悪夢
ここは京都、夜になると他の土地では感じられない妖しげな雰囲気が漂う。
「敵は本能寺に有り…。」
その本能寺より程近い、とある雑木林で一万の兵が集結する中、涼しげな
容貌を持つ一人の男が呟く。男の名は明智光秀。この男の言う(敵)とは戦国
の魔人と異名をとり天下統一を目前にしていた男、織田信長。織田家の家臣で
も有り、有能で全幅の信頼を信長から受けていた男である。
一方、本能寺の来客用宿泊部屋…
信長は一本の蝋燭に見入っていた。その表情は穏やか、蝋に灯された火を眺
めていると不思議と落ち着くのである。彼はこれまで戦・処刑等で数万に及ぶ
人間を死に追いやっている。その犠牲者達がしばしば夢に出て来るのである。
どのような夢かと言うと一人、小高い丘に上に床几を置いて腰掛け、自らの
軍勢を一望している。そこからは一人一人の姿は小さく見えない。が、号例も
下していないのにも関わらず多くの兵達がノソノソとよろめきながらも近付い
てくる。次第にその姿は露わになるが、そこに五体満足の者は居ない…と、言
うよりも動く方がおかしい状態である。胴を槍が貫き通した者、首の半分以上
に刀を喰い込ませた者、矢を頭に突き立てている者など…皆、一様に血みどろ
である。彼らは
「信長様ぁ…。」「信長ぁ…。」「御待ちを…。」
「お助けぇ…。」「痛いぃ…。」など口にする。
「むぅっ!く、来るなぁっ!」と、信長は叫んでその場を走り去る。
走り続け、満身創痍で血みどろの兵達が追って来ない事を確認し、立ち止まっ
ては池が有る事に気が付く。近付いて水辺を見つめていると…スゥゥ…と、血液
の様な赤い液体が浮かび上がり始め、一点だったモノが拡がるとアッと言う間に
血の池に…。そこからジャポン…ジャポン…と、人の頭らしきモノが浮かんでは
沈み浮かんでは沈みを繰り返しつつ数は次第に増えていきバシャバシャバシャバ
シャバシャァァッ!と、夥しい数の人が、その血の池で溺れ出し、
一人一人が何か一言を残して沈み込む。
「苦しぃっ!」「助けてくれぇっ!」「信長様ぁっ!」
「ヒャァッ!」「グギャァ!」など…。
信長がその光景を見、固唾を飲んでいると目の前の血の池が突如として火柱を
上げて燃え盛る。ブファァァァッ!
「ギャァァァァァァァァッ!」という叫びにもならない叫び声が上がり信長もそ
こから立ち去ろうとするが走れないし立ち上がれもしない。すると、火の池から
全身火達磨の人々が上がり始め、動けずにいる信長を囲むと…
「熱いぃ…」「助けてくれぇ…」「何で火なんか点けたんだぁ…」
「お前も燃えろぉ…」「熱いよぉ…」と、
一人一人が彼に声を掛けつつにじり寄る。
「来るなぁぁっ!」と、叫んだところで悪夢は終わり、目を覚ます。
寝巻きは汗でグッショリである。が、この蝋燭の灯かりを眺めてから床に付く
儀式の様なものを習慣としてからは不思議と悪夢を見る確率が減るのである。
心が平穏さを取り戻し(あくまで一時だが)落ち着いたところでフッ…と、蝋
燭に息を吹き掛け火を消すと、この夜、床に付いた。