4話:「悲哀の巨星」シリウス・トリスティ
シリウスの眷属を退けたテラピ旧要塞に、束の間の安寧が訪れていた。
セネトは要塞の屋上に立ち、眼下に広がる白銀の死街――テラピを眺めていた。
ふと眼下の森に視線を向けると、森の中の湖に小さな光が見えた。
その光はセネトを導くように脈動している。
「あれは……僕を呼んでいるのか…」
セネトは悲哀の巨星の禍々しい光とは異なる、その小さな光に自然と導かれた。
寒空の中、白い息を吐くセネトは一人で森を抜け、湖に辿り着く。
小さな光は湖の底に沈んでいた。
セネトが湖の畔に立つと、水面に波紋が広がっていく。
波紋は次第に大きな波を起こし、水しぶきを上げる。
セネトは驚きながら様子を見ていると、湖の水面は轟音とともに二つに割れて小さな光のもとに道を作った。
「導かれている…進もう…」
セネトは恐る恐る歩みを進める。
湖底を歩き光のもとに辿り着くと、そこには大きな鹿の角のような白い枝が発光して地面に突き刺さっていた。
セネトはそっと白い杖を手に取る。
その瞬間、全身の血管が沸き立つ。
心の内の感情が杖によって収斂していくのを肌で感じる。
(魔法を扱える…)
理由はわからないが、セネトはそう確信した。
…
木の陰から、不安そうな顔で、杖を手にするセネトを見ている龍人がいた。
彼女はズイカク、「仲裁を司る星」の化身だ。
半人半龍の姿をした彼女は、長い白髪を揺らしながらセネトの反応を伺っていた。
フィロはその光景を微笑ましく見つめ、静かに立ち去った。
…
セネトは要塞に戻ると、テラピ奪還に向けてカシウスの傭兵団とアステリアが話し合っていた。
彼らの話を聞いていると、奥から治療を終えた包帯まみれのカシウスが首を鳴らしながら出てきた。
「反撃だ!街を取り戻すぞ!!」
団長の復帰に傭兵団は活気を取り戻す。
アステリアはついさっきまで死にかけていたカシウスの生命力に呆れながらも頷く。
セネトはいつものようにソティスと子どもたちの様子を見に行く。
ソティスは白い息を吐きながら、穏やかに眠っている。
「テオン…僕はテラピ奪還に向かう、ソティス様と子どもたちを頼む」
テオンはセネトの瞳を見つめ肩を掴み頷く。
右手は強く握りしめられて震えている。
セネトは不安そうに見上げる子どもたちに「すぐに戻るよ!」と力強く言葉を放ち、要塞を出立した。
要塞を下り、テラピの街へ足を踏み入れた一行を待っていたのは、息を呑むような凄惨な光景だった。
市場の通りでは、逃げ惑う人々が逃げる姿勢のまま、氷の中に閉じ込められている。
子供を庇う母親、手を伸ばす老人。
皆、絶望の表情で「静止」していた。
空は青白い靄に覆われている。
「……酷い。みんな、死んでいるの?」
アステリアが声を震わせる。
フィロが万年筆を走らせながら、平然と答えた。
「おそらく…これは悲哀の巨星の魔法による作用です」
「シリウスを撃退すれば…もとに戻せるかもしれません」
一行は要塞で眷属を退けた時のことを思い返す。
眷属が撤退した後、確かに要塞を襲っていた吹雪や冷気は和らいでいた。
その時、天を覆う青白い雲が渦を巻き、中心から大きな悲鳴のような音が響き渡った。
上空に姿を現したのは、氷のような青い衣を纏い、巨大な翼からは大量の羽が散り、絶え間なく涙を流す女。
「悲哀の巨星」シリウス・トリスティ
『……悲シイ……全テヲ…止メテ…………』
シリウスの叫びと共に、街全体がさらなる猛吹雪に襲われる。
青い鳥たちがどこからか集まり上空を埋め尽くす。
大量の鳥たちの鳴き声がセネト達の精神を削る。
カシウスと傭兵団が朱色の炎を纏って眷属を迎え撃つが、あまりの冷気の圧力に炎が細っていく。
覚悟を決め、セネトは群がる眷属達に杖を向ける。
カッ!!!!
青い一閃が眷属の羽を一直線に貫く。
一瞬、シリウスに向けて道が開かれた。
アステリアは盾を発現し、セネトを援護する。
カシウスが「今だっ!!!!」と言う前にセネトは群がる眷属の間を駆け抜けていた。
眷属たちが孤立したセネトに向けて嘴を尖らせ突撃する。
セネトはそれらをなんとか躱しながら、シリウスに向かって駆ける。
シリウスは翼を広げ、魔法を放つ。
青い冷気の礫がセネトの体を突き刺す。
致命傷だけはアステリアの盾が防いだ。
セネトがシリウスの前に立ったとき、セネトの肉体は満身創痍だ。
手足は凍り始めている。
「…シリウス!…僕が止めるっ!」
シリウスに杖を向け、意識を集中させる。
轟音と共にセネトとシリウスの魔法が正面から衝突する。
杖から放たれたのは、これまでの散発的な爆発ではない。
螺旋を描き、空間を穿つような、高密度の蒼い光軸だった。
キィィィィィン!
耳を裂く音とともにシリウスの魔法が蒸発していく。
セネトの繰り出した一閃は、そのままシリウスの胸を貫く。
瞬間、禍々しい青の化身の体は空へ弾き飛ばされた。
シリウスは胸に空いた穴を抑え、狂ったように絶叫する。
(効いたのか…)
セネトは体の激痛を堪えながら、シリウスを凝視する。
絶叫が街に響き周囲の建物が振動している。
一行が精神を削られながら、様子を見る。
シリウスは翼を大きく羽ばたかせ眷属と共に海の向こうへ退いていった。
シリウスが退散すると同時に、街を覆っていた青い霧が霧散し、気温が急速に上がり始めた。
パキ、パキ、とあちこちで氷が割れる音が響く。
氷の中から、母親が息を吹き返し、震える手で子供を抱き寄せた。
市場の老人が腰を抜かしながら周囲を見渡す。
止まっていた時が動き出した。
立ち尽くすセネトの後ろでにわかに歓声があがる。
アステリアが心配そうにセネトの顔を覗き込む。
その瞳には救済の熱意が燃えていた。
「まだ…終わりじゃない…あの海の向こうで助けを待つ人がいる…」
空に輝く五つの星、青い星はいまだ禍々しく明滅している。




