第一一二話 見つめてキャッツアイなお話
暗闇の中で複数の銃火が瞬き、盾にしたワゴン車の車体に銃弾が突き刺さる嫌な音が鳴り響く。移動の足であり、大切な武器弾薬や物資を搭載した車を破壊されるわけにはいかない。少年はわざと目立つようにフラッシュライトを点灯させたまま、ワゴン車を離れ近くに放置されていたトラックへと走った。少年の後を追うように銃弾が殺到し、地面に弾痕が連なって穿たれる。
無意識のうちに少年は銃声を聞き分け、相手がどれだけいるか、そしてどんな武器を装備しているかを把握していた。聞こえてくる銃声は警官用のリボルバー拳銃や狩猟用のライフル銃や散弾銃のものがほとんどだった。が、一丁だけ他とは違った銃声が聞こえていた。先ほどから何発も連続で聞こえてくるその銃声は、小口径の自動小銃のそれのように思える。
面倒だな、と少年は他人事のように思った。もしも敵が自衛隊か米軍の自動小銃を装備しているのならば、こちらの勝ち目はぐんと低くなる。猟銃と違い、軍用の自動小銃には銃弾が30発も装填できるし、何より連射できる。少年が持つ警察用の短機関銃も連射はできるが、威力が段違いだ。
何より向こうは射手の数が違う。見えた銃火と銃声の数から判断して、敵はおよそ10人。その全員が銃を持っている。どこからそれだけの銃火器を集めてきたのかはわからないが、弾幕を張られている間に接近でもされたら少年には成す術がない。こういう場合はさっさと逃げるに限るところだが、それも難しい。感染者と違い、相手は知能のある人間だ。
となれば、相手を全員返り討ちにするか、恐怖を与えて二度と手出しするまいと思わせるしかないだろう。少年を追い詰めたと思ったのか、複数のフラッシュライトが点灯し、少年の隠れたトラックを照らし出す。トラックの荷台から運転席の方へと回り込み、少年はワゴン車から持ち出してきていたライフルを構えた。そして運転席の窓ガラス越しに、フラッシュライトの光源めがけて発砲する。
鉄板すら貫通する7.62ミリ弾にとって、車の窓ガラスなど紙同然の存在だった。窓ガラスを粉砕しながら貫通した銃弾は、ライトで先ほどまで少年が隠れていたトラックの荷台を照らす男たちへと襲い掛かる。軽バンの陰からフラッシュライトと銃を構えていた男たちは、突然別方向から飛んできた銃弾に慌てて頭を伏せた。それと同時に「ライト消せ!」という声が聞こえ、自分たちが狙われていることを悟ったのか、次々とフラッシュライトの光が消え周囲は再び暗闇に包まれる。
どうやら相手は戦闘経験をあまり積んでいない連中のようだ。少年は敵の動きからそう判断した。もしも相手が人間相手の戦闘経験が豊富な連中なら、弾幕を張って少年を動けなくしている間に、数名が確実に仕留められる位置まで移動して攻撃を加えていただろう。だがそうしなかった、あるいはそうする前に反撃を食らったということは、相手は訓練されたり戦闘経験豊富な人間ばかりではないということだ。
となると、勝機が見えてくる。幸い、月はまだ雲の向こうに隠れたままで、辺り一面は暗闇に包まれている。街灯は消え、行きかう車のヘッドライトの明かりも存在しない今、月や星の明かりがなければ外には10メートル先も見えないほどの暗闇が広がっている。おそらく少年を襲ってきた連中は、時折姿を出していた月の光を頼りにここまでやってきたのだろう。だが今は月は分厚い雲の向こうに隠れ、ライトも消してしまっている。
敵は戦闘経験こそないものの、暗闇での行動には自信があるようだと少年は判断した。ならばこちらは文明の利器を使って、相手より優位に立つだけだ。
少年は短機関銃をスリングで背中に吊るし、マウントレールを介してライフルに取り付けられたレーザー照準器とフラッシュライトを点灯した。赤外線フィルターを通して不可視の光が暗視装置の中で闇を切り払い、赤外線レーザーがライフルの照準を示している。どちらも不可視光なので、相手も赤外線暗視装置を持っていない限り見ることはできない。
暗視装置をヘッドバンドで装着しているため直接スコープを覗き込んで照準を定められないのは手間だが、暗闇の中でも敵の姿をはっきり視認できるメリットは大きい。さっそく少年は、トレーラーの陰から上半身を乗り出して周囲を探る人影を暗視装置越しに視認した。その人影はきっと暗闇の中、必死に目を凝らして少年がどこにいるのか突き止めようとしているのだろう。少年はその人影の胸にレーザー照準器の光点を重ね、二回引き金を引いた。
腹に響く銃声と共に放たれた二発の7.62ミリ弾は、人影のわき腹と胸に突き刺さった。悲鳴も上げずに地面に崩れ落ちた敵影を確認する間もなく、「あっちだ!」という叫び声と共に銃弾が飛んでくる。銃を撃てば、当然銃火が出る。敵も銃火の位置から少年の居場所を把握しようとしていた。
姿勢を低くし、少年は位置を変えた。同じ場所で撃ち続けていては、せっかく暗闇に紛れて攻撃する意味がない。一度発砲するごとに位置を変えなければ、すぐさま敵が殺到する。
もっとも相手はそのことを承知しているのか、銃撃はすぐに止んだ。代わりに「その場を動くな、周囲を警戒しろ!」という声が聞こえてきた。少年はなるべく音を立てないように移動しつつ、駐車場に積み上げられたプラスチック製のパレットの陰に隠れた。そして今度は別の人影を狙い、同じように発砲する。
また一人斃れ、再び反撃の銃弾が飛んでくるが、その頃にはパレットから離れていた。敵は暗闇の中から飛んでくる銃弾にすっかり恐怖してしまったらしく、物陰から顔や身体を曝そうとはしなかった。少年の位置からでは狙える敵影はなく、必然的に近づいて戦わなければならない。
少年は暗視装置越しに見えた一番近くの敵影のもとへと向かった。月はまだ雲の向こうに隠れたままだ。今や少年は、完全に暗闇を味方にしていた。
駐車場にいくつも放置されているトラック、その一台のコンテナの反対側では、一人の男がボルトアクション式のライフルを抱きかかるようにしてトラックにもたれかかっていた。ぶつぶつと何か呟いているのは、少年に対する悪態か神へ救いを求める声か。
どちらでもよかった。少年はライフルをスリングで身体の前に吊るし、代わりにナイフを引き抜いた。そしてそのまま背後からゆっくりと男に近づいていく。恐怖に震える男は少年とは反対側の方向を向いており、少年が自分の背後にいることすら気づいていないようだった。
服装はジャンパーにジーンズと、ラフな格好だった。こちらも敵味方を識別するためなのか、腕に何か布を巻いている。暗視装置を外せば何色かわかるのだろうが、今はどうでもいいことだった。
防弾や防刃装備は見当たらない。少年は背後から男に向かって両手を伸ばした。左手で口を塞ぎ、こちらに引き寄せる勢いを借りて右手に握ったナイフを思い切り男の背中に突き立てる。ナイフの刃は男の身体に易々と突き刺さった。
肋骨の隙間から差し込んだ刃は、そのまま肺に突き刺さる。男が身体を震わせる気配を左手に感じたが、少年は構わず握ったナイフの柄を左右に捻った。肺の傷口が大きくなり、呼吸困難になった男が言葉も発せず地面に倒れ込む。男は陸揚げされた魚のように口をぱくぱく開き、浅い呼吸でどうにか肺に酸素を取り込もうとしていた。しかしその呼吸もすぐに止まり、男は動かなくなった。
ナイフを握った手に、血の生暖かい感触が伝わってくる。しかし少年は倒れた男を軽く蹴飛ばして完全に動かなくなったことを確認すると、その死体を一瞥することもなく次の敵のもとへ移動を開始した。
今後は自分より少し年上くらいの青年が、少年の新たなターゲットだった。青年はリボルバー拳銃を両手で握りしめ、荒い息を吐き顔を左右に振っている。その顔には恐怖の色がありありと浮かんでいるのが、暗視装置の緑色の視界の中でもはっきりと分かった。
さすがに今度は迂闊に近づくわけにはいかない。青年は狂ったように周囲を見回し、自分に近づこうとする者がいないか確認している。さっきのように背後から近づいてナイフで一突き、というわけにはいかない。かといって銃を使えば、せっかく暗闇を味方につけた意味を失ってしまう。
少年は手近な場所に落ちていた、こぶし大の石を拾い上げた。そして狙いを定め、青年の頭目がけて勢いよく投げつける。体育の野球ではピッチングにはとても自信がなかったが、今回はうまくいってくれた。投げられた石は綺麗な軌跡を描き、青年の側頭部にクリーンヒットした。
「がっ……!?」
暗闇の中、小さなうめき声が上がる。頭を抱えた青年の姿がよろめいたのを確認し、少年はホルダーから斧を引き抜き、一気に駆け寄った。そして振りかぶった斧を、勢いよく青年の頭へと振り下ろす。
斧の刃は頭を覆っていた青年の指を軽々と切断し、頭蓋骨をも貫いて頭頂部に深々と突き刺さった。斧の柄から、硬いものが割れる嫌な感触が伝わってくる。「ゲッ……!」というカエルを踏みつぶしたかのようなうめき声が上がり、青年の身体が一度大きく痙攣した。
斧を持ち上げると、青年の頭がセットでわずかに持ち上がり、刃が抜けると同時にその身体が地面に崩れ落ちる。しかし油断することなく、少年はもう一度その頭に斧を振り下ろした。ばきっという音と、ぐしゃっという何かが潰れる音とともに、青年の顔が文字通り大きく歪んだ。
青年がとっくに死んでいることは、どこからどう見ても明らかだった。二度も斧の刃を受けた頭蓋骨は大きく割れ、顔の形そのものが歪んでしまっている。目は半分飛び出し、口からは舌がだらしなく零れだしていた。耳や鼻からは血の筋が流れ出し、頭頂部の傷口からはぶよぶよした塊が覗いている。
その無残な死体を見て、少年は唐突に自分が人を殺したのだと実感した。今まで人間相手に戦う時は、ほとんど銃しか使っていなかった。感染者相手に戦う時は斧やナイフも使ったが、人間をそれらの武器で殺害したことはほんの一度か二度くらいしかない。
銃を撃っても後に残るには引き金を引いた感触だけだ。だが刃物では人を殺した感触が直接手に伝わってくる。刃が肉を切り裂き、筋肉を断ち切り、骨を割る感触が生々しく味わえる。
僕はいま、人を殺しているのだ。斧を握った右手には、まだ青年の頭蓋骨をたたき割った感触が残っていた。
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