第九四話 最後に殺すお話
そうして少年によるお話し――――――実際は拷問そのものだが――――――が始まった。葵は壁際に立ち、黙ってその様子を眺めていることしかできない。口を挟もうものならば、少年の狂気がこちらにまで向けられそうな気がした。
実際に少年が狂ってしまっているのか、葵にはわからない。だがこんなことを行えるのは狂人だけだろう。あるいは少年が気が狂う寸前の状態であるのか。
「君たちの仲間は何人いる? さっき死んだ男も含めてだ」
「……39人だ」
「大人は? 子供と女、それに武器の種類と数も言うんだ」
若者は一瞬、話していいものかと躊躇う素振りを見せた。しかし少年がナイフのグリップに手を当てるのを見て、慌てて口を開く。
「大人は27人、そのうち男が15人だ。武器は……拳銃が三丁とショットガンが四丁、ライフルが二丁」
「弾の数は?」
「……わからない、俺は銃を持たせてもらえなかったから……」
そう言った若者の唇は、恐怖で震えていた。少年は彼の目を覗き込み、「ふーん、そうなの」と一言呟く。
「そう言えば君、虫歯はあるか?」
「え、一本だけ……」
突然の話に、若者は困惑しているようだった。葵もなぜ少年がいきなり仲間の話から虫歯の話をし始めたのか、理解できなかった。しかし少年の目はいたって真面目で、着込んだチェストリグのポーチからペンチを取り出し、手で弄びながら話を続ける。
「それはいけない。知ってるか? 江戸時代の死因第一位は、虫歯だったって話だ。だから虫歯はさっさと治療しないと……な!」
次の瞬間、目にもとまらぬ速さで少年が若者の顎を掴み、顔を持ち上げる。そして強引にその口をこじ開けると、ペンチを勢いよく突っ込んだ。少年が何をしようとしているのかを理解したらしい若者が口を閉じようとしたが、すでにペンチの先端は彼の奥歯を挟んでいた。
「暴れるなよ……暴れるなよ……暴れると痛いぞ?」
「ひゃ、ひゃめ……」
「医師免許や麻酔なんて持ってないけど、仕方ないよね。こんなご時世だし」
少年はそう言って、渾身の力で奥歯を挟んだペンチを引き抜こうとした。奥歯をしっかりと挟んだペンチを捻り、上下に揺すり、渾身の力で引っ張る。若者が目を見開き、くぐもった悲鳴を上げて拘束された両手両足を振り回す。若者の両手がぎゅっと握り締められ、一際大きな悲鳴が上がった直後、少年が彼の口からペンチを引っこ抜いた。
「おっと失礼、違う歯だったみたいだ。もう一回やろうか?」
少年は若者の口から麻酔なしで引っこ抜いた奥歯をしげしげと眺めた後、唾液と血にまみれたその歯を床に放り捨てた。その様子を見ていた猿轡を噛まされた少女が、くぐもった悲鳴を上げる。鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにした若者の口からは、血が溢れ出していた。
「うわぁ……」
その光景を間近で目撃していた葵は、思わず呻いた。葵も昔、虫歯で痛い思いをしたことがある。その時には歯医者で麻酔をかけてもらい虫歯を抜いたが、効果が切れた後はかなり痛みを感じた。歯は神経が集中している場所だから、痛みもより感じやすいのだ。麻酔なしで歯を引っこ抜いた時の痛みなんて、考えたくもない。
「君、嘘ついただろ。知らないなら知らないってすぐに答えられたのに、少しだけ何て答えるか考えてたよね? それに自分の仲間が銃を持ってたのに、その残弾すら知らないっておかしいよなあ?」
若者の身体ががたがたと震え、ズボンを伝って地面に液体が滴り落ちる。彼が失禁したのだと分かったのは、漂ってくる異臭を嗅いでからだった。
少年は血まみれで震える若者を見下ろしながら、今度はベルトに装着した鞘からナイフを抜いた。そして今度はその刃の先端を、椅子のひじ掛けに縛り付けた若者の右手の指に触れさせる。
「次に嘘をついたら、今度は指を切断する。まずは折れてる人差し指からいってみようか。人間には両手足合わせて20本も指があるんだし、一本くらいいいよな?」
「わかった、答える! 答えるからやめてくれ!」
必死な形相で、若者が叫んだ。歯を引っこ抜かれた上に、指まで切断される光景は、葵も見たくはない。それにもしも指を切断した場合、若者には回復不可能な後遺症が残るだろう。切断面が綺麗ならば今の技術で接合することは可能らしいが、パンデミックのせいで病院も外科医もいない。切断されたら永久に指を失ってしまう。
「弾はほとんど残ってない、銃一丁にせいぜい10発から15発だ」
「それでいいんだよ、最初っから素直に答えてくれれば痛い目に遭わずに済んだのにね」
その後、若者は素直に少年の質問に答え続けた。やはり指を切断するという脅しが効いたのだろう、少年が質問をすれば、若者は間を置かずすぐさま答えた。
結論から言えば、少年が考えた通り裕子たちを拉致したのは若者たちの仲間だった。彼らがこの村にやってきたのは全くの偶然らしい。しかし村に物資調達にやってきた少年たちの姿を見て、4人とも拉致することを決めたそうだった。
「前に村の外れで、銃を撃ってる連中を見かけたんだ。後を追うのには失敗したけど、近くに生存者がいるってことはわかった。だから今度見かけたら襲って誘拐しようって……俺が決めたわけじゃないんだ、リーダーがやろうって」
「今はそんなことまで聞いてない。それで?」
武器が乏しかった若者たちのグループとしては、何としてもここで武器弾薬を手に入れておく必要があったらしい。銃一丁に弾が20発では、感染者に襲われた時あっという間に撃ち尽くしてしまうだろう。
感染者から逃げ回る途中で死んだり感染者と化した警官から拳銃を奪ったり、銃砲店に残されていた猟銃などを手に入れてはいたが、人数に対して武器が足りないことは明らかだった。ほとんど戦力にならない女子供を多数抱える彼らは、少しでも多くの銃と弾薬を欲していた。
「で、僕らを襲ったわけか」
「俺は反対したんだ、でもリーダーが仕方ないって……」
「リーダーリーダーって、それしか言えないのかこの猿! 僕はそんな言い訳を聞きたいわけじゃないんだ、大人しく訊かれたことだけに答えろ。で、二人を誘拐した後お前らは彼女たちをどうしたんだ?」
「リーダーが尋問して、俺たちの拠点に連れて行った。人質にするって……」
「僕らがどこで暮らしているかも彼女たちから聞き出したのか?」
無言で頷いた若者に、少年はわざとらしい溜息を吐いた。これで何も見なかった振りをして、裕子と礼を置いて帰ることは出来なくなった。そして自分たちに残された時間も少ない。グズグズしていたら、若者の仲間たちが学院にやってくるだろう。そこで拉致した二人を人質に物資を要求してくるか、あるいはいきなり襲い掛かってくるか。どちらにせよロクなことにはならない。
「拠点はどこにある?」
「村外れのキャンプ場跡地だ、キャンピングカーで暮らしてる……」
「キャンプ場? そういえば、地図にあったな」
雑貨店で見つけたかなり古い地図に、村から少し離れた場所にあるキャンプ場が記されていた。わざわざこんな辺鄙な場所にまで来てキャンプをする連中がいたとも思えないから、とうの昔に営業を停止していたのだろう。
若者のグループはキャンピングカーに乗って行動しているようだった。避難の途中でたまたま家族向けのキャンピングカーの展示場を通りがかり、そこで7台ほどキャンピングカーや大型の乗用車を確保して、感染者の少ない都市部の郊外を移動してきたらしい。
「普段の見張りは?」
「4人くらいが交代で見張ってる。でも今日は人質を連れてきたからどうなってるかはわからない」
「わかった、ご協力どうも」
必要な情報を全て手に入れた少年は若者に猿轡を噛ませると、今度は少女のヘッドホンと猿轡を外し、彼女に向き合った。
「それじゃ、次は君だ。大人しく正直に僕の質問に答えてくれれば、彼のようにならずに済むよ?」
そう言って少年は、息も絶え絶えな若者を指さす。容赦ない暴力と恐怖に曝されていた若者は、わずかな時間で一気に老け込んだように見えた。項垂れている彼からは、ほとんど生気や活気が感じられない。
葵は少年がまるで、戦争映画に出てくる情け容赦のない拷問官であるかのように思えた。相手を身体的にも精神的にも徹底的に痛めつけ、必要な情報を引き出す人間。しかしそこには、少年の意思など介在していないかのように見える。
裕子たちを拉致し、自分たちを襲った二人が憎いから暴力を振っているようには見えなかった。ただ必要なことだからやっている、そんな風に思える。若者を痛めつけている時の少年からは、憎悪も暴力を振るうことへの快楽も何も感じられない。情報を引き出すため、機械的に拷問を行っている。狂気じみた言動や行動も、その方が二人の恐怖心を高めて口が割りやすくなるからそう演じている。葵はそのように感じた。
若者が痛めつけられるところを散々見てきた少女は、彼よりも素直に少年の質問に答えた。彼女が話した内容も、若者の情報とほとんど違いがない。二人をそれぞれ別に尋問して、より精度の高い情報を得るという少年の目論見は達成されたらしかった。
「それで、これからどうするんです?」
「とりあえず、お前は学院に戻れ。こいつらの仲間が襲ってくるかもしれない」
「え? でもそれじゃあ先生たちは……」
「どうにかするさ、こっちにも人質がいるんだ」
そう言って少年は、椅子に縛られたままの若者と少女を見下ろす。生存者たちのグループが裕子と礼を人質に取ったように、こちらにも二人人質がいる。上手くいけば人質交換で、これ以上の死者が出ないで済むだろう。
いきなり襲ってきたとはいえ、彼らにだってある程度仕方のない面があるのだ。少年が仲間たちを見捨てたように、必要に駆られて今回の襲撃を起こしたのかもしれない。そう考えると葵は、可能な限り死者は出したくないと思った。もしかしたら、自分たちが他の生存者を襲い、物資を獲得しなければならない側に立っていたのかもしれないのだ。
無論、交渉がうまくいかないこともあり得る。それどころか裕子と礼を人質に取った生存者たちは、すでに学院を襲うべく出発してしまったかもしれない。ならば二手に分かれて片方が学院に急行して防備を固め、もう片方が生存者たちの拠点に出向いて人質を交換し二人を取り戻すという少年の考えは、正しいもののように思えた。
「お前はこいつらが乗ってきた車で、すぐに学院に戻って防備を固めるよう皆に伝えろ。僕はこの二人を連れて、キャンプ場に行ってくる」
「一人で大丈夫ですか?」
「少なくともお前が行くよりかはマシだろう」
その通りだった。もしかしたら戦いになるかもしれないのに、戦闘経験のない葵が交渉に行くのは危険すぎる。最悪、新しく人質が一名追加されることになるだろう。少年なら捕まるなんてヘマは犯しそうにない。その前にドンパチを始めるだろうが。
「わかりました、じゃあ……」
「待て、これを持ってけ」
そう言って少年がワゴン車の後部ドアを開け、チェーンで繋がれていた銃を一丁、葵に手渡した。自動式のライフル銃で、猟銃として民家に置いてあったものだ。一緒に着脱式の弾倉も5個、葵は銃弾と一緒に少年から受け取った。
「え、いいんですか?」
「上下二連の散弾銃よりかは、連発できるし弾も多いから戦力になる。それより早く行けよ、連中がもう学院に向かってるかもしれないぞ」
少年が携行する日本では違法な20連弾倉を装着したM1A自動小銃に比べれば装弾数は四分の一でしかないが、発砲のたびに一々ボルトハンドルを引いて弾を込める必要がないのは圧倒的なメリットだった。銃を渡してもらえるとは、とりあえず信用されてはいるらしい。葵はそう好意的に解釈して、少年から受け取ったブローニングの自動小銃に弾を込めた。
自動小銃を受け取った葵が車に飛び乗り大急ぎで学院へ向かった直後、少年も生存者たちの拠点であるキャンプ場跡地へと出発することにした。その前に楽器店の中に拘束したままの二人に目隠しを施し、ある「仕掛け」をしておく。
「口を開けろ」
少女の猿轡を外し、そう命令する。困惑する彼女に「早くしろ、それともスタンガンでお前を動けなくしてからやろうか?」と言うと、少女は素直に口を開いた。
「もっと大きく開けろ」
顎を外さんばかりに大きく開いた少女の口に、少年はポーチから取り出した拳大のある物体を咥えさせる。そしてそれをタオルで覆い隠し、さらにその上からガムテープでぐるぐる巻きにすると、まるでアヒルの嘴のように少女の口元が大きく盛り上がっていた。
少女からしてみれば、目隠しをされ何も見えない中、自分が得体のしれない物体を口にしているという事実が恐ろしかった。自分が咥えている楕円形の物体は金属で出来ているらしく、口周りが冷たい。少年が物体に何か細工をしたようで、微かな金属音が口元で聞こえた。
「んー、んーっ!」
「しっかり咥えとけよ、それじゃあ出発だ」
口に異物を咥えさせられて呻く少女と、若者の目隠しを外した少年は、彼らを車に誘導する。二人を立ち上がらせ、店の外に連れ出した瞬間、後ろ手に縛られていた若者が車とは反対方向に向かって走り出した。
単なる恐怖心で少年から少しでも離れたいと思ったのか、あるいは仲間たちに襲撃の失敗を報告しようと逃亡を図ったのかはわからない。しかし少年は冷静に拳銃を抜くと、逃げる若者の背中に向かって引き金を引いた。
乾いた銃声が商店街に響き、シャツの背中に血の華を咲かせた若者が糸が切れた操り人形のように道路に倒れた。口を塞がれた少女がくぐもった悲鳴を上げる中、少年は躊躇なく倒れた若者に向かって二発目の銃弾を放つ。倒れた若者の身体が大きく揺れ、その頭から赤黒い何かがパッと飛び散った。
「ああなりたくなかったら、大人しくしてろ」
もはや少女には、少年に反抗しようという意思などこれっぽっちも残っていなかった。後ろ手に縛られたまま少女はワゴン車に乗り込み、自分がこれからどうなるのかを考え絶望した。
ご意見、ご感想お待ちしてます。