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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第二部:変革のお話
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第九八話 世界を売った男のお話

 村で起きた一連の出来事は、結末を隠された状態で生徒たちに伝えられた。裕子と礼が村で生存者と遭遇したものの交渉によって彼女たちは解放され、生存者たちは他の場所へ去ったと生徒たちは考えている。真相を知っているのは少年と葵、そして捕まっていた裕子と礼だけ。そして生存者たちのその後を知っていたのは、彼らに直接手を下した少年だけだった。裕子たちのところに向かうまでに何人も殺したことは、言っていない。


 少年は生存者たちを皆殺しにしたことを、他の三人には黙っていた。「生存者たちの処遇を考えていたら銃声を聞きつけた感染者たちがやって来たため、彼らを置いて逃げてきた」と伝えてある。そして感染者があふれているため、キャンプ場には近づくなとも。

 事実をそのまま告げれば、生徒たちはショックを受けるだろう。最悪、二度と外に出ようという勇気を失ってしまうかもしれない。ならばまずは外には危険な連中が大勢いるということを伝えることで彼らに耐性をつけさせ、その後殺さなければ生きていけない世界だということを教えた方がいい。特に安全のために、武器を捨てた女子供を含む30人近くを殺害したということは、今すぐ教えるべきではないだろうと少年は考えた。

 しかしそう自分を納得させようとしても、少年は自分がなぜ嘘をついているのか自身でも理解できていなかった。普段彼らに現実を見ろと言っているくせに、自分でその現実に蓋をしてしまう。今回も彼らに見せるべきなのだ、報復を防ぐために30人を殺したというその現場を。


 そうしないということは、自分は間違っているということか? 人間は誰でも、自分の間違いや過ちを他人に見られたくはないものだ。間違いを衆目に曝したくないがために、大量殺人の事実を隠しているのか?

 僕は間違っていない。少年は自問自答しつつも、何度もそう答えを下して考えるのを止めようとした。しかしいくら否定し続けても、「あれでよかったのか?」という疑問は心から消えなかった。



 

 裕子が予定していたクリスマスは、きちんと24日に行われた。特別に量や種類を増やした豪華な夕食が振舞われ、デザートには缶詰や温室で育てていたフルーツが盛り付けられ、ジャムや蜂蜜がたっぷりと塗られたパンケーキが全員に提供された。食後にはビンゴやカラオケ大会が行われ、最後にはプレゼント交換も行われた。


「……何これ?」


 亜樹が受け取ったプレゼントの包みは、かなり小さな箱だった。中に入っていたのは、赤いグリップと様々なツールを備えたアーミーナイフだった。


「あ、それ私のです」

「このナイフ、杉下さんの? ……ウチの学院って、危険物の持ち込み不可だったはずじゃ」

「ナイフは道具です! それに銃刀法にも違反してないものですから大丈夫です」


 そういう問題ではないような気がしたが、亜樹は素直に受け取っておくことにした。規則に厳しい寮監がいたらひっくり返っていただろうなと思いつつ、ナイフをポケットにしまう。これはこれで実用性があるし、今の世の中ではかなり役に立つだろう。使う機会ならいくらでもある。

 ほとんどが学内で用意されたものとあって、亜樹の知るクリスマスよりプレゼントは粗末だった。亜樹が用意したのは未使用の万年筆、礼は持っていた詩集をプレゼントしたらしい。もっとも礼は下級生に人気だから、何をプレゼントしても喜ばれただろうが。


「プレゼント一つ余ってるけど、誰か受け取っていない人いる?」


 皆が受け取った包みを開封していく中、佐久間が一つだけ残っていた包みを手にして呼びかけていた。亜樹は周囲を見回したが、プレゼントを受け取っていない生徒はいない。なら、あれは誰が……。


「ああ、それ多分彼のものよ」


 そう言ったのは、いかにも乱雑といった感じに新聞紙で包まれたプレゼントを開けている裕子だった。彼女の受け取った包みから出てきたのは、古びたカセットタイプの携帯音楽プレーヤーだった。「それって……」と、葵が意外そうな顔をする。どうやら少年からのプレゼントらしかった。


「意外ですね、てっきりクリスマスなんか無視すると思ってたのに」

「私もよ。実際にクリスマスなんて無駄だって言われちゃったし」


 葵によると、その音楽プレーヤーは村で拾ったものらしかった。単なる気まぐれか、それとも一応行事には参加しておく律儀な人間なのか。とにかく彼もクリスマスに参加してくれたことが、亜樹はどこか嬉しく感じた。確かに無駄なことなのかもしれないが、人間には生きていく上で無駄なことも必要だろう。無駄なことを全て削ぎ落としてしまったなら、そんな人間はロボットも同然だ。少年もまた、人間であることの証なのだろう。


「そう言えば軍曹殿、姿が見えませんね……」

「ここにいないってことは教室ね。プレゼント渡してくるわ」


 そう言って裕子は佐久間が持っていたプレゼントを手に、教室棟の方へと歩いて行った。少年へのプレゼントが誰のものだったのか、それはわからなかった。




 裕子の予想通り、少年は自室として割り当てられた教室にいた。床に広げた毛布の上に、分解されたライフル銃の部品が並べられている。長い棒の先端に布を取り付け、銃身に突っ込んで掃除している少年に裕子は声をかけた。


「あなたは参加しないの?」

「意味がないって言ったでしょう」

「なら、このプレゼントは?」


 そう言って裕子は、少年が村から持ち出した音楽プレイヤーを掲げた。少年は彼女を一瞥しただけで、すぐ視線を元に戻す。


「別に。元々僕のものじゃないし、もう必要ないから」

「……無理、しなくていいのに」


 裕子は少年の背中から、彼がどこか意地を張っているかのように感じた。本当は楽しみたいという気持ちが心のどこかにあるのだろうに、無理して自分を押さえつけている。生き延びることを最優先し、必要な行為以外は全て無駄と切り捨てる。そうしなければ生きていけないと信じているから。

 きっと彼はまじめな性格なのだろうと裕子は思った。だから一度決めてしまったことは、何が何でも守ろうとする。自分の決めたルールに従うことが生き延びる唯一の道だと信じ、柔軟な思考を奪ってしまっているのかもしれない。


 だが裕子は、自分が少年を批判する権利はないと分かっていた。自分と彼とでは、体験してきたことが違うのだ。裕子が彼を批判するためには、彼と同じ地獄を味わわなければならない。少年も自分なりに考え抜いた末に、結論を出したはずなのだから。

 裕子はもう一つ、少年に聞きたいことがあった。自分たちを襲ったあの生存者たちのことだった。

 真実の隠ぺいに、裕子や礼も一枚加わっている。葵は襲ってきた三人組を少年が拷問するところまでしか見ていないが、二人はさらに彼が生存者たちを殺害して回っているのを目撃していた。その後生き残った者たちがどうなったのかは、裕子も知らない。


 しかし彼女は、誰も生き残っていないであろうことを悟っていた。裕子たちから一時間ほど遅れて少年が学院に帰って来た時、彼の車は荷物でいっぱいだった。そしてその夜、いくつもの空の弾倉に弾を込めている少年の姿を彼女は目撃していたのだ。


「訊きたいことがあるんだけど、私たちを解放した後、あの人たちはどうなったの?」

「……感染者がやって来て皆殺されたって言ったでしょう」


 やはり嘘をついている。もしも感染者が襲ってきたのなら、悠長に生存者たちが持っていた物資を集めて回る暇などないし、何十発も銃弾を消費する前に彼なら逃げているだろう。

 わからないのは、なぜ少年が嘘をついているのかということだった。彼の性格なら素直に皆殺しにしたとでも言いそうなのに、なぜ嘘をつくのだろうか?


 恐らく少年の心の中でも、相反する感情が入り混じっているのだろう。一見すると彼は自分の生き方を決め、そのためにはどんな障害をも排除する冷徹な人間に見える。だがそれはこの地獄のような世界を生き延びてきた末に彼が身に纏っているただの鎧で、その中にあるのはもっと別の感情を抱いた人間なのだ。

 

「仮に僕が連中を殺したとしても、それはそれで仕方のないことですよ。僕は大を生かすために小を犠牲にすることは当たり前だと思っているけど、時には小を生かすために大を犠牲にすることも必要なんです」

「……私は別に、あなたを批判するつもりはないわ」

「恐怖はあっという間に広がっていく、ウイルスと同じだ。一度恐怖が広がってしまったら、もう手を付けようがないんです。仮にあそこで僕が連中を見逃していたとしても、連中はきっと僕らに対して報復を決意していたでしょう。そうなったらもう殺し合いだ、どっちかが全滅するまで戦うしかない。僕はその脅威を排除しただけですよ」


 もはや自分で生存者たちを皆殺しにしたことを白状しているようなものだった。一気にしゃべり終えた後、少年は我に返ったようだった。今の態度から、生存者はもう誰もいないことは明らかだった。彼は裕子から顔を背け、再び手にしたライフル銃に向き合う。


「……確かに僕はあいつらを皆殺しにしましたよ、女も子供も撃ちました。でも仕方なかったんですよ、連中は僕らを探し出して殺すと言っていた。あそこで全員殺しておかなければ、やられるのはあなたたちだった。何も小を生かすために大を犠牲にしていたのは僕だけじゃない。日本で感染が広がってから、そんな光景はあちこちで広がっていた。自衛隊は感染者を市民ごと撃ち殺していたし、人が渡っている橋を落として感染者の侵入を防いだり……」


 そう言い訳する彼の姿は、珍しく年相応の少年のものに見えた。やはり彼も、自分のやっていることややって来たことに対して完全に納得できていないのだ。だが誰もどうしていいか彼に教えてくれなかった。だからその気持ちを抑え、自分が見てきたように脅威となるもの全てを皆殺しにしていくことで自分を守っていたのだ。


 そんな少年が可哀想で、裕子は思わず彼を背後から抱きしめようとした。しかし少年は「もう帰ってください」と彼女を拒絶し、その口調も再び冷徹なロボットのそれに戻ってしまっていた。


「僕があいつらを皆殺しにしたことを話そうと話すまいと、先生の自由です。でもその結果他の生徒たちがパニックに陥る可能性があることも考えた方がいい」

「……いえ、私も黙っておくわ。あなた一人に罪を着せるわけにはいかない、元々は私のせいなんだから」

「罪? 罪かどうかを裁く裁判官も検察官ももういないんです、僕がやったのは生き延びるための正当な行為だ」





 裕子が教室を去ってから、少年は一気にライフルを組み上げた。20発の7.62ミリ弾が収められた弾倉を装着してから、ライフルを近くの壁に立てかける。立ち上がった表紙に、彼は窓に映った自分の顔を見た。

 知らない間に、ずいぶん老け込んだように見えた。別に顔にシワが増えたとか、髪が白くなったわけじゃない。それでも自分が変わったことだけは理解できる。目つきは険しくなり、笑顔は消えた。そして顔の右側に刻まれた、眼窩の上下に走る傷痕。

『お前は間違っている』。窓に映る自分がそう言っている気がした。それに対し少年は、僕は間違っていないと自答した。

 良心や道徳なんてものは既に捨て去った。そんなものはこの世界を生きていく上で必要じゃない、むしろ重荷でしかない。以前の倫理観や常識を持ったままでは、今の世界を生きていけない。


 それでも最近、自分が間違っているのではと思ってしまう。後悔の念も捨てたはずだ。それでも少年は、自分が手にかけた生存者たちのことが頭から離れなかった。


「僕は間違ってない……」


 窓に映る自分の顔を見て、そう呟く。裕子に語った通り、あれは仕方のないことだった。日本で感染が拡大し、それを阻止しようとした大人たちがやったのと同じことをやっただけだ。

 少年の脳裏に、とある出来事が蘇った。それと同時に窓に映る自分の顔から、一瞬だけ傷痕が消えたような気がした。


次回は再び回想になります。時系列的には第12話の直後に当たり、主人公の目線で進んでいきます。

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