第7話
王城の謁見の間。
かつて、私が婚約破棄を言い渡された、あの場所だ。
豪華絢爛な装飾も、居並ぶ貴族たちの顔ぶれも、あの日と何も変わらない。
変わったのは、私を見る彼らの目だった。
侮蔑や嘲笑は消え失せ、そこにあるのは好奇心と、そしてわずかな畏怖の色。
玉座に座るアルフォンス殿下の顔は、憔悴しきっていた。
目の下には隈が浮かび、自慢の銀の髪も艶を失っている。
「……よく来たな、イライザ」
絞り出すようなその声には、以前のような傲慢さは微塵も感じられなかった。
「召喚状に従い、参上いたしました。アルフォンス殿下」
私は淑女の礼をとり、静かに顔を上げる。
その毅然とした態度に、アルフォンスは一瞬、言葉を失ったようだった。
彼の隣には、聖女ソフィア嬢が不安げな表情で寄り添っている。
彼女の聖なる力は、人の心を癒やすことはできても、魔物の軍勢を退けることはできない。国の危機の前では、彼女の存在はあまりにも無力だった。
「早速だが、単刀直入に頼む。『エインズ』よ。お前の力で、この国を救ってほしい。望むものは何でも与えよう。金か? 地位か? それとも……」
アルフォンスは、玉座から立ち上がると、私に向かって手を差し伸べた。
「この私との、復縁か?」
その言葉に、謁見の間が大きくどよめいた。
私の隣に立つカイウスの全身から、殺気にも似た冷気が立ち上るのがわかった。
(……はぁ)
私は、心の底から、深いため息をつきたくなるのを必死でこらえた。
(この人、本当に、何もわかってないんだわ)
私が欲しいのは、金でも地位でもない。
ましてや、あなたとの復縁など、冗談にもならない。
「恐れながら、殿下。私が欲しいものは、ただ一つ」
「何だ、言ってみろ!」
食い気味に尋ねるアルフォンスに、私はゆっくりと、そしてはっきりと告げた。
「私が制作した魔道具の、すべての所有権と特許の完全な保護。そして、私の工房での活動に対し、王家は一切の干渉をしないという、絶対的な約束です」
私の要求は、アルフォンスの予想とは全く違っていたらしい。
彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、私をまじまじと見つめた。
「そ、そんなことでいいのか?」
「はい。私にとって、それ以上に価値のあるものはございませんので」
私の言葉は、静かだが、アルフォンスの心を抉るには十分すぎた。
彼が与えようとした「妃の座」という最高の栄誉を、私は「そんなこと」と一蹴したのだ。
彼の顔が、屈辱に赤く染まる。
「……いいだろう。約束する。だから、早く魔道具を!」
「お待ちください」
焦るアルフォンスの言葉を、冷たく遮ったのはカイウスだった。
「その約束、口約束だけでは信用できんな。正式な契約書を作成し、国王陛下の署名と玉璽をいただく。それが、我らの協力の最低条件だ」
「なっ、カイウス! 貴様、王家を脅す気か!」
「脅しではない。正当な取引だ。それができぬと言うのなら、我々は今すぐこの場を立ち去り、辺境領へ戻るまで。民を見殺しにした愚かな王子として、後世に名を残すがいい」
カイウスの容赦ない言葉に、アルフォンスはぐっと言葉を詰まらせる。
その顔は、怒りと屈辱と、そして後悔の色で、ぐちゃぐちゃになっていた。
彼は、自分が手放したものの本当の価値に、今、ようやく気づいたのだ。
だが、もう遅い。
時計の針は、決して巻き戻すことはできないのだから。
***
契約は、滞りなく結ばれた。
国王陛下の玉璽が押された契約書を手に、私はカイウスと共に前線の砦へと向かった。
そこは、まさに地獄だった。
空は魔物の群れで覆われ、大地は絶え間ない戦闘で揺れている。
「これが、『竜災』……」
数百年周期で現れる、伝説級の魔物『エンシェント・ドラゴン』。
その竜が目覚め、配下の魔物たちを率いて進軍しているのだという。
砦の防御結界も、竜の吐き出すブレスの前には、もはや風前の灯火だった。
「イライザ、頼めるか?」
「お任せください」
私は迷わず、工房から持参した巨大なアタッシュケースを開いた。
中から現れたのは、無数のパーツに分解された、巨大な大砲のような魔道具。
「こ、これは一体……?」
「対竜用魔導殲滅砲『天ノ雷』です」
それは、私がいつか来るかもしれない日のために、密かに設計していた究極の魔道具。
領地の地下深くで採れる特殊鉱石を触媒とし、大気中のマナを極限まで圧縮して放つ、一撃必殺の切り札だ。
私は騎士たちの助けを借りながら、驚異的な速さで大砲を組み上げていく。
その姿は、もはや令嬢のものではなかった。
油と汗にまみれ、指示を飛ばすその姿は、歴戦の指揮官か、あるいは、伝説の職人そのものだった。
その姿を、カイウスは愛おしそうに、そして誇らしそうに見つめていた。
「全エネルギー、充填完了! いつでも撃てます!」
「目標、エンシェント・ドラゴン! 発射ァッ!」
私の号令と共に、天を衝くほどの閃光が放たれた。
光の柱は、空を覆っていた魔物の群れを薙ぎ払い、一直線にエンシェント・ドラゴンの心臓を貫いた。
断末魔の叫びを上げ、巨竜が大地に墜ちていく。
それを合図に、統率を失った魔物の群れは、蜘蛛の子を散らすように退散していった。
「「「おおおおおおおおっ!!」」」
砦が、割れんばかりの歓声に包まれる。
兵士たちが、私の名を、そして『エインズ』の名を叫んでいる。
私はその場でへなへなと座り込んだ。
全身の魔力と体力を使い果たし、指一本動かせない。
そんな私を、力強い腕が優しく抱きとめた。
見上げると、そこにはカイウスの心配そうな顔があった。
「よく、やったな。イライザ」
「カイウス、様……」
彼の胸に顔をうずめると、鉄と、そして彼の匂いがして、どうしようもなく安心した。
「もう、頑張らなくていい。あとは、私に任せろ」
彼はそう言うと、私を軽々と横抱きにした。いわゆる、お姫様抱っこ、というやつだ。
「きゃっ!?」
「全軍に告ぐ!」
カイウスは、兵士たちが見守る中、朗々と宣言した。
「ここにいるイライザ・フォン・ベルクシュタイン嬢は、この国を救った英雄である! そして、我がエーレンフェルト公爵家が、生涯をかけて守り抜く、唯一無二の至宝である!」
彼の言葉は、愛の告白であり、そして王国全体に対する所有権の宣言だった。
兵士たちの歓声が、祝福の嵐となって私たちに降り注ぐ。
私は彼の胸の中で、顔を真っ赤にしながらも、今まで感じたことのないほどの幸福感に包まれていた。
この人の腕の中が、私の本当の居場所。
そう、確信した瞬間だった。




