がっていた。ドアもろとも撃たれた男が、助けを求める声を仲間に投げかけていた。一人が助けようと盾にしていた車から飛び出しかけたが、少年はその瞬間を見逃さず発砲した。男たちは少年に撃たれるのを警戒してか、各々隠れた場所から動こうとしない。


「おい、助けてくれよ! 痛え……このままじゃ死んじまうよぉ!」


 助けを求める声が木霊したが、彼を助けようとする者はいない。その頃には既に、どこからともなく姿を現せた数体の感染者が駐車場に侵入しようとしていた。

 咆哮を上げ、血の混じった涎を口の端から垂らしながら、感染者が男たちへと殺到する。背後から襲われる形となった男たちは、慌てて振り返って発砲していた。さすがに感染者と戦った経験は豊富にあるのか、突進してくる感染者たちが銃弾を受けて次々と倒れていく。


「逃げるぞ!」


 感染者とも戦う事態は避けたいのか、そんな声が聞こえてきた。なおも現れる感染者たちに向けて銃弾を浴びせながら、男たちが少年とは反対の方向へと逃げていく。その背中に向かって銃弾を浴びせてやりたかったが、そうもいかなかった。男たちの方へと向かわなかった感染者が数体、少年に向かって走ってきていた。

 

 ここで銃声を響かせては、もっと感染者を呼び寄せることになってしまう。せっかく逃げていく男たちが銃声を鳴らして感染者を引き寄せてきてくれているのだ、わざわざこちらに注意を引くこともない。襲ってくる感染者は二体、何とか対処できるだろう。

 少年はライフルから斧に武器を持ち替え、まずは最初にとびかかろうとしてきた感染者の頭に向かって斧を振り下ろした。正面から頭を叩き割られた感染者が、転がるように地面に倒れ込み砂利をまき散らす。

 そのままもう一体も倒そうとしたが、刺さった斧が感染者の頭から抜けない。代わりに少年はナイフを引き抜き、真正面から駆け寄ってきた感染者の腹に蹴りを入れた。ブーツの底の一撃を食らい、仰向けに倒れた感染者にとびかかると、少年はその頭にナイフを振り下ろした。鋭い刃が眼球に突き刺さり、眼窩を貫通して脳にまで到達する。


 身体を一度、大きく痙攣させて動かなくなった感染者からナイフを引っこ抜き、同様に先に倒した感染者からも斧を引き抜く。周囲を見回したが、少年に向かってくる感染者はいない。他の感染者は皆、派手に銃声を鳴らしながら逃げていく男たちにつられていったようだ。

 ドアに弾痕が穿たれたワゴン車の向こうからは、いまだにうめき声が上がっていた。ライフルを構えつつ少年が様子を伺うと、男が一人、血だまりの中でのたうち回っている。少年にワゴン車のドアごと撃ち抜かれたらしく、ズボンの生地が大きく避け、そこから覗く大きく抉れた傷口からはとめどなく血が流れ出していた。今すぐ手当てしなければ、命に関わる傷だろう。

 その額には他の男たちと同じように、黒いバンダナが巻かれている。この黒い布を巻くことで、少年を襲ってきた連中は敵味方の識別を行っているのかもしれない。


 うめき声をあげる男は少年に気づき、取り落したらしい猟銃に手を伸ばした。しかし彼よりも早く、少年が猟銃を拾い上げていた。ついでにその隣で頭の上半分が吹っ飛び、こちらはピクリとも動かない男の傍らに落ちていた自動小銃も拾う。

 男たちの一人が盛んに発砲していたのは、自衛隊の正式装備である89式小銃だった。元自衛隊員がいたのか、それとも自衛隊員の死体か感染者からでも手に入れたのか。少年は小銃の弾倉を外し、中にまだ弾が入っていることを確認し、それから拾ったばかりの小銃を血を流す男へと向けた。


「ま、待て待て待て! 頼む助けてくれ!」


 銃口を向けられた男は慌てて両手を振り、手のひらを見せた。その様子を見て、少年はいったん銃口を下す。ほっとした男に対し、今度は拳銃の銃口が突き付けられた。

 少年は拾った猟銃と89式小銃をスリングで肩にかけ、死体となったもう一人の身体をまさぐる。死体のポケットには空になった小銃の弾倉と、銃弾が装填された弾倉がいくつか突っ込まれていた。それらを片手で着込んだチェストリグのポーチに突っ込んでいく。死体から弾薬を奪ったのち、少年はようやく口を開いた。


「お前たちは何者だ。どうして僕を襲った?」


 だが恐怖からか、男は口を開かなかった。代わりに彼が目を見開くのと同時に、少年は背後に気配を感じた。振り返ると、二体の感染者が少年に向かって走ってくる光景が広がっていた。

 あまりに突然のことで、時間がなかった。少年は構えたままの拳銃の引き金を引き、銃声が海岸の倉庫街に木霊する。先頭を走る感染者の胸に二体、倒れたところでとどめの一発を頭に撃ち込む。もう一体に対しては、5発連続で発砲し、運よく一発が頭に命中した。

 

「ちくしょう」


 せっかく逃げる男たちを追って感染者が離れていったのに、これでは意味がない。耳を澄ませば徐々に近づきつつある咆哮が聞こえてくるし、このままグズグズしていたら感染者たちに囲まれて食らいつくされるだけだ。

 逃げなければ。しかしただ車に乗って逃げるだけでは感染者たちを振り切れない。いくら電気走行が出来るハイブリッド車といえど、走行音が出ることに変わりはない。感染者たちの目の前で車を走らせたら、延々と追いかけられるだけだろう。

 

 何か感染者の気を引くものを置いて、その間に全力で逃げれば何とかなるか。少年は足を撃たれて倒れ込んだままの男を見下ろした。男も少年が何を考えているか気づいたのか、必死に懇願する。


「頼む、助けてくれ! なんでもする、何でもするから早くここから連れ出してくれ!」


 男は必死の形相で、しかし震える声で少年に対しそう訴えた。すでに男が戦意喪失していることは、だれの目から見ても明らかだった。足を撃たれ、武器を奪われ、それに加えて感染者に襲われている。今すぐここから連れ出してくれるのならば、彼は誰にだってついていくだろう。


 助けるべきか。少年の頭にそんな考えが浮かんだ。ここで助けておけば、後で襲ってきた連中の情報や目的について詳しく尋ねることもできる。それに彼は戦意を喪失している、無用な殺しをする必要はない。


 無意識に手を伸ばしかけたところで、「怖い」という言葉が少年の頭の片隅に浮き上がった。

 裏切られたら? そう考えた途端、恐怖が少年の頭を支配した。信頼できない、裏切られるかもしれない。何を考えてもそれしか頭に浮かばず、男を助けるという選択肢は消え失せてしまった。


「お前たちが悪いんだぞ……」


 言い訳をするように、震える声で少年は小さくそう呟いた。そして助けを求める男の手を払いのけ、代わりに彼が足に負った傷口を思い切り踏みつける。野獣の咆哮のような悲鳴が上がり、太ももの撃たれた傷からさらに血が流れ出した。なおも悲鳴を上げ続ける男に背を向け、少年は襲撃者たちから奪った武器を手に急いでワゴン車へと戻る。元々持っていた自動小銃や短機関銃に加え、倒した男たちの猟銃や89式小銃まで背負っているせいで身体がずっしりと重い。


 男の悲鳴が空気を震わせる中、銃を助手席に放り込むと、少年はワゴン車の運転席に座るなりエンジンキーを捻って車を発進させた。すぐさま電気走行に切り替え、悲鳴よりもはるかに小さな電気走行のモーター音を漏らしながら海岸の方へと向かった。


「待って、助けてくれ! 俺を置いていかないでくれ!」


 銃撃で割れた窓から、男の救いを求める声が聞こえてきていた。ルームミラーを見ると、少年が走らせるワゴン車へと必死の形相で手を伸ばす男の姿が見える。その背後からは、感染者たちが男へと迫っている様子も見えた。


「いやだああああああ!」


 ワゴン車が駐車場の角を曲がると、男と感染者の姿は見えなくなった。同時にこの世のものとは思えないような断末魔の絶叫と、さらなる感染者たちの咆哮が少年の耳を突き刺す。絶叫は少年が倉庫街を離れ、海岸に出るまで上がり続け、そして唐突に止んだ。

 

 感染者たちは身動きが取れず、悲鳴を上げていた男を襲うのに夢中だったらしい。感染者たちが走り去る車の音に気付かず、目の前で悲鳴を上げ続ける男を食らっていたせいで追われることはなかった。だがどこから感染者が湧いてくるかわからない。少年はしばらく海岸線の道路に沿って車を走らせた後、見通しがいい直線道路の真ん中に車を停めた。


 こうするしかなかった、と誰かがいるわけでもないのに、少年の頭は言い訳を考えるのに必死だった。何の警告もなく襲ってきた連中だ、助けたところで寝首を搔かれていたかもしれない。それにあの出血と傷ではどう考えても手の施しようがなかった。少年が助けようと助けまいと、十数分もすれば男は死んでいただろう。

 それに彼を助けても、感染者に追われて追いつかれてしまったら元も子もない。生き延びるためには、動けない男を囮にして逃げるしかなかった。元はと言えば襲ってきたのはあいつらだ、当然の末路だ。


『かわいそうな人。あの男の人は助けを求めてたのに、もうあんたしか頼れる人がいなかったのに。それなのにあんたはその彼を餌に逃げたのね』


 そんな声が聞こえて、少年は顔を上げた。ルームミラーに映る後部席に、血まみれの少女が座っていた。少年が保身を優先し判断を誤ったせいで感染者と化し射殺された、かつての仲間が生気のない顔を鏡越しに少年に向けている。


『あんたは誰も救うことなんてできない、ただ殺すだけよ』


 振り返ると、車内には誰もいなかった。ミラーにも何も映っていない。また、幻覚を見たらしい。


 結局、僕は何も変わらずにいられないでいる。戦うことよりも逃げる道を選び、救うことよりも殺すことしかできない。少年はため息を吐き、シートに深々と体を沈めた。

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