2話:青い鳥
あれから数日が経った。
青い炎は未だに遠くの海に揺らめいている。
その炎は昼夜問わず禍々しく輝いている。
陽光の差し込む教会で朝の祈りを終えると、ソティス司祭が星都ロゴリスから帰って来た。
息は乱れ、衣服は砂埃で汚れ、額には汗を光らせている。
「はぁ…はぁ…セネト、すぐに子ども達を集めなさい…」
遠くの港の方では普段見かけない衛兵達が慌ただしく動き回っている。
何かがすでに始まっている、セネトはそう確信した。
親友テオンの教えてくれた星の神話に半信半疑だったセネトだが、それが今目の前で現実になりつつある。
かつて、
覇王イリュシオンは突如地上に出現した「星の化身」の力で「魔法」技術を発展させた。
初期のイリュシオン国はその圧倒的な武力によって人々を束ね、周辺都市国家を吸収し建国された。
王は都市国家ロゴリスの星見の山、その山頂に城を建造し、星の化身とともに政治を摂った。
覇王イリュシオンは、星の化身の武力と軍事力を背景に世界の覇権を握った。
イリュシオンが世界の統一を果たした頃、星の化身は王と袂を分かち大規模な戦乱の時代が始まった。
この厄災が静まる頃には国土は焦土となり、統一政権は大きく揺らぎ、魔法は失われ、国の体を保てなくなった。
…
空に大きな翼を広げた青白い鳥たちが遠目で見える。
海の向こう、ハツォールの方からこちらに向かっているようだ。
テオンがセネトの腕を強引に引っ張る。
「あれはシリウスの眷属だ…多分…逃げたほうがいい…」
…
普段は活気のある海港都市テラピの港は体験したことのない寒さに包まれていた。
海は波の形のまま氷塊に、衛兵達は凍りついたように動かない。
住民達は必死に逃げようと駆け出すが、迫りくる冷気に気力を奪われ、その場に膝をついて涙を流しながら凍りついていく。
…
ソティスとセネト達は子どもたちの手を引き、内地を目指して走っていた。
上空の一羽の眷属がこちらに狙いを定め翼をはためかせた。
巨大な青い鳥がセネトの後方にいたソティス司祭とアメンティアの少女に向かって急降下を始める。
その光景を目にしたソティス司祭は、歯を噛み締め、少女をかばう。
眷属が振り下ろした爪が、ソティスの背中に届こうとしたその刹那。
司祭の体から、頼りなく、けれど気高い黄色の光が淡く漏れ出した。
「……っ、子どもたちは……させません……!」
それは、ソティスが抱く慈愛が、無意識に形となった微かな魔力の膜だった。
ギィィン、と凍てついた爪が光の膜に弾かれ、火花を散らす。
だが、あまりに細く、あまりに儚い。
膜は一瞬でひび割れ、ソティスの背を裂く爪の勢いを、わずかに削るのが精一杯だった。
あまりの激痛に司祭の喉が引き攣り、白い法衣が鮮血に染まる。
「……っ、ああぁ……!」
血を吐きながらも、ソティスは少女を抱きしめる腕を緩めない。
傷口から入り込む凍てつく冷気が、彼の体温を奪っていく。
それでも、彼は震える声で祈りの言葉を紡ぎ続けた。
「……星よ……願わくば……この幼き魂に……慈悲を……」
恨みも、疑いもない。これほどの苦痛に晒されながらも、ソティスは自分を傷つけた存在を司る「星」へ、ただ純粋に救いを求め、目の前の少女を救うことだけに全てを捧げていた。
「ソティス様……ッ!!」
その光景が、振り返るセネトの視界を焼き尽くした。
青い鳥の怪物は二人にもう一度その鋭い爪を向ける。
祈りだけでは届かない。優しさだけでは、この冷酷な世界には間に合わない。
セネトはいつの間にか、ソティスを襲う怪物に向かって全力で駆け出していた。
「やめろっ…………届けぇぇぇぇッ!!」
セネトが眷属に向けて突き出した右手から、苛烈な青の衝撃が解き放たれた。
ドォォォォォンッ!!
それは眷属を根こそぎ消し飛ばす、純然たる破壊の奔流。
ソティスの光を打ち砕こうとしていた眷属は、衝撃波に呑み込まれ、断末魔すら上げられずに霧散した。
周囲を覆っていた冷気は消える。
セネトは駆け寄り、倒れるソティスを抱き起した。
ソティスの背中の傷は深かった。
「……ああ、セネト。あなたの、その光は……」
ソティスは苦痛に顔を歪めながらも、自分の背中に残る魔力の残滓ではなく、セネトが放った強大すぎる青い光を見つめていた。
「……なんて、強く、眩い……。星は、あなたに……」
自分の命を救ったのが、セネトの圧倒的な「力」であったことに、ソティスは確信を深める。
これこそが星の遣わした英雄なのだと。
セネトは、自分の右手に残る痺れるような熱さと、司祭の体に微かに残る優しい光の温度差に、言いようのない寒気を覚えていた。
感覚が研ぎ澄まされていく。
テオンは子どもたちを落ち着かせながら、傷ついたソティスとセネトを見つめる。
(これって、「魔法」…なのか…)
■ソティス
50歳の男性。上流階級に生まれ、高度な教育を受けて育つ。星都で神学を修め、当時最年少で司祭になる。中央での派閥闘争に嫌気が差し、自ら地方の教会に志願する。海港都市テラピの教会に赴任してからは熱心に活動し、寄付金を集め孤児院を開設した。穏やかで品があり、清貧を好む。子どもたちの笑顔を糧に慎ましく暮らしている。誰にでも分け隔てなく優しく接し、市民から愛されている。笑顔が魅力的で、ソティス目当ての女性信者も多い。
■テオン
15歳の青年。幼い頃、テラピで漁師の父と2人で暮らしていた。海賊の襲撃で父を失い、ソティスのもとに引き取られた。セネトとは親友で、子供の世話に付き合っている。勉強熱心で、よく子どもたちに星の神話を教えている。将来は司祭になることを夢見ている。来年からセネトと一緒に星都に旅立つつもりだ。




