第九一話 お嬢様学校の先生たちが生存者たちに「人質」としてゲッツされたお話
裕子と礼は車から降りた後、ガソリンスタンドとは別方向にあるスーパーへと向かった。村に一つしかないスーパーにどれだけ商品が残っているかは疑問だったが、もはや学院に残された食料も底を尽きつつある。民家を回っていくらかは食料の調達ができたが、それだって焼け石に水の状態だ。
温室の野菜も全員を養うには到底足りない。もしも食料が尽きれば学院の生徒たちは飢え死にするか、あるいは少年がそうしてきたようにあちこちを転々として物資を探す毎日を送るかのどちらかしか選択肢がない。
村は荒れ果て、人はおろか猫一匹道路を渡る者はいなかった。道路の左右に転々と立っている商店のシャッターは軒並み閉まっていたが、おそらくパンデミックだけが原因ではないのだろう。感染が及ぶ前から、この村はすでに終わっていたのだ。
若者の減少と人口流出、残されたのは老人と古くなった建物ばかり――――――そんなどこにでもある、過疎が進んだ村だったのだ。日本が滅亡しようとしまいと、いずれこの村は終わっていたに違いない。
「ありましたね」
礼が前方を指さす。村でただ一つの信号機が立つ交差点の向こうに、駐車場をいくつか備えたそれらしき建物が見えた。チェーン店ですらなく、店主の名字らしい文字が入った看板は錆びて茶色に変色していた。
「この分だと店主の方はいなさそうですね。個人経営ならぬ、故人経営ですね」
「上手いこと言ってないで、さっさと確認しに行きましょう」
裕子はそう言って、手にした散弾銃を握りしめつつスーパーへと向かう。いざという時に撃てるかどうか疑問だったが、撃たなければ生徒に危険が及ぶのだ。彼女たちを守るためにも、自分が前に立って戦わなければならない。
スーパーの駐車場には何台か車が放置されていた。ここも駐在所と同じように、住民が避難のために集まっていたのだろうか。しかし車のドアは閉まったままだし、中に死体も乗ってない。
少年がやっていた通り、まずは物音を立てて中に感染者がいるかどうかを確認しなければならない。感染者が出てこないようにと、裕子は駐車場の車の陰から石を放り投げた。石はアスファルトの地面に当たって大きくバウンドし、ドアが開いたままのスーパーの店内へと飛び込んでいった。
しばらく待ったが、反応はない。意を決して裕子は立ち上がると、いつでも銃を撃てるように保持しながらスーパーへと足を踏み入れる。店内は薄暗く、リュックサックのストラップ部分に装着したL字型の懐中電灯を点けると、ごちゃごちゃとした店内の様子が暗闇の中に浮かび上がった。
「よかった、まだ結構残ってますね」
都市部のチェーン店と比べると小ぢんまりとしているが、それでも品揃えは十分のようだった。床に積み上げられた段ボールが所狭しと並べられ、さながら迷路のようになっている。生鮮食品の類はパンデミック後に村の住民たちによって消費されてしまったらしく、精肉や鮮魚コーナーは空だった。乾麺や缶詰の類も減っているようだが、棚の奥にはまだ残っている。店の裏手の倉庫を探せば、もっと見つかるかもしれない。
「私たちだけじゃ持って帰れないかもね」
「彼に車で来てもらいましょうか」
そんな会話をしつつ、リュックに棚の缶詰や保存食をどんどん放り込んでいく。重いし手が塞がるので散弾銃を一旦床に置こうとした裕子は、「絶対に銃を手放すな」という少年の言葉を思い出してやめた。ちょっとくらいなら……と思ったが、少年がああ言う以上はその言葉に従った方がいいのかもしれない。少なくとも彼はこの過酷な世界を一人で生き抜いてきた。その言葉を聞く価値は十分にあるだろう。
空だったリュックはすぐに食料で埋まり、ずっしりと重くなった。未精米の玄米が詰まった袋も入れると、背負って立ち上がった時にふらついてしまうくらいだった。スーパーに残っている食料を全部持ち出せれば、あと一ヶ月くらいは食料に余裕が出るかもしれない。
「いったん帰りましょう。私たち二人じゃこれを全部持っていくのは無理ね」
リュックに全ての食料を詰め込んで持ち帰るのは不可能だ。かといって一々車とスーパーを往復するわけにもいかない。直接車でスーパーまで来るしかないだろう。車なら、残っている食料を全て持ち帰ることができるはずだ。
ずっしり食料が詰まったリュックを背負い、いざ外へ出ようと裕子が背後を振り返った時、スーパーの入口に人影が立っているのが見えた。さっきまでそこにいなかったはずなのに、唐突に裕子たちの目の前に現れた人影は、どうやら感染者ではないらしい。懐中電灯の光に照らしだされたのは、礼と同年代とみられる女の子だった。少女が一歩後ずさり、セミロングの黒髪が揺れる。
突然の遭遇に驚いているのは少女も同じようだった。あっけにとられた顔で、少女も裕子たちの顔を交互に見ている。
なぜ女の子がここに? 一人か? この村の生存者なのか? 他に誰かいるのか? ようやく出会った少年以外の外の世界の生存者に、そんな疑問がどっと沸いてきた。
そして裕子は少女が怯えた顔をしていることに気づいた。見れば彼女の視線は、裕子と礼が手にした銃に向けられていた。とにかく保護しなければ。それもまだ二十歳にも満たないであろう女の子なら尚更だ。
「待って、私たちは人間よ。感染者じゃない。それにあなたを傷つけるつもりもないから大丈夫」
散弾銃をスリングで肩に吊り、裕子は両手を持ち上げた。隣の礼も現れたのが自分と同年代らしい女の子であることに気づき、銃を下ろす。見たところ、少女は何も持っていないようだった。それに敵意も感じられない。
「私たちはこの近くで暮らしてるの。あなたはこの村で暮らしてるの? 他に誰か、一緒に暮らしている人は?」
「……助けてください、友達が怪我をしてるんです」
裕子たちに敵意がないことをようやく理解したのか、少女の震える唇がそう言葉を紡ぎだした。他にも生きている人間がいるらしいことを知って裕子は安堵した。どうやって彼女たちが一年近く生き延びてきたのかは分からないが、他にも生きている人間がいるというだけで希望が持てる。
「怪我? ここにはいないの?」
「足を怪我してて……早く手当てしないと。お願いです、助けてください」
「わかった、その友達のところまで案内してくれる? 噛まれたわけじゃないのね?」
少女が頷き、裕子は礼を促してスーパーの外へ出た。何はともあれ、今はその友達とやらを助けるのが先決だろう。感染者に噛まれていたのならば判断に迷うところだが、単純な怪我ならば問題ない。簡単な救急キットなら持ってきているし、教師として応急手当の方法も一応習っている。医者に見せなければならない怪我でもない限り、なんとかなるだろう。
「こっちです、急いで」
そう言ってガソリンスタンドとは反対の方向へと向かって走り出した少女の後を裕子と礼も追った。一瞬ガソリンスタンドにいる少年を呼んでくるかどうか迷ったが、少女の様子から今は一刻を争う事態らしい。彼を呼んでいる時間はない。
スーパーの駐車場を出て、商店街を東へ。リュックサック一つ持たない少女の足取りは軽く、裕子と礼はそれを必死で負った。背中のリュックと手にした銃が重かったが、弱音は吐いていられない。
やがて少女が立ち止まったのは、商店街の端にある二台の乗用車が軒先に止められた民家だった。「友達は中です、さあ入って」と促され、裕子はドアを開けて民家に足を踏み入れようとした。
「動くな」
ドアを開けた途端、低い男の声が聞こえた。同時に頭に何か固いものが突き付けられ、手にした散弾銃が玄関から突き出してきた手に奪い取られる。
「先生!」
背後で礼の叫び声が聞こえ、直後呻き声に変わる。振り返った裕子が目にしたのはいつの間にか取り出していた拳銃の銃口をこちらに向ける少女と、頭を両手で押さえて地面に蹲る礼の姿だった。
「ごめんね」
さっきまでの必死な様子はどこかへ消え、軽薄な表情と声で少女が言う。頭を殴られたらしい礼が取り落とした散弾銃を、どこからか出てきたよれよれのジャンパーを羽織る若い男が拾い上げた。「両手を後ろに回せ」と、裕子の頭に銃を突き付けている小太りの男が家の中から出てくる。
「従わないとどうなるかわかるな?」
男の銃口が一瞬礼の方向を向き、裕子はおとなしく従うことにした。恐怖で何も考えられなかったと言う方が正しいかもしれない。生まれて初めて殺されそうな目に遭っている裕子に、冷静に物事を考えられる余裕などなくなっていた。
それは礼も同じらしい。リュックを下ろした二人は両手を後ろに回し、ジャンパーの男がその手をビニール紐で縛る。続いて二人は家の中に入るよう指示された。
家の中は薄暗く、一歩歩くたびに埃が舞った。この家で人が暮らしていなかったことは明らかだ。となるとこの集団は、どこか別の場所からやってきたことになる。
二人が連れてこられたのは、ソファーとテーブルが並べられた応接室らしき部屋だった。そこではもう一人の男が、ソファーに座り二人を待ち構えていた。厚手のコートを羽織り、白髪交じりの髪をきっちり整えた男の年齢は50代半ばほど、スーツを着せればどこにでもいるサラリーマンに見えるだろう。
「すまないね、本当はこんなことしたくないんだが」
よくも白々しい、そう言いたい気分だった。自分たちは嵌められたのだということを、今更裕子は理解した。ここに怪我人なんていない。二人はあの少女に騙されたのだ。
「座れ」
「おい、言葉に気をつけろ。手荒な真似はするな」
銃口で裕子の背中を押した小太りの男を、スーツの男が一喝した。どうやらあのスーツの男は、このグループのリーダーらしい。さっきから申し訳なさそうな態度をしているのも、スーツの男はなるべくこのような手段をとりたくないという意志の表れなのかもしれない。
しかしそれとこれとは別だった。理由はどうあれ、裕子と礼は騙された挙句武器を取り上げられ、今はこうして拘束されている。どんな理由があろうと彼らがやっていることは犯罪だ。
「……何の用です? 私たちを殺すんですか?」
「殺す? まさか! 私たちはそんな真似をしないさ。ただちょっと、食料と武器が欲しいだけなんだ」
「武器ならもう持ってるでしょう? 食料だって私たちから今取り上げたばかりだし」
礼の言うとおり、最初からこの男たちは武器を持っていた。少女が隠し持っていた拳銃と、小太りの男が持つライフル銃が一丁。たぶんジャンパーを着た若い男も銃を持っている。
「確かに銃ならある。だがこれだけでは足りないんだ。食料も皆を養っていくのには到底足りない。私たちのグループには女子供も含めれば40人近くがいてね、必要な武器も物資も何もかもが足りてない」
「だから、私たちから奪おうと?」
「申し訳ないが、そういうことになる。君たちに出会ったのは本当に偶然だった。君たち二人がスーパーに入っていく姿を見ていなかったら、私たちも気付かなかっただろう。こんなことをしようなんて思わなかったはずだ」
裕子は自分の迂闊さを呪った。スーパーに入る時、中ばかりを警戒して外を見ることをすっかり忘れていた。スーパーの中に感染者がいるかもしれないという考えで頭がいっぱいだったのだ。だが今更そのことをどうこう言っても遅い。
「なら、もう用は済んだはずですよ。もう私たちは武器も食料も持っていない、早く解放してください」
「そういうわけにはいかない、君たち二人が持っていた分では到底足りないんだ」
「そう言われても、もう何もないですよ」
裕子は少年たちの存在を隠そうとした。自分と礼が二人だけで暮らしていると誤魔化し、もう武器も何も持っていないと言えば解放されるのではないか。そんな浅知恵はすぐに見破られた。
「君たちは何日か前に、村の外れで射撃の訓練をやっていたね?」
「――――――ッ!」
「図星だったか、まあいい。私たちは偶然だがその光景を目撃していたんだ、後を追うのには失敗したが。訓練するほど銃も弾もあるならば、私たちに少しばかり譲ってくれないか? ついでに食料も頂けるとありがたいんだが」
「お断りします。それにもし私がオーケーしたとしても、他の者が拒否するでしょう」
特に少年は絶対反対するだろう。何せ一緒に暮らしていた裕子たちにでさえ、銃を貸すことを渋っていたくらいだ。得体のしれない集団に銃を渡せと言われて、素直に首を縦に振るはずがない。
「その場合は不本意だが、私たちも思い切った行動に出るしかない。君たち二人が殺されそうになっているのを見て、君のお仲間がいつまでも拒否し続けられるかな?」
「クソ野郎……」
礼が小さい声で男を罵った。
「君たちが村に来た時に、他にも仲間がいたはずだ。まさか歩いてあのスーパーまで来たわけじゃないだろうからね。他の仲間は今どこにいる? そして君たちが暮らしている場所は?」
「そんなこと、大人しく喋ると思う?」
「これでも、喋らないと?」
そう言って男が懐から取り出したのは、一丁のリボルバー拳銃だった。警察官が持っているのによく似た――――――というよりも警察官の拳銃そのものだ。少年が持っていた拳銃の中に、同じようなものがあった。
男が拳銃の銃口を、礼の頭に押し当てた。その指が引き金にかかり、礼の顔から表情が消える。
「やめて! その子は関係ないでしょう! 痛めつけるつもりなら私をやったらどうなの!?」
「君が仲間の居場所を言ってくれればすぐにやめる。私もこんなことをしたくないんだ、大人しく話してくれ。そうしなければこの子がどうなるか、わかるだろう?」
目の前の礼の命と、他の生徒たちの安全。どちらを取るかなんて決められない。だが男の言うとおりにしなければ、礼が殺されるかもしれない。殺されなくとも、酷い目に遭わされるだろう。
だが男から殺気は感じられない。むしろ嫌々やっているという気配すらある。彼としても、死人を出すのは本意ではないのだろう。ならば、交渉の余地はあるはずだ。武器と食料を渡せば、彼らはおとなしく帰ってくれるかもしれない。それで生徒の安全が守れるのならば、検討の余地はある。交渉で何とかしようと決心した裕子だったが、その決意は次の一瞬でぶち壊された。
「早く言え! 出なければこいつを殺すぞ!」
スキンヘッドの男が怒鳴り、礼の髪を掴んで持ち上げる。男がその行為を咎めたが、スキンヘッドは止めなかった。ベルトの鞘に収まっていたナイフを引き抜き、礼の喉元に刃を押し当てる。思わず、裕子は叫んでいた。
「やめて! 一緒に来た二人はガソリンスタンドにいるわ、だからもういいでしょう!」
「まだだ、君たちがどこで暮らしているのかを聞いていない」
「小百合女学院! ここから北の森の中にある!」
喋ってしまった。裕子は自分を情けなく思った。交渉しようという意志は、礼が殺されかけているのを見て吹っ飛んでしまった。
コートの男が満足そうな顔をして、二人の後ろに立つ少女と若者に「もう一人連れて、行って来い」と指示する。これからあの二人も、騙して人質に取るつもりなのだろう。生徒を守りきれなかった自分は教師失格だと、裕子は自分を責めた。
「申し訳ないが、その二人にも一緒に来てもらうよ。言い方は悪いが、君たちは人質だ。人質は多ければ多いほど、要求が通りやすくなる」
「あなたがやってることは犯罪よ……」
「仕方がないだろう! 皆を守るためにはこうするしかないんだ!」
「犯罪」の一言に突然男が血相を変え、裕子に怒鳴る。仕方がない。その言葉を少年もよく使っていた。
確かに男がやっていることは仕方がないことなのかもしれない。武器も食料も足りない今、男はこうするしか他に選択肢がないのかもしれない。人質を取ることだって、本当はやりたくないのかもしれない。そう思うと裕子は彼を責められなかったが、かといって同情するつもりもなかった。自分を騙し、大切な生徒に危害を加えようとした連中に同情なんてできるものか。
「ここを離れる。君たち二人には、私たちが暮らしている場所まで来てもらう。そこに来れば君たちも、私がやっていることが必要なことだと理解するはずだ」
銃口を突き付けられた裕子と礼は、後ろ手に縛られたまま外へと連れ出された。そして軒先に止まっていた車の一台に乗るよう指示される。今まで離れた場所で外で周囲を警戒していたのか、もう二人男の仲間が姿を現した。一人は裕子たちの車へ乗りこみ、もう一人は少女と若者と一緒にガソリンスタンドの方向へと走って行った。
誰も信じない。人を助けようとして騙され、挙句の果てに人質に取られてしまった今の裕子は、少年が言っていたことがようやくわかったような気がした。裕子たちが知らない間に、外の世界はこのようなことがまかり通る場所になってしまっていたのだ。
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