思わず
「やっと会えました。先生と別れてからはや21年と9カ月と12日。本当にこの日をどんなに待ち望んでいたか」
「なにがやっと会えましただ。まったく、もう少しで神獣を窒息死させるところだったんだぞ」
「え?」
幸鬱とした表情で話す彼女にエノーミさんは淡々と告げる。
彼女も今の今まで全く気が付いていなかったのだろう。やっと自分のしていたことに気が付く。むしろやっと正気に戻ったと言った方がいいか。ようやくミカちゃんの方に目を向ける。
「グルル」
あらら、どうやらかなり嫌われたようだ。ミカちゃんが怒っているところを俺自身ほとんど見たことがないから、相当あの抱きしめは辛かったのだろう。まあ、彼女の自業自得である。
彼女はいまさらながら事の重大さに気が付いたようで、さきほどから青い顔をしているがもう遅い。時すでに遅しだ。オレはミカちゃんをなだめるため、やさしくなでなでしてあげる。
「それでもう一度訊くが、オマエはなにをしに来たんだ?」
「もちろん先生に会いに!」
「そうか。それでいったい会ってどうすると言うんだ」
「そんな先生……、恥ずかしくてとてもとてもここでは言えないですよ」
「…………」
オレは何と言って返したらいいかわからない。彼女はというと数秒前まで青い顔をして落ち込んでいたはずだが今は満面の笑みである。わけがわからない。これに対してエノーミさんはなにを考えているのだろうか。いつも通り無表情を貫いて淡々としている。当然のごとく沈黙がその場を支配する。
まあなんだ。なんにしろこういうのを乙女チックと言うのだろうか。彼女の周囲にまるでキラキラとした何かが見えるような気さえしてくる。クネクネと体を動かしながら、何かを妄想しているかのように自分の世界に浸っている。
男だったら完全に気持ち悪い奴だが、女の子がやる限りまあ許せる範囲ではある。あくまでぎりぎりだが。
「ビオレラ、もう一回だけ聞いてやろう。今度ふざけたこと言ったら、問答無用でたたきだすからな」
「はい!?」
彼女はようやく自分の世界から引っ張り出され、びっくりしたように返事をする。
エノーミさんの表情に変化は全くないが、心なしか周りに漂うオーラ的なものが怒りを醸し出しているようにも感じる。エノーミさんは怒ると怖いからな。かつての悲劇と言うべき惨劇をオレは思い出す。
あ~、こわ。ちらりと思い出しただけで恐怖のために身体が震えてくる。
彼女もそれをおそらくわかっているのだろう。今度は至極真面目な顔で、むしろ少しこわばった顔で姿勢を正した。というかいまさらだが、彼女の名前はビオレラさんって言うのか。
「それでは私の要件をいいます。突然ですがお父様からエノーミ様に伝言を預かってきました」
「ほ~う。で、その伝言とは?」
「エノーミ様にはいったん国に帰ってきてもらわなければなりません」
……お~。思いのほか真面目な話。ビオレラさん(ここからは勝手にそう呼ばせてもらうことにした)のキャラ的にもうちょっと軽い話が来ると思っていただけに、オレとしても自然と背筋が伸びてきたような感じがする。
「わかっていると思うが、私がそう言われて素直に帰ると思っているのか?」
ですよね。
エノーミさんは馬鹿ばかしいとばかりに一蹴した。
「もちろん私たちもそれはわかっています。ですが今回はそうもいかないのです」
ビオレラさんはさきほど投げ出した荷物を拾い上げると、おもむろにリュックの中をあさりだす。一体なにを探しているのだろうか。がさごそとリュックの中を確認していると、彼女は一通の封筒のようなものを取り出した。なにかの手紙だろうか。見た感じ封筒の表面にも裏面にもなにも書かれていないように見える。しかし、彼女はそれをおそれおおそうにエノーミさんに手渡す。エノーミさんはいつも通りの流れるような動作で封筒を受け取ると、何かを確認するかのように封筒の裏表をゆっくりと触っている。
「ほ~。これはまた随分と手をかけたな。よほど他の人には見られたくないということか」
「はい。この話は他者に知られると非常にまずい要件なので、私たちとしてもこの世界ではエノーミ様以外には開けることができないようにさせていただきました」
エノーミさんは至極おもしろそうに封筒を眺めている。なぜだかとてもうれしそうだ。一体あれはなんなんだろうか。気になる。しかしエノーミさんに開ける気配はない。
「ビオレラ、お前はこれを開けることができるか?」
「む、むりです。なにをおっしゃっているんですか」
思わずと言ったようで、ビオレラさんの声が若干裏返る。予想外のことを言われたようで、ものすごく焦っていた。
確かに自分でも今さっきエノーミさん以外には開けられないって言ったばっかりだからな。そりゃあ、無理ってもんだ。
「試しにやってみてもいいぞ」
「え?」
エノーミさんから再び封筒を手渡されたビオレラさんはしばしどうしたらいいかと思案していたようだが、おそるおそるといったようにやってみることにしたようだ。
彼女は目を閉じ、何かに意識を集中している。
1秒、10秒、1分と刻々と時間が経過していく。オレは黙ってその様子を見ていた。……およそ10分くらいたったろうか。時計をちらりと確認する限りそんなもんだろう。彼女はゆっくりと目を開いた。その額には大粒の汗が光っている。
「やっぱり、私にはとうてい無理です」
ビオレラさんはとても疲れた様子で、封筒をエノーミさんに返す。
「これにはいくつ鍵がかかっていたかわかるか?」
「……おそらく7つです」
ビオレラさんは悩むような素振りをみせながら、自信なさそうに小さな声で答える。
「惜しいな。正確には8つだ」
エノーミさんの淡々とした言葉に、彼女は顔を僅かに赤くして恥ずかしそうに目を伏せる。すいません、と彼女は消え入りそうな声で答えた。
なぜだろう。オレとしてはここでなにか言わなければいけないような気がした。
「まあまあ、何をしていたか俺にはさっぱりわからないけど、一つの違いくらいでそこまで恥ずかしそ
うにしなくてもいいと思うよ。実際惜しかったわけでしょ」
すると彼女はまるで宇宙人を見ているかのように奇異の目で俺の方を見つめてきた。いや、正確にはこいつはいったい何をほざいているんだ、みたいな目かな。とてもとても驚いているように見える。
あ~なんだ。別に変なことを言ったわけじゃなんだけど、そんな反応をされるとオレとしてもかなりへこむ。こちとら女の子にそんな目をされて平気なほどメンタルはけっして強くない。むしろものすごく弱い。典型的な日本人タイプのオレにそれは酷ってもんだ。やるならイタリア人にしてくれ。
「……ありがと」
「…………別に思ったことを言っただけだよ」
ぐはっ、ツンデレか!? ビオレラさんはツンデレだったのか。そしてこのオレの気の利かない平凡な返し。うわ~、まじ自己嫌悪。数秒前の自分を殴りて~。それにしても聞きとれるか聞きとれないかのギリギリの小さい声であったが、逆にそれが何とも言えない彼女の羞恥心を煽ってその魅力を増大させていた。これがツンデレってやつか。ギャップにひかれるとはこういうことを言うのだろうか。いまさらながら恐ろしい破壊力を持った代物を身をもって体験したのだった。