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港町の黒い宝石 スタウト(後編)

港町ポルト・ソルバの中心広場。

 『大樽号』の側面に設置された即席のカウンターの前に、人だかりができていた。だが、集まった漁師たちは誰一人として手を出そうとしない。

 無理もない。ウィルが注ぎ分けたグラスの中身は、深淵のような「黒」だったからだ。

「っひっひっひ! ウィル殿、驚きましたぞ。本当にあの『ゴミ』で何か造ったとは。だが、見ての通りだ。この街の男たちは目が肥えている。そんな不吉な泥水、誰も一口だって飲みやしませんよ!」

 恰幅の良い商人ゴルドが、取り巻きの護衛を連れて現れた。彼は自分が金貨十枚で売りつけた「産業廃棄物」が、ウィルの手で何らかの液体に変わったことが愉快でたまらないらしい。

「さあ、さっさと店を畳んで立ち去るがいい。それとも何か、その毒水が本物の酒だとでも言い張るつもりですかな?」

 ウィルは動じず、一杯のグラスをゴルドの鼻先に突き出した。

 漆黒の液体。その上に載る、極めて細密な、キャラメル色のクリーミーな泡。

「毒かどうか、あなたが確かめてみてください。……商人なら、自分の売った商品が『化けた』姿を確認する義務があるでしょう?」

「ふ、ふん! いいだろう、飲んでやろうじゃないか。一口飲んで、腹を壊したと騒ぎ立ててやるわ!」

 ゴルドがひったくるようにジョッキを奪い、豪快に煽った。

 

 ――その瞬間。

 ゴルドの丸い瞳が、こぼれ落ちそうなほど見開かれた。

「……ッ!? 苦い……。いや、なんだ、この香ばしさは!?」

 まず襲ってきたのは、炭化した麦がもたらす重厚な「焦げ」の苦味。だが、それはウィルの『分解』魔法で調整され、不快なえぐみが一切消えていた。

 喉を通る瞬間に広がる、ローストしたナッツや、未知の嗜好品コーヒーを思わせる芳醇な余韻。そして何より、エルザの冷却ブレーキが生み出した「シルクのような泡」が、舌の上で優しく爆発したのだ。

「う、うっま……!? なんだこれ、昨日までのエールが水みたいに思える……!」

「……おや、毒水ではなかったのですか?」

 ウィルの意地悪な問いかけに、ゴルドは答えることもできず、夢中で二口、三口と飲み進めた。その口元には、カイルと同じ「黒い髭」が立派に蓄えられている。


「おい、あの商人があんなに旨そうに飲んでるぞ!」

「ありゃあ、本当に酒なのか……?」

 ざわつく漁師たち。だが、彼らが踏み出すには、あと一押しが必要だった。ウィルはバルカンに合図を送る。

「バルカンさん、例のブツを!」

「おうよ! 海の男ならこれじゃろうが!」

 バルカンが魔力火で真っ赤に熱した鉄板の上に、バケツ一杯の「生牡蠣カキ」と「岩塩」をぶちまけた。

 ジューッ!! という凄まじい音と共に、磯の香りと香ばしい湯気が広場を包み込む。

「……え、ちょっと待ってウィル。私も手伝うわ!」

 ここでエルザがしゃしゃり出た。

「ただ焼くだけじゃ芸がないわ。私の冷気で、牡蠣の表面を一瞬だけキュッと締めれば、中のミルク(旨み)が凝縮されるはずよ!」

「お、いいですねエルザさん。やってください!」

「任せなさい! エイヤッ!」

 パキパキパキッ!!

 エルザが放った冷気は、見事に牡蠣の殻を……「完全に凍結させて砕いた」。

「あわわわ! 凍りすぎちゃった! ごめんなさい、今のナシ! ナシよ!」

 慌てて魔法を解こうとして、今度は鉄板をまるごと凍らせてしまうエルザ。ウィルは溜息をつきながら、自身の魔法でフォローに入る。

「……もう、エルザさんは下がっていてください。……よし、焼き牡蠣、完成です! この濃厚な海のミルクを、黒ビールの苦味で流し込む……。これぞ至高の『スタウト・マリアージュ』だ!」


 一人のベテラン漁師が、焼きたての牡蠣を頬張り、スタウトを煽った。

「――ッ!! おおおおおおお!!」

 漁師の絶叫が港に響く。

「なんだこれ! 牡蠣の濃厚な旨みが、この黒い酒の苦味で引き立てられて……。無限に、無限に食えるぞ!! 誰だ、これを泥水だなんて言ったやつは!」

 その言葉を合図に、漁師たちが次々と『大樽号』に殺到した。

「俺にもくれ!」

「牡蠣もおかわりだ!」

「金ならある! この黒い宝物を出せ!」

 広場は一瞬にして、巨大な宴会場へと変貌した。

 ウィルはサーバーから漆黒の液体を注ぎ続け、バルカンはひたすら牡蠣を焼き、カイルは押し寄せる漁師たちの整理に追われる。

 そして、エルザはというと。

「ちょっと! あなた、さっきから注ぐのが遅いわよ! 私が冷やしてあげてるんだから、もっと景気よく出しなさい!」

 なぜか自分が客席側に陣取り、漁師たちに混じってスタウトを煽っていた。

「ぷはぁー! 美味いわね、これ! 牡蠣も最高! ……あ、そういえば私、冷やし担当だったわ。……えいっ!」

 彼女が酔っ払って適当に放った冷気魔法が、広場の噴水を一瞬で「巨大な氷のジョッキ」に変えた。

「見てウィル! 天然の氷ジョッキよ! 凄いでしょ!」

「凄いけど、広場の施設を壊さないでください! 賠償金が怖いんです!」

「大丈夫よ、私が『聖女』だって言えばみんな許してくれるわ。……あ、今の失言。忘れて」

 顔を真っ赤にしたエルザが、氷のジョッキにスタウトをなみなみと注いで飲み干す。そのポンコツすぎる姿に、漁師たちは「なんだ、あの可愛い聖女様は!」「女神降臨だ!」と逆に盛り上がり、売り上げは爆発的に伸びていった。


 夜も更け、宴の片付けを終えた一行。

 広場の隅で、ゴルドが空になった自分の倉庫を見つめて膝をついていた。彼が「ゴミ」として売り払った麦は、今や金貨数百枚に相当する熱狂を生み出していた。

「……負けた。私は、物の価値を見る『目』を失っていたようだ……」

 ウィルはそんな彼に、最後の一杯を差し出した。

「ゴルドさん。ゴミか宝か。それを決めるのは、その素材をどう扱うかという『意志』だけですよ」

 ゴルドは黙ってその黒い液体を飲み干し、深々と頭を下げて去っていった。

 大樽号の屋根の上。ウィルとエルザは、夜の海を見つめていた。

「……ウィル。私、今日思ったんだけど」

 少し酔いが冷めたエルザが、静かに言った。

「あなたの造るビールって、なんだか不思議ね。ただの酒じゃないみたい。……あんなに荒っぽかった漁師たちが、みんな笑ってた」

「ビールは『民の魂』ですから。……明日を生きるのが辛い時、そっと背中を押してくれるような、そんな一杯を造り続けたいんです」

「……そう。なら、私ももう少しだけ、あなたの隣で『ブレーキ役』をやってあげるわ。……あ、でも、牡蠣のおかわりは毎日お願いね?」

「ははは、善処しますよ」

 夜明けの風が、琥珀色と漆黒の余韻を運んでいく。

 孤独死したあの日、空っぽだったウィルの手には、今、最高の仲間と、次なる冒険への期待が握られていた。

「さて……次はどうしましょうか、エルザさん」

「南よ! もっと暑いところ! 私の氷が、もっともっと重宝される場所に行きましょう!」

「いいですね。……次は、灼熱の砂漠で、フルーツをたっぷり使った『フルーツエール』でも醸しましょうか」

 大樽号が、再び走り出す。

 港町に残されたのは、潮騒と、人々の心に刻まれた「漆黒の革命」の記憶だけだった。

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