ズーイダ
窓の向こう側には満月まであと少しのフレーン。ちょうどきれいな三日月型をしたトリナム。そして今日見ることはできないが、普段はその場所に爛々と輝いて見えるズーイダ。夜空には二つの黄色い月が浮かんでいた。
とてもきれい。でもいつもとは違う夜空。昨日の夜空とは比べ物にならないほど寂しい。
私はぼんやりとした気持ちでズーイダのいない夜空を見つめ続けていた。
何かわたしみたい。
昔からこの月を見ると不思議と自分自身によく似ていると感じさせられてきた。普段は驚くほどきれいな満月をその夜空に浮かべ、夜の世界を青白く照らしていた。一瞬で心を奪われるような美しさ。そしてその大きさ・光量はフレーン、トリナムの比ではない。三つの星の中でも特別に信仰の対象として崇められ、神聖な星として考えられているズーイダ。この月を崇拝している人々は極めて多かった。しかし、偶然か否か神聖な数字2の並ぶ22日間で一度だけその姿を夜空から消し去るため、罰当たりな星としてとらえている人々もいた。神に逆らう星。そう呼ばれているのを聞くことはけっして珍しくない。
けれども私はそうは思わない。なぜだろう。どんなものにも休養は必要である。もちろん月でさえも。気を抜きたくなるときだってあると思う。きっとズーイダは22日に一度誰の目にも触れないところで休憩しているに違いない。なにせ21日間も連続で輝き続けているのだから。幼心にそう思っていた私は今でもそれが正しいと思い続けていた。そしてその心は今の私にとって痛いほどよく理解できた。
そんなズーイダに私はいつも親近感を持っていた。
常に期待されている私。物心ついた時から誰にでも笑顔でいることを要求され、悪いイメージを持たれないよう常に意識し、いい自分を常に見せるよう教育させられてきた私。気を抜く場面などない。例え親・兄弟、家族、友達でさえも。一つの例外を除き、家族でさえ自分を偽り、いつだって愛想を振りまき、どんな場面でも気を抜くことは許されず、模範のごときふるまいで神のように崇められる私。決して私は特別な存在などではないのに。もちろん人々にやさしく接し、自分のいい面を知ってもらえることは途方もない喜びであり、それが自分に課せられた運命であることも自覚している。だけど私だって普通の人間である。生まれはともかく、神などでは決してない。
私は人々にはフレーンのような存在と言われていた。
フレーンは若干の満ち欠けはあるがほぼ満月に近い状態であり続け、明るさ・安定の象徴としてよく例えられていた。常に地上を照らし続けるフレーン。常に人々を照らし続ける―――。それが私につけられた風評。
「フレーンか……」
私は自分自身のことをずっとズーイダのようだと思っていた。
普段は圧倒的な明るさで輝き続け、不意にその身を空に隠す。まるで誰にも弱っているところを見られたくないかのように。わたしにはそう思えた。まるで、本当の自分を押し隠すかのように。
「やっぱり似ていますね、私たちは……」
答えが返ってくるわけでもない夜空に向かって、私は語りかける。
(ズーイダと君は似ているよ)
私は声のした方に目をやる。先ほどから部屋の隅に気配があるのは感じていた。しかし、いつものことなので声をかけられるまでは黙っていた。
「やはり、クロはやさしいんですね」
(そ、そんなことないけど…。だけどいい加減その呼び方はやめてほしいな。なんだかとても弱っちそうに聞こえるんだけど)
「そんなことないですよ。クロはとてもかっこいいし、強いじゃないですか」
(まあ、それはそうなんだけど、なんかしっくりこないな~)
「名前はどうであれクロはクロです。別にいいじゃないですか」
(全然良くないんだけど……。でも君はいつも通りだから何を言っても無駄だろうけどね)
私はそんなことを言うクロの様子がおかしくて、思わず笑ってしまう。
ホントにクロにはいつも助けられている。クロと出合わせてくれた神様に感謝しても感謝しきれない。そしてもちろんクロ自身にも。私の唯一心の許せる相手。本当の自分を素直に表現できる相手。辛い時や、悲しい時、いつもクロがそばにいて話を聞いてくれた。時にはどうでもいい愚痴でさえも最後まで聞いてくれる。
「クロちゃん、本当にありがとう」
私の素直な気持ちである。
(急にどうしたの。え……? 泣いてるの?! ちょっとどうしたんだよ)
クロは私の様子を見て慌てふためいている。あたふたとしている様は本当にかわいい。姿かたちはともかく、その言動はまるでかわいい弟のよう。
「ごめんね。ちょっと目にゴミが入っちゃった」
(なんだ。驚かせないでよ)
クロは本当に安心したのか、そのぴんと張ったかわいい耳をペコリと前に折りたたむ。
「クロちゃん、今日はもう寝るね。おやすみなさい」
(うん、おやすみ)
私は窓の外に見える夜空を今一度見上げる。
「明日は会えるよね」
ズーイダに向かって語りかけると、いつもより早くベッドの中に入り自らの睡魔の海に沈んでいくことにした。
―――――――――
(もう眠ったかな?)
返事はないのでどうやらこの部屋の主は眠ったようである。
規則正しい寝息が心地よく部屋にこだまする。
さきほどまで話し相手となっていたクロは、部屋の暗がりからのっそのっそと歩き出てくる。その身は綺麗なほど闇に同化していた。歩く姿はとても優雅であり、見る者をひきつけてやまない。また絶対的な存在であることを嫌でも感じさせる力強さがその身からあふれ出ていた。眠りに入った少女と会話していたあのかわいらしい様子とはかけ離れている姿。その存在はこの世界を統べる神の一つ。
クロは少女のベッドに近づいていくと、静かにその顔を覗き込む。
(時はゆっくりと回り始めているよ。本人が気づいていようと気づいていまいと。でもその時は確実に近づいている。僕が君と出会ったのも、それが定められたことだから。そして君を守るのが僕の使命。でもその行きつく先は僕にもわからない。だれにもわからないんだ)
クロはベッドの前に腹ばいになると、自身もまた深い眠りへと降りて行ったのだった。
サブタイトルをどうしようかと思案中。
さすがに適当すぎるから変更したい。