表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第三部:逆襲のお話
125/234

第一〇八話 大衆の反逆のお話

「面白いか?」


 すっかり日記を読むことに夢中になっていた少年は、頭上から唐突に降ってきた言葉に思わず手帳を取り落としそうになった。慌てて顔を上げると、少年の目の前に警察官の制服を着た若い男が立っていた。


「あの、すいません。これ警察の人が落としたみたいで、持ち主が誰か確かめようとしただけなんです」

「別に君を責めているわけじゃないさ、好きなだけ読むといい」

「いや、でも……」

「ところで君は、罪を犯したことがあるか?」


 いきなりの「ところで」に、少年は話題が変わり過ぎだろうと感じた。こっちは警察官が落とした日記を返そうとしているだけなのに。

 それにしても、罪を犯したことがあるかというのは、いったいどういう意味で聞いているのだろう? 少年が犯罪を犯したとか、そういうことを聞いているのだろうか? もしかしたら避難所に人を受け入れるうえで、危険な人間は排除しておこうという質問なのかもしれない。


 目の前の警察官に、素直に自分の今までの行動を話すべきか迷った。が、自分がやったことは全て生きるために仕方のなかったことだという考えが再び湧き上がってきて、「いいえ」と少年は答えていた。


「ありません」

「本当に?」

「ないです」


 生きるためには何でもするしかなかった。空き家に押し入って食料を略奪するのは当たり前、襲ってきた人間を殺すことだってしなければならない。そうでもしなければ、この世界では生きていけない。


「誰もいないスーパーから食料を盗んだり、襲ってきた連中を返り討ちにすることが罪なら話は別ですけど。そうでもしないと僕は死んでいたでしょうし、この避難所でも同じことをやっていたんでしょう?」

「つまりそれらの行為は、仕方のなかったことだと?」

「そうです。それを糾弾されたら、今生きている人々は皆罪人になりますよ」

「なるほど」


 少年の言葉に、警察官は視線を体育館の中で過ごす人々へと転じた。相変わらず活気のない人々。こんな生活を一年近く続けていたのなら、活気どころか生きる気力すら失って当然だが。

 そんな人々を見つめながら、警察官は「私はある」と口にした。


「それもとても大きな罪を。どうやっても取り返しのつかないようなことをね」

「そうですか、それは大変でしたね」

「本当に君は罪を、過ちを犯したことはないのか?」


 警察官のその口調に、少年は少しイラっとした。まるで僕が犯罪者か何かのようではないか。そう言おうとした時、「本当に?」と誰かに言われたような気がした。

 本当に僕は正しかったのか? 僕がやったことは本当に仕方のないことだったのか? 今まで起きたすべての出来事について、その責任は僕にないと言えるのか? そんな考えが一気に頭の中を埋め尽くす。


「違う、僕のせいじゃない。僕は悪くない」

「そうか」


 警察官はそう言って、少年に背中を向けて歩いていく。去り際に、その胸に「鎌田」の名札が下がっていることに気づく。日記を持ち主に返してもらおうという本来の目的を思い出し、慌てて彼の後を追おうと少年は立ち上がった。しかし途端に襲い掛かってきた立ちくらみに、鎌田警察官を追うことを断念する。

後で他の警察官を見つけて、持ち主に渡してもらおう。そう考え、再び少年は手帳に目を落とした。





『5月5日

 ついに避難所内で殺人事件が発生した。配給の料理が少ないという理由で喧嘩が発生し、そのまま殺人へと発展したらしい。犯人は確保し、現在処分を検討している。

 住民たちの間では即刻死刑にしろという声が高まっているらしいが、どうすればいいのだろうか。外の状況を鑑みるに、検察官も弁護士も裁判所も残ってはいないだろう。とりあえず犯人は使っていない倉庫に拘束したが、ずっとそうし続けるというわけにもいかない。

 私個人としては、犯人を殺害することには反対だ。警察官の仕事は犯人を捕まえることであって、勝手に裁くことじゃない。ひとまず住民とも意見を交え、犯人の今後の処分を決める』



『5月6日

 犯人については避難所から遠く離れた場所へ放逐することが決まった。死刑にすることを望んだ者が多かったが、最終的には追放ということで落ち着いた。

 これで良かったのだと思う。個人的な意見だが、死刑を認めていたら今後些細なことですら重罰を与えなければならなくなってしまうだろう。他の同僚も同じ意見だった。

 第一、外では多くの人が死んでいるのだ。ここで人間同士で数を減らしておくべきではない』



『5月8日

 最近住民との間に壁を感じる。外を出歩くだけで文句をつけられ、暴力こそ振るわれないものの取り囲まれて身動きが取れなくなったこともあった。

 彼らの言い分は、警察は横暴だということらしい。確かに避難所を治めるために住民たちには負担を強いているし、一種強権的なところがあることも自覚している。だがそれも必要なことだし、仕方のない部分だってかなりある。そこのところを理解してほしい』



『5月10日

 近藤巡査が行方不明。外へ食料の調達に出かけた際に感染者の群れに襲われ、住民たちを逃がすためにその場に留まったらしい。急遽救助隊を編成して襲われたというスーパーに向かったが、近藤巡査の姿は見当たらなかった。現場には血痕が残っていたことから、感染者に襲われ自らも感染してしまったと考えられる』



『5月12日

 住民の一人が警察官用の拳銃を所持していた。数人で集まって何やら話し合っていたところを野村警部補が発見し、拳銃を取り出すところを目撃したらしい。拳銃を持っていた男を拘束し話を聞くと、最初は外で拾ったものだと誤魔化していた。だが詳しく調べた結果、その拳銃は近藤巡査のものだった。

 その男は二日前に近藤巡査と共に物資調達に出かけた際、仲間と共謀して彼に背後から襲いかかったのだという。気絶した近藤巡査から拳銃を奪ったところで感染者に見つかり、その場に近藤巡査を放置して逃げたのだそうだ。

 近藤巡査を襲い、銃を奪ったのは、警察官のくせに偉そうな顔で色々命令するのが気に食わなかったから……という話だった。公務員のくせに一般市民に指図するのがムカついた、と男は言っていた。ふざけるな、我々は奴隷ではない。

 この日記を書いている間も、怒りが湧いてくる。近藤巡査は私の部下だった。二カ月前に彼女が出来たばかりで、こんな状況でも真面目に職務についていた立派な警察官だった。そんな彼を気に食わないからという理由で襲い、感染者の群れに置き去りにした彼らの行為は到底許されるものではない。

 どうすべきか、すでに方針は決めた。明日、男の仲間を捕まえ処刑する』



『5月13日

 男を取り調べ、近藤巡査を襲った連中を全て拘束した。その後に住民をすべて集め、首に縄を締めた状態で校舎の屋上から犯人たちを突き落とした。

 我々の方針が間違っていた。こんな状況であっても住民たちは自分たちが無力な大衆であることを武器にして権利を振りかざし、全ての責任と義務を我々警察官という公権力に押し付けようとしている。何もしないくせに口だけは立派で、無力な自分たちは安全な場所でじっとしていて危険な仕事だけは我々警察官に押し付ける。我々が不眠不休で避難所を運営してどうにか保たせているのに、あれをしろこれが足りない、それじゃ上手くいかないから俺たちにやらせろと好き勝手なことばかり言う。

 もう我慢の限界だ。これからは我々が最適だと思った方法でやらせてもらう。仲良しグループのままではこの世界を生き延びられないことは明らかだ。生き延びるためには我々が指揮を執り、可能な限り多くの人間を生かす方向で物事を考えていかねばならない。その際住民に負担を強いたり、彼らの自由を取り上げることになるだろうが、仕方のないことだ』



『5月15日

 配給の量が足りないと配膳係に殴り掛かった男を、秩序を乱した罪で処刑』



『5月16日

 我々のやり方は滅茶苦茶だと抗議してきた者たちがいた。野村警部補と協力して全員拘束し、秩序を乱した罰により処刑』



『5月18日

 5名が学校の敷地から脱走。出ていきたい者は好きにすればいい、その分我々の負担も減る。ただし学校の外で生きられるかどうかはわからないが』



『5月20日

 脱走した住民が2名、助けを求めて戻ってきた。他の3人は殺されたらしい。感染者を引き連れて戻ってくる危険性もあったため、避難所を危険に曝した罪によりその場で処刑』



『5月25日

 我々に協力的な住民たちを集め、自警団を結成。今後は避難所内の警備や取り締まりにも彼らに協力してもらう。我々が前面に出るよりも、同じ住民同士の方が話をつけやすいだろう。

 イギリスがインドを植民地にしていた時、現地の支配者には現地人を充てていたらしい。そうすることで怒りの矛先をイギリスではなく同じ民族の人間に向けることが出来、彼らが内輪もめをすることでより支配しやすくなったそうだ』



『6月1日

 外で物資調達を行っていた自警団と住民のメンバーが感染者に襲われ、3人が死亡。二人が感染者に咬まれた状態で避難所に戻ってきた。抗体があるかもしれないということで彼らの助命を求める住民たちがいたが、まだ人間である内に殺害。感染者となってしまえば我々でも手が付けられない。残酷な話だが、住民たちの安全を守るためだ。仕方がない』



『6月10日

 インフルエンザと思しき患者が発生。すでに15名が感染し隔離しているが、満足な治療の手段がない。医師は一名だけいるが、医薬品がないため治療はできない。対処法を検討中』



『6月15日

 インフルエンザの流行が続く。劣悪な環境と医薬品不足により、高齢者と乳幼児が10名死亡。野村警部補も感染し、現在隔離中。これで現在動ける警官は、私を含めて二名のみになった。一番病院へ医薬品の調達に向かったが、焼け落ちていたため何も回収できなかった。

 対処法は考えてある。が、住民たちの同意を得るのは難しいだろう。しかしやるしかない』



『6月19日

 さらに8名が死亡。インフルエンザと思しき患者は全員体育館に隔離したが、なおも感染は続く。

 石田巡査もインフルエンザに罹患し、隔離。高齢だった野村警部補は意識不明の状態。

 もう動ける警察官は私一人しかいない。今や校内は感染者よりもインフルエンザの恐怖が蔓延し、誰もが苛立っている。警察官がほとんど動けないのをいいことに、傷害事件や窃盗が増加している。

 このままインフルエンザの流行を放置しておけば、いずれは全員が感染して動けなくなるだろう。すでに避難民の半数が感染し隔離されているという状況ではあり、最終手段を採るしかない。医薬品が十分にあればこんな手段はとらずに済んだのだろうが、それを言っても仕方がないだろう』



『6月20日

 インフルエンザの患者を体育館ごと焼き払えとの命令を自警団に下した。大勢の命を奪う結果になるが、こうしなければ流行は止められない。

 体育館の出入り口を全て塞いだ後、要所要所にガソリンと可燃物を配置し火をつけた。患者たちの生活の拠点となっていた体育館に火の手が回るのは早く、あっという間に火に包まれた。

 患者たちの悲鳴と助けを求める絶叫が響き、感染していない患者の家族の中には助けようと体育館の扉を開けようとする者もいたが、全て射殺した。患者を外へ出すわけにはいかない。

 住民の中には虐殺行為だと私を非難する者もいたが、仕方のないことだ。こうしなければやがては避難所の人間すべてに感染が拡大していただろう。有効な対処法もなく、通常と違い狭い空間で体力の落ちた大勢の人間が暮らしている今、インフルエンザに感染すればそのまま死んでしまってもおかしくない。

 私を非難する人間の方が間違っている。だったら他にどのような手段があったのか、その連中に聞きたいものだ』




 あれ? と少年はふと違和感を抱いた。日記の中では体育館はインフルエンザの患者を隔離した後、感染拡大を防ぐために患者ごと燃やしたとある。だが今自分がいる体育館は、いたって普通そのものだ。

 もう一つ体育館がある、なんて話はないだろう。これはいったい――――――?


 

 転がってきたボールが足に当たり、少年は我に返った。さっきまで体育館の中心でボール遊びをしていた子供たちの輪の中から、一人の女の子が少年の方へと走ってくる。立ち上がり、彼女にボールを手渡そうとしたその時、少年は女の子の顔を見て頭が真っ白になった。手からボールが零れ落ち、床で跳ねて大きな音を立てた。


「君は……」


 10歳にも満たないであろうその女の子の顔には見覚えがあった。だが彼女はここにいるはずではない存在だと少年は理解していた。なぜならその女の子は、とっくに死んでいるはずだから。


「愛菜ちゃん……」


 数か月前まで少年と行動を共にし、最後は狂った狙撃手によって身体のあちこちを撃たれて苦しみながら死んでいった少女。放置されていた間に野生動物に食われた彼女の死体を、少年は他の仲間と共に確かに埋めた。

 死んだはずのその少女が、今目の前にいる。何も言わず、少年の顔を見上げて。感情のこもっていないガラス玉のような二つの瞳が少年の顔を見据え、その口が開き、「ひとごろし」と彼女は言った。


 途端に少年の視界が大きく歪んだ。目の前の世界ががらがらと音を立てて崩れ去っていき、少年は自分のやったことと真正面から向き合わなければならない時が来たのだと頭のどこかで理解した。

ご意見、ご感想お待ちしてます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ