干犯問題(2)
翌日。朝刊の一面を飾ったのは、野党の厳しい批判の様子だった。
“海軍軍縮条約は、海軍が要求していた削減許容量を超える削減量である”
“女王陛下の討伐要求にも答えず、挙句は陸海軍の反対意見をも無視した条約調印は総督閣下の統帥権の干犯である”
“元内閣法制局長官で法学者の枢密院議長も統帥権の干犯であると主張している”
そんな文言が立ち並ぶ。
“元老リチャード閣下は首相及び全権の外相及び海相を支持”
ともあるけれども。
海相、海軍大臣の締結した条約を海軍が批判する。それはつまり、海軍内部の統制がとれていないということだ。
昨夜のリチャード様からの電話を思い出す。
「今日の朝刊は読んだかね」
「ええ、友人とも、その件で少し話しましたわ」
「流石だね。それでだが。君の見た未来ではこの干犯問題はどうなるのかな?」
正直、伝えても良いのかどうか迷ってしまう。
ここで伝えてしまったら、今度こそ未来は完全に変わってしまうような気がして。
「マチルダくん?」
けれども、今、ここで二の足を踏んでいたら、一生、死ぬまで、未来は変わらないわ。
だから、言う。
「条約を批准した首相が、暗殺されます」
数秒か、いや、十秒くらいだったか。
いずれにせよ、僅かだが、非常に長く感じる静寂がそこにはあった。
条約を批准しなければ、ルナマーレが世界から孤立する。
条約を批准すれば、首相が暗殺される。
どちらをとっても、ルナマーレにとって最悪のストーリーだ。
条約を批准しつつ、首相が暗殺されないようにするにはどうすれば良いのか。それを考えなければならない。
朝刊にはロニー・ジャクソンが持病の悪化によって一時、王立病院へ入院するという報も載っている。
これはリチャード様の案だ。
如何なる暗殺者も、警官が常に出入口を見張る病院まで押しかける輩はいないだろう、という理由で、事が片付くまで一時避難するらしい。執政は病院から電話でできる範囲で行うそう。
それと、枢密院議長に対向するため、別な高名の法学者を国会に招聘することになった。これは私の案。確か前世でも、とある法学者が各種新聞社に干犯問題に対する反対原稿を書いて回っていたはず。
今回は先に国会で演説して貰い、その原稿を各社朝刊1面に掲載させることとなった。これはお爺様の計らい。経済界に太いパイプを持つお爺様だからこそできることだ。
強大な影響力を持つ新聞社であろうと、未だ恐慌覚めやらぬ中、金の供給源たる銀行を抑えられては首根っこを掴まれたも同然だろう。
そして更にもう一つ。
元海軍大将であるリンドバーグ伯爵の国会演説だ。
海軍大臣の決めたことに海軍が反発することの是非を問う演説を、伯爵の体調が整い次第行うことになった。これもリンドバーグ伯爵の盟友たるお爺様のお願いによって成立。
お爺様、様々である。
これで、首相を危険から遠ざけつつ、干犯問題を鎮静化させ、民衆の非難の矛先を軍部へと向けさせる。
先ずはこれで何とかなると良いのだけれど。
「暗殺するのが陸軍ではなく右翼団体というのが厄介なのよね……」
ぶつぶつぶつぶつ。
「マチルダさん、大丈夫?」
「え」
顔を上げるとそこにはミモザがいた。
「だって、こーんな皺を眉間に作っていましてよ」
そう言って左右の人差し指で眉間をぐいと潰して皺を作る。
ここは学校の教室。朝からずらりと新聞を広げていたところで声をかけられたのだ。
「え、ええ、大丈夫よ」
暗殺がどうの、というの、聞かれなかったわよね?
「野党の方々を見ていると、ホント気が滅入りますわね」
ミモザが私の広げていた新聞に視線を落としながら言う。
「あ、そう、来週、議会にお爺様が登壇することになりましたわ」
ミモザがポンと手を叩いて言う。
「お爺様の要請に応えて頂いて、本当にありがとう」
椅子から立ち上がり手を差し伸べると、小さい手ながらがっしりと私の手を掴む。
「お安いご用よ。私達の家は、今も昔も親友だもの。お爺様も、きっとそう仰るわ」
そう言ってニコりと笑う。
ミモザの綺麗な手、暖かい。低体温症の後遺症は本当にもう大丈夫なのね。
「よ、お二人さん。おはよう」
声のする方にはローランド様とモーリス様が立っていた。
「ローランド様、モーリス様も。おはようございます」
「おはようございます」
「相変わらず仲がよろしいようで」
ニコリと笑ってローランド様に言う。
「その言葉、そっくりそのまま返すよ、マチルダ。議会が気になるのか? 父上から近々、高名な法学者が議会で登壇すると聞いた。それで幾分か、反対勢力も柔和化するだろう」
ローランド様が新聞を見ながら言う。
え、もう?
昨夜リチャード様から話を聞いて、もう原稿を脱したの?
それとも、もう原稿は出来上がっていて、公開するタイミングだけ見計らっていた?
「対応が早いですね」
「なんでも、王立大学の教授が既に書き上げていた文章があって、公開する場所が見つからずにいたところを法務官僚が見つけたらしい」
王立大学の卒業生かしら? 卒業後も大学と交流を持っている官僚はこういう時何かと便利ね。
逆に大学から行政に干渉するルートでもあるけれど。
「それより問題は首相だ」
「問題?」
「首相が入院したことで、与党内では不安の声が上がっている。野党は逆に入院するような首相は相応しくないとして、首相の議会出席か、首相の交代を求める勢いが強まっているそうだ」
「これでは、干犯問題が解決しても、反首相という体制になって結局は条約を批准できないという事態に陥る可能性がある」
ローランド様の言葉にモーリス様が付け加える。
これは、危ういわね。安全のために首相を政治の中心から遠ざけたことが逆効果になってしまった。
次の選挙で与党が敗退必至となれば、勝ち馬に乗るために与党から造反者が出る可能性もある。
この上は、ロニー首相が表に出ながら暗殺を阻止する方法を考えるしかないかも。
「ロニー首相が早く快復されるとよいのだけれど。ローランド様は何か聞いていらっしゃらないの?」
「流石の俺もそこまでは分からないよ、マチルダ」
そう言って肩をすくめる。分かってる。これは私が政治に関わっていることを隠すための言葉だ。
「けれど、元老が何かと工作をしているらしい。今朝も父上が元老からの電話を受けていた」
リチャード様が早速何かしら動いている。
キンコンとチャイムが鳴ると、ナタリアが教室の後ろから歩いてきて、机の上に雑多に広げられていた新聞をささっと畳んでまた教室の後ろに下がっていく。
「おっと、また続きは後でだな」
ローランド様がそう言うと皆自分の席に向かう。
この学校は席が固定制だ。民間の学校は自由制らしいのだけれど。ノトセレでは高等部から編入してきた民間出身の主人公との文化の違いが主人公を孤立させていた。
それを救うのが主人公の能力に目をつけたローランド様なのだけれど、それは未来の話。
「皆さん、おはようございます」
先生が言いながら教室に入ってくる。生徒による挨拶が終わると、徐に先生が口を開く。
「本日の1時限目は特別授業になります。皆さん、講堂へ移動して下さい」




