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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第二部:変革のお話
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第九五話 ソ連式の方が効率的なお話

 他の生存者たちに拉致された裕子と礼は車に乗せられ、どこかへと運ばれていた。目隠しをされているため、外の様子はわからない。しかしそれほど長距離を走っていないことはなんとなくわかった。最後の方は舗装されていない道路を走っているのか、車体がしきりに上下に揺れていた。


「降りるんだ」


 唐突に車が停まり、目隠しを外された裕子はそう言って車の外に連れだした。周囲を森に囲まれた開けた場所に、数台のキャンピングカーと大型の乗用車が停められている。キャンピングカーの脇で洗濯物を干していた女性が、裕子と礼の姿を見て目を丸くしていた。


「ここは?」

「それは後で話す、私についてきてくれ」


 リーダー格のコートを羽織った男が、そう言って一台のキャンピングカーに向かって歩き出す。定年退職した世代に人気だという軽乗用車の後部座席を取っ払ったようなものではなく、バンの後部を改造して本格的に寝泊りが出来るような大型の車両だった。

 銃を持った男に後ろから突かれ、しぶしぶ裕子はリーダーの後をついていく。どうやらここはキャンプ場らしいことに気付いたのは、すぐ近くに小川と洗い場があるのを見たからだった。小川では子供たちがバケツで水を汲み、簡単な流しと水道が引かれた洗い場では女性たちが服を洗っている。その更に奥に見えるプレハブの小さな小屋は、おそらくトイレだろう。


 裕子は小さな子供がいることに驚きを隠せなった。それも一人や二人ではなく、十人以上はいるかもしれない。外の世界の惨状から小さな子供は到底生き残れないだろうと思っていたのだが、このキャンプ場では文明崩壊前と変わらない家族の営みがあった。


「さあ、入ってくれ」


 男に続き、裕子と礼がキャンピングカーに乗り込む。一緒についてきた男は、外で待機するらしい。車内は意外と広く、ベッドにもなるソファーとテーブル、そして壁にはテレビまで設置されていた。車内の一番奥に見える扉は、シャワールームのものだろう。キャンピングカーなんて乗ったことがなかった裕子には、まるで家のような設備の整いように新鮮な驚きだった。


 逃げるのを警戒されているのか、裕子たちはドアと反対側にあるソファーに座るよう言われた。大人しく従うと、テーブルを挟んで向かい側の椅子に男が座る。そしてコートを脱ぎ、「手荒な真似をして申し訳ない」と頭を下げた。


「手荒な真似だってわかってるなら、最初からこんなことしなければいいでしょ」


 礼が冷たく言い放った。捕まった時に殴られたのを根に持っているのかもしれない。


「確かに私だってこんなことはしたくなかった。だけど、もうこうするしか手段がないんだ。さっき外の子供たちを見ただろう? 私たちには守る者があり、そしてその数は多い」

「だからって、他の人を襲って武器と食料を奪い、そのうえ人質に取って脅すのが許されるとでも?」

「わかっているさ、私たちが行っているのは許されないことだと。それでも私はやるしかないんだ、子供たちを生かすためにね。君は結婚をしているかね?」


 答える義務はなかったが、裕子は首を横に振った。男が、一瞬だけ羨ましそうな顔をしたように見えた。


「君もいつか結婚し、子供が出来たらわかるだろう。彼らがどんなに大切な存在であるかを。私は自分の子供たちを生かすためならなんだってするつもりだ。いくら非難してくれたってかまわない。この混乱が収まった後、犯罪者として断罪されることだって覚悟している」

「私も一応未成年で子供なんだけど。それに私たちだって苦労して生き延びてる」


 礼が言ったが、男は憐れむような視線を彼女に向けた。


「私だってできることなら今生きている人全てと仲良くして、一緒に協力して生きていきたいさ。でもそれは無理なんだ。私たちにはそんな力も余裕もない。出来ることは自分や仲間の家族を守ることだけ、それ以外の人間は二の次にするしかない」


 裕子は目の前の男と少年の姿が被って見えるような気がした。自分や仲間のためなら何だってするという覚悟。男と違うところは少年の家族はもうこの世に存在せず、そして彼は既に仲間を失っているという点だろうか。そして目の前の男はきっと、今まで人を殺したことがないのかもしれない。

 そこまで彼も非情に徹することが出来ていないのだろう。もしも男が家族や仲間以外はどうなってもいいというような人間だったら、学院の居場所を吐いた時点で二人は殺されていた。人質なんてまどろっこしい手段をとることもなく、最初から学院に襲撃をかけていたはずだ。


 きっと目の前の男は、世界が一変してしまう前はいい人間だったに違いない。パンデミックさえ起きていなければ家ではよき父、よき夫であり、会社ではよい上司であり続けただろう。

 そう思うと彼に同情する気持ちもあったが、かといって人質にされる方はたまったもんじゃない。しかもその口ぶりや裕子たちを誘導した少女のやり口から、彼らは同じことを前にもやっていることは間違いない。


「今までもおんなじことをやってたくせに。その人たちはどうしたの? 殺したの?」

「殺してはいないさ、そんなことするもんか。きちんと解放したよ」

「武器も食料も取り上げられて放り出されたんじゃ、殺されたようなもんじゃない」

「私たちは殺人などしない。暴力だって、できれば振いたくない」

「私はあんたの仲間に頭をぶん殴られたけど? そいつは結構やる気みたいだったし」


 礼の言う通り、やたらと好戦的な奴もいたなと裕子は思い出した。その男はあの少女と一緒に、葵と少年を捕まえに向かったのでここにいない。


「長期間に渡る避難生活で、皆ストレスを抱えている。もしも私がリーダーでなければ、今頃君たちは殺されるか、ひどい目に遭わされていただろう。血気盛んな若い連中は、他者を殺してでも物資を手に入れろと主張している」


 今も十分ひどい目に遭っているが、どうやら目の前の男はこの生存者の集団がさらに過激化するのを防いでいるようだ。子供たちが一緒に暮らせているのも、自分が仲間を説得しているからだと男は言った。若い独身者たちは子供や妊娠中の女性、老人は足手まといのただ飯食らいの存在であり、さっさと放り捨てるべきだと主張しているらしい。

 純粋に生きのびることだけを考えれば、確かに子供や老人は邪魔な存在だ。戦えないし、守ってやらなければ生きていけない。ただ食料や体力を浪費させるだけの存在。しかしそれを切り捨ててしまったら、人間として終わりだろう。


 裕子は少年のことを思い出した。彼もまた、自分以外の全てを切り捨てようとしている。彼は仲間などを作るつもりはなく、ただ自分が生き延びるため全てを利用しているのだ。この数週間一緒に暮らしてきた裕子たちだって、彼にとっては単なる肉の壁か何かなのかもしれない。あるいは単に学院の施設を利用するためか。


「もうすぐ君の仲間を捕えた私の仲間が帰ってくるだろう。その後君たちをその学院とやらまで連れていく。君たちの仲間が物資と武器弾薬を分けてくれれば、そこで君たちを解放しよう」


 そう言って男は外へ出て行った。元々誰かを閉じ込めるための物ではないので内側からドアの鍵は開けられるが、外には銃を持った見張りが数人立っているのが窓から見える。車ごとここから逃げようというアイディアも一瞬だけ頭に浮かんだが、キーがなければエンジンがかからない。無理に逃げ出そうとしたら、その時は今度こそもっとひどい目に遭わされるだろう。


「先生は、彼が助けに来てくれると思います? もしもこいつらに捕まってなければの話ですけど」


 天井を見上げながら礼が言った。彼とは、少年のことだろう。


「さあ……助けに来てくれればいいけど、その可能性は低いかもね」

「ですよね……。あの子の性格じゃ、あっさりと私たちを見捨てるでしょうね」


 助けに行くなんて労力の無駄。裕子と礼が人質に取られていても物資の引き渡し要求を無視するか、最悪ロシアの特殊部隊並みに人質ごと学院を襲いに行った連中を皆殺しにしようと考えるかもしれない。

 裕子は改めて自分の迂闊さを呪った。少年が言っていた言葉の意味が、少しだけ理解できた。






 その頃少年と、彼を襲おうとして返り討ちにあった少女の二人は、ワゴン車で村外れのキャンプ場へと向かっていた。運転席でハンドルを握る少年の隣では、後ろ手に縛られ口に異物を噛まされた少女が座席に縛り付けられていた。


「この道を右だよな?」


 そう言って十字路で車を停め、地図を突き出してきた少年に少女は頷く。でたらめなルートや位置を教えるわけにはいかなかった。もしもそんなことをすればどうなるか、さっき楽器店で身を以て知らされている。もしも自分が間違った場所に来たと少年が知ったらと考えると、少女は震えが止まらなかった。

 自分の隣にいる少年が、まるで悪魔のように見えた。少年は平然と少女の仲間を殺し、笑顔で拷問した。気が狂っているに違いない。でなければこんなこと、できるはずがない。


 少女にも何の罪もない人を騙して襲い、物資を奪うことへの罪悪感はあった。しかしそれは自分たちが生き延びるために仕方のないことだったのだ。だがこの少年からは罪悪感が感じられない。淡々と作業を行うかのように、人を殺し、痛めつけている。自分たちとはまるで違う生き物のようだ。


 出来ることなら今すぐこの車から飛び降りて逃げたかったが、座席に縛り付けられている状態ではそうもいかない。それに逃げようとした瞬間、少年は自分を撃つだろう。少女は自分の仲間が助けに来てくれることを願った。そうでなければこの少年が自分から遠く離れた場所まで行ってしまうか。




 しばらく車を走らせた後、少年はキャンプ場近くの森で車を停めた。そして「降りろ」と言い放ち、少女をシートに縛り付けていた縄を解く。そして車から降りた少女を手近な木の近くまで連れていき、その木の幹に再び少女を縛り付けた。


「お前の仲間がまだキャンプ場にいるか偵察してくる」


 そう言って少年は森へ向かった。この森の奥にはキャンプ場がある。しかし少年が向かったのはその反対方向だ。東西に沿って走る道路の南北に森が広がっていて、キャンプ場は北側の森の奥にある。しかし少年が歩いて行ったのは、それとは正反対の方向にある南側だ。どこまで行っても森しかない。


 一分が経ち、二分が経ったが少年が戻ってくる気配はなかった。もしかして彼は方向音痴なんじゃないだろうか。少女の頭にそんな考えが浮かぶ。キャンプ場に向かう途中もしきりに地図を確認していたし、道路なんてあまりないド田舎だというのに時折道を間違えていたようにも思える。


 少女の心の中で、再び少年に対する反抗心が顔を覗かせ始めた。今なら少年はいない。未だに戻ってこないということは、ずいぶん遠くまで行っても自分の間違いに気づいていないのだろう。それか戻ろうとして森の中で迷ってしまったかだが、今すぐ少年が森の中から姿を見せようとする気配はない。


 少女は身体を揺すって、どうにかロープを解こうとした。何度か身体を前後に揺らすと、縄が緩んだような気がした。さらに身体を前後左右に動かすと、軽い衝撃と共に少女を木の幹に縛り付けていた縄が地面に落ちる。劣化していたものなのか、途中で縄が切れていた。

 バカめ、と少女は少年を嘲笑った。すぐにキャンプ場に戻って仲間に二人が死んだことを伝え、少年に警戒するよう伝えなければ。少女は少年を殺したいと本気で思った。仲間を殺し、自分を痛めつけ、死の恐怖を抱かせた少年を同じ目に遭わせたかった。


 車には武器弾薬が積まれているが、ドアの鍵はかかっているし、銃はチェーンで繋がれていることは車に乗る時に確認済みだった。弾薬は見当たらないが、後部座席に積まれた金庫の中だろう。それに窓には警報装置が取り付けられていて、割ったら大音量で警報が鳴ってその音を頼りに少年が戻ってくるだろう。宝の山だったが、今は諦めるしかない。後で少年を殺し、鍵を奪って自分たちの物にすればいい。


 少女は北を目指して走り出した。この辺りは感染者を警戒しての巡回で何度か来たことがあるから、ある程度土地勘はある。森を三百メートルも進めば、そこはもうキャンプ場だ。

 後ろ手に縛られているせいで動きづらかったが、それでも少女は走った。無論時折背後を振り返り、少年が追ってきていないかを確認する。キャンプ場に戻ったらまずは、忌々しいこの猿轡を外してもらおう。拳大の物体を無理やり咥えさせられているせいで、顎が疲れ切っていた。

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