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ただひたすら走って逃げ回るお話  作者: 残念無念
第二部:変革のお話
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第八八話 ぼくたちと駐在さんの一日戦争のお話

今回でプロローグと前日譚を合わせて100話目です。いつも読んでくださる皆様に感謝申し上げます。

 駐在所は軒先の赤いランプや駐車場のパトカーの存在がなければ、普通の二階建ての民家にしか見えなかった。入り口に掲げられた警察のシンボルである金色の旭日章は、飛び散った血らしい茶色い塊が付着し汚れている。

 駐在所の駐車場には多くの軽トラックやワゴン車が停まっていて、さながら避難の直前といった雰囲気が漂っていた。しかしこうして車が停まったままということは、ここに集まってきていた人々は逃げ出すのに失敗したのだろう。車の窓ガラスは割られ、ドアは開いたまま。そこかしこに白骨化した死体の一部が転がっているのであれば、そんな予想をするのは難しいことではなかった。


「銃、ありますかね?」


 葵が落胆したような声を出した。この状況では運よく警察官の死体か何かを見つけて銃を入手できても、全弾撃ち尽くした後、なんてこともあり得る。弾のない銃などただの金属の塊だ。ハンマー代わりにしかならない。

 

「それをこれから確かめるんだ」


 少年はそう言って、さっき道端に転がっていた錆びついたスチールの空き缶を駐車場へと放り投げた。捨てられてから何年も経っていたらしい空き缶は空中を回転しながら駐車場へと落下し、意外と大きな音を立てた。短機関銃を構えた少年の数十メートル先で、ドアが開いたままの駐在所の中から一つの人影が飛び出してきた。


 駐在所の中から出てきた人影は、警察官の制服を着用していた。真っ白なはずのワイシャツは薄汚く、青い制服の袖は破れていた。そして腰のホルスターからは、拳銃の銀色のグリップが突き出ている。


「私がやります」


 学校から持ってきたバールを携え、飛び出そうとした葵を「待て」と少年が手で制した。駐在所の中からもう一体、そして建物の裏からさらに一体が姿を現した。建物の中から後を追って出てきた一体はエプロンを着た中年の女性で、残る一体は白髪の高齢者らしき感染者だった。合わせて三体となった感染者たちは、うめき声を上げながら駐車場を徘徊し始めた。


「どうするの? 戦う時は一体までって決めてるんでしょ? ここは後回しにする?」

「いや、一体ずつ倒していけばいい」


 駐車場には何台も乗用車が放置され、その多くがワゴンやバンといったワンボックス車だ。死角は多く、その上感染者たちは散らばって駐車場を徘徊している。車の陰から蔭へと移動していけば、気付かれることなく全て倒せるかもしれない。


「まずは僕がやる。次はお前たち二人で手分けしてやるんだ」


 そう言って少年は、今まで隠れていた道路脇の放置車両から、姿勢を低くしたまま移動を開始する。感染者たちがこちらを向いていないのを確認してから駐在所前の駐車場に止まったワゴン車の一台の陰に隠れ、短機関銃から斧に武器を持ち替えた。そして残りの二体がそれぞれ明後日の方向を見ているのを確かめ、ワゴン車のすぐ脇をうろうろしていた女性の感染者の首筋に、勢いよく斧を振り下ろす。

 倒れた感染者に念のためもう一撃を食らわせ、『こっちに来い』と手招きする。はっきり言ってやりたくなかったが、そんなことは言っていられない。亜樹と葵も少年と同じルートを通ってワゴン車の陰に移動した。


「一人一体だ。幸い、どっちも別々の方向を向いているし距離も離れている。二人で同時に倒せ」


 亜樹は警察官を、葵は老人をやることになった。それぞれ分かれて車の陰に隠れながら進みつつ、離れた場所でふらつく感染者に近づいていく。亜樹が倒すことになった警察官の感染者は、駐在所の入り口正面からほとんど移動していなかった。しかし幸いなことに、その視線は空き缶が放り投げられた方向――――――亜樹とは正反対の方を向いている。

 葵も配置についたらしい。再び短機関銃に持ち替えた少年が合図を出すのを確認し、亜樹は勢いよく車の物陰から飛び出した。ミスした時は少年が援護してくれることを期待し、手にしたバットを振りかぶる。


 さすがに背後から近づいてくる足音に気付いたらしい感染者が振り返ったが、その時には既にバットを振り下ろしていた。勢いよく振られたバットの先端は、ちょうど感染者の鼻先に直撃した。ごっ、という鈍い音と共に鼻血が吹き出し、感染者の前歯が折れ、鼻の軟骨が潰れる鈍い感触が伝わってくる。


 教師である裕子は、感染者の目を見た途端動けなくなったと言っていた。その二の舞にならないよう感染者の目から視線を逸らした亜樹は、顔面に一撃を食らって倒れこんだ感染者の頭に、もう一発バットをお見舞いした。ばきっという音がして、感染者の額が陥没する。


 感染者は今や小刻みに痙攣するだけで、もう二度と起き上がる気配はなかった。それと同時に亜樹は我に返り、自分のやったことの重大さを思い知る。


 自分は人だったものを殺してしまった。アスファルトに吸い込まれていくどす黒い血を見て、亜樹はそのことを実感した。自分がたった今倒した目の前の存在は、かつては同じ人間だったのだ。

 やらなければやられるし、感染者は既に理性も記憶も失った飢えた獣同様の存在だ。そう言い訳をしても、心のうちに湧き出た罪悪感は消えてくれない。少年が目を見るなと言っていた理由が、今になってわかった。


「よし、よくやった」


 そんな亜樹の心情などまるで意に介さぬように、少年がいつもの無感動な口調で言う。既にその視線は感染者の死体ではなくその腰のホルスターに向いており、感染者が死んだことを確認した少年は、しゃがみ込んでホルスターから銀色の自動拳銃を引き抜いた。

 グリップの付け根にあるボタンを押して弾倉を排出し、スライドを軽く引くと薬室に装填された9ミリ弾が顔を覗かせた。弾倉の残弾確認孔は、8発分のうち7発が金色の銃弾で埋まっている。


 こんな状況にもかかわらず、支給された銃弾を金庫に仕舞いっ放しというのは考えにくい。そう考えた少年が死体をひっくり返すと、ベルトに装着された警棒や手錠のポーチに混じって、明らかに私物と思われるオレンジ色のポーチが腰にあった。携帯電話がすっぽりと入るであろうサイズのポーチを開けると、中から9ミリ弾が8発装弾された弾倉が4本転がり出てきた。


「合わせて40発か……」


 こんな田舎の警察官でも、混乱を想定してか通常よりも多く予備の銃弾を支給されていたらしい。それでもこの先のことを考えると、たった40発の銃弾では少なすぎる。拳銃など感染者相手には護身用にしかならないのだ。それにポーチに収納されていたとはいえ、何か月も手入れされていなかった拳銃や銃弾が確実に使えるという可能性もない。


 しかし、無いよりはマシだ。少年は拳銃に繋がった紛失防止用のランヤードをナイフで切断し、リュックに放り込んだ。貴重な銃弾とはいえ、一度分解して様子を見ないことにはとても使えない。暴発して指が吹っ飛びでもしたら目も当てられない。



 どうやらこの駐在所に集まって来た人々は、どこかへ逃げようとしていたらしい。ドアが開け放たれ、窓が破られたワゴン車やミニバンの車内には、シートに座ったままの死体がいくつもあった。白骨化が進み、顔の皮膚は食いちぎられて男女の区別さえつかないが、服装や車内の床に転がってる杖などから考えると、乗っていたのはお年寄りばかりだったのだろう。ようやく立ち直った亜樹は、車内に残された死体がシートベルトを身に着けたままであることに気付いた。


 自力で逃げられないお年寄を車に乗せ、駐在所までやって来たはいいものの、そこで感染者に襲われた。そんなところだろうか。事態があまりに急だったことは、警察官のホルスターに収まったままの拳銃が示している。きっと銃を撃つ間もなくやられてしまったのだろう、あるいは警察官がこの場で最初に感染者と化したのか。

 そんなことを考えていると、再び気分が悪くなってきた。亜樹は自分がかつて人だったものを殺したという事実を認めたくなかった。彼らだって感染して理性を失う前は、普通に生活を送る人々だったのだ。少年はもう治らないと言っていたが、それでも彼らが生きていることに変わりはない。理性を失ったところで、彼らの心臓は鼓動を続けている。


「なんか、複雑ですよね……」


 もう一体の感染者を倒した葵が亜樹の傍らにやってきて、死体を漁る少年の背中を見つめながら言った。なぜあの少年は、あそこまで割り切って行動できているのだろうか? 亜樹にはそれが不思議でならなかった。無論仲間を失ったというのもあるだろうが……。

 さすがの葵も、初めての戦闘にはショックを受けているらしい。血まみれのバールを握る葵の身体は、わずかに震えていた。それを見て亜樹は何か声をかけようかと思ったが、適当な言葉が浮かんでこない。


「中を見てくる」


 警察官の死体から拳銃を抜き取った少年が、振り返ってそう言うなり、薄暗い駐在所の中へと足を踏み入れていく。彼の後を追うのは、もう少し休んでからでいいだろう。




 外の荒れっぷりとは対照的に、駐在所の中は意外ときれいなままだった。開いたドアから入ってきた砂や泥が床に吹き溜まっているが、それ以外は破壊の痕跡は見当たらない。感染が起きた時、所内には誰もいなかったのだろう。

 入り口のすぐ正面にあるカウンターの向こうには、応接用らしいソファーとテーブルが並んでいる。さらにその奥にあるドアは、生活区画へ続いているに違いない。警察の施設とはいえ、駐在所は警察官が家族で暮らしている場所だ。食料などもあるだろう。


 入ってすぐ脇の壁には、額縁に飾られた一枚のカレンダーサイズの写真が掲げられていた。駐在所の前に並んで立つ、制服姿の警察官の男性と私服姿の女性。おそらくここに住んでいた警察官とその妻だ。そしてその両方の顔に見覚えがあった。警察官は駐在所の正面に転がっている死体で、女性の方は少年自身が倒した感染者だ。


 きっと夫婦揃って感染者になってしまったのだろう。自分の両親の末路を思い出しかけた少年は、無意識のうちに紐で吊るされた額縁を裏返しにしていた。写真を見なかったことにして、何か役に立つものはないか探し始める。


 カウンターの上には書類が散らばり、コードで繋がった電話の受話器は外れたまま宙に揺れている。その奥の応接スペースへと足を踏み入れた少年は、部屋の片隅に鎮座する小型冷蔵庫くらいのサイズの金庫を見つけた。普段は予備弾を収納していたらしい金庫の扉は、開いたままだった。


 応接室に置かれたキャスター付きのホワイトボードには、大雑把な日本地図が黒いペンで描かれている。その隣には村の地図が張られ、脇に地区の名前と住民の数も書かれている。日本地図のあちこちが赤いペンで塗りつぶされ、一緒に数字が書き込まれていた。テーブルの上に広げられたこの県の地図も同様に何箇所かが赤く塗り潰されている。


「この数字って……」


 休息を終えた亜樹と葵が駐在所に足を踏み入れ、ホワイトボードを眺めた。二人とも何が何だかさっぱりといった顔をしていたが、少年はホワイトボードに書き込まれた数字や、塗りつぶされた地図の意味を理解していた。


「きっと死者の数だ。赤く塗られてるのは、感染が拡大していた地域だろう」


 ホワイトボードに描かれた地図は大雑把なものだったが、それでも赤く塗られている地域が大都市ばかりだということはわかった。どれも日本でこの病気が流行し始めた時、感染者が多数発生しているというニュースで聞いた街ばかりだ。

 テーブルの上の地図も同じだろう。赤く塗られた場所が感染者の発生した地域で、数字はそこで死んだと見られる住民の数だ。少年が学院を訪れる前日まで滞在していた街も、赤く塗りつぶされていた。


「沖縄、四国、九州……全滅じゃない」

「でも北海道は無事みたいですよ」

「さあ、どうだか。ラジオの電波が入ってこなくなる直前に、函館でも感染者が発生したってニュースを僕は聞いた」


 この地図がいつ描かれたものかはわからないが、多分正確な情報に基づいているだろう。何せここは警察の駐在所だ、そして警察には感染拡大に関するニュースがリアルタイムで大量に入ってきていた。

 床に散らばったコピー用紙は、水分を吸って皺だらけになっていた。その中の一枚を拾って裏返すと、

『応援ナシ』

『小学校に避難所の開設準備』

『避難民の受け入れ用意』

『一か所を除き道路を封鎖』

などと、県警本部の指示とみられる文言が書き殴ってあった。たぶんこれは、まだ警察が機能していた時期に書かれたものだろう。そのころはまだ、避難計画を練ることが出来るくらいには警察組織はまとまっていた。もっとも、立てられた計画が実施されることは少なかったし、その中で成功した避難計画などほんの一握りだっただろうが。


「ここの人たち、避難しなかったんでしょうか」

「むしろ、この村が避難先に指定されていたんだろう。政府が立てた当初の避難計画だと、感染拡大地域から避難した人たちは、離島や人里離れた過疎地域に向かうことになっていた。人が少なければ感染者も少ないし、人通りがなければ感染する恐れもない」


 しかし検疫は100パーセント万全の状態で行われたわけではなかったので、どうしても避難民の中にまだ発症していないだけで感染している人間が紛れ込んだ。その上感染者も人間を追って移動する。結果、幸運にも初期に感染の発生を免れていた地域に大勢の避難民が押し掛け、そして彼らを追ってきた感染者たちが避難先の地域を襲うことになった。


 この村も、そういった状況に置かれたのだろう。人里離れた場所にあったおかげで、どうにか流行の初期段階は乗り越えられた。しかし村の外からやって来た人間が感染していたために、多くの住民が死ぬか感染者と化した。生き残った人間は殆どいないだろうし、いたとしてもとっくにこの村を逃げ出しているだろう。今この村に生きている人間は、いないと考えていい。


「……もう、誰も助けには来てくれないのね」


 その事実が改めて突きつけられ、亜樹は希望がどんどん失われていくのを感じていた。地図を見る限り、感染は日本中で起きている。こんな田舎でも感染が広がっているのだから、もう安全な場所なんてないだろう。政府も自衛隊も、父の勤務する警察すら今は機能していない。助けを求めても、誰も来てくれない。


「何言ってんだ、最初っから誰も助けてはくれなかったさ」


 それに答えた少年の言葉は、どこか寂しそうだと亜樹は思った。

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