応仁の乱……。
気まぐれなるままに、書いています。
完全なる主観です。
五百年前の「残念」を抱きしめる
「なぜ彼らは、手の中にあった幸せのピースを捨ててしまったのか」
歴史の教科書を開けば、そこには「日本三大悪女」の一人と称される日野富子や、政治を放り出した「無能な将軍」足利義政の名が冷ややかに並んでいる。
応仁の乱という泥沼の戦を引き起こし、京都を火の海に変えた一族。
しかし、その記録の行間を丁寧になぞってみると、そこに見えてくるのは「悪意」ではなく、あまりに皮肉な「才能のミスマッチ」と、家族の間に決定的に欠けていた「ゆとりのなさ」だった。
さらに芸術肌と理数系……、超感覚人間と超現実主義者……、会話が成り立たない……。
富子には乱世で幕府を支えるための、驚異的なマネタイズ能力があった。
義政には、五百年後の私たちが足を止めるほどの鋭い美意識と、静寂を愛する哲学があった。
そして息子の義尚には、父を超えようとする真っ直ぐな向上心があった。
もし義視が兄のセンスを形にし、義姉の財布を管理し、甥(義尚)を支える……そんな『ゆとりある叔父さん』でいられたら……
パズルのピースは、どれも最高級の輝きを放っていたのに、彼らはそのピースを「家族の幸せ」という一つの完成図に向けることができなかった。
同じ家の中にいながら、それぞれ見つめるベクトルはバラバラで、手にした才能は互いを補い合うためではなく、相手を刺し、自分を守るための武器として使われてしまった。
届かなかった「余白」のメッセージ
その象徴ともいえるのが、夫・義政が心血を注いだ「東山文化」の結晶、銀閣寺である。
戦火に包まれる中、現実から逃避したと批判される彼だが、その「侘び・寂び」の哲学を、よくよく現代人感覚で見つめ直せば、それは言葉でうまく伝える事の出来ない芸術家なりの、精一杯のSOSだったのではないだろうか。
彼が求めた「間」や「余白」は、単なる美学ではなく、ギスギスした家族の間にこそ必要だった「心のゆとり」そのものではないのか。
実務と数字に追われる富子に、完璧な将軍であることを強いられた息子・義尚。
彼はその静寂な庭園を通して「もっと力を抜こう、あるがままの自分でいなさい」と伝えたかったのかもしれない。
しかし口下手な芸術家の「余白」は、切羽詰まったゆとりを失った家族には、「高価な怠慢」としか映らない。
ベクトルが重ならない家族にとって、夫の説く「ゆとり」は妻の「焦り」を逆なでし、父の示す「無常」は息子の「責任感」を虚しくさせた。互いを想う気持ちが、使っている感覚違いによって、どんどんとすれ違い続けていく。
その決定的なコミュニケーションの無さが、家族(一族)を、そして国を、取り返しのつかない「残念」な結末へと押し流していった。
翻弄された「スペア」の悲哀
この家族の狂騒曲の中で最も「ゆとり」を奪われたのが、弟の義視だった。
静かに仏門で過ごしていた彼は、兄・義政の「早く隠居して趣味に生きたい」という自分勝手な都合で無理やり還俗させられ、次期将軍の座に据えられた。
しかし富子に息子が産まれるや否や、今度は「邪魔者」として放り出される。
もし義政が、弟を単なる「代役」ではなく、実直な「右腕」として信頼し、富子がその「実務能力」に居場所を与えていたなら……。
彼は、浮世離れした兄と、現実主義すぎる姉の間に立つ、最高の中継ぎ役になれたはずだ。
しかし誰一人として他人の人生に寄り添う「心の余白」を持たなかった結果、義視は敵味方の間を漂流し、一生を「裏切りと疑惑」の中で終えることとなった……。
未来人としての「再構築」
歴史とは単なる過去の記録ではなく、私たちがより良く生きるための、壮大な「失敗図鑑」である。
足利家の人々が手に入れられなかった「心のゆとり」や「共有されるベクトル」は、五百年の時を超えて、今の私たちに静かに問いかけてくる。
私たちは、富子のように正論で誰かを追い詰めてはいないだろうか?
義政のように自分だけの「銀閣寺」に閉じこ もり、対人・対話から逃げてはいまいか?
あるいは義視にしたような自分都合で、他人を翻弄し迷惑をかけていないか。
そして義尚のように……、誰かの期待に応え、または理想が高すぎて、自分自身を追い詰めていないか。または重圧に潰されてないか。
彼らの「残念すぎる結末」を冷笑で眺めるには、あまりにも現実的過ぎた。
誰もが幸せを望み、たぶん身近な人の幸せを願っていた。
義政が銀閣寺に込めた「余白」や「間」の哲学……。それは家族に向けた「もっと楽に生きようよ」という、口下手な芸術家なりの精一杯のメッセージだったのではないか。
自分たちの人生に「余白」を作り、生きるための糧にする。
そのとき初めて、不器用すぎて幸せになれなかった彼らの魂は、長い彷徨を終えて報われるのかもしれない。
銀閣寺の庭園に腰を下ろし、義政が求めた静寂を深く吸い込む。
そこには、かつて家族全員に届かなかった、メッセージの残り香が漂っているだろう。
未来人である私が、彼らに代わってその「ゆとり」を慈しむこと……。
それが血にこだわる修羅の世に生き、それでも美しさを形に残そうとした不器用な一族への、私なりの餞である。
読んでくれて、ありがとうございます(*´ω`*)




