第3話
王都の喧騒を背に馬車に揺られること数日。
見慣れた、しかしどこか懐かしい故郷の風景が車窓に広がった時、私の心は喜びで満たされていた。
「お帰りなさいませ、イライザお嬢様!」
「お嬢様、お元気そうで何よりです!」
屋敷の門をくぐると、使用人たちが満面の笑みで出迎えてくれた。彼らの温かい眼差しには、王都の貴族たちが向けてきたような値踏みするような色は一切ない。
「ただいま戻りました。皆、変わりはない?」
父であるベルクシュタイン辺境伯も、母も、私の婚約破棄を嘆くどころか、「ようやくあの息苦しい王宮から戻ってこられたな」「これからは好きなように暮らしなさい」と、むしろ喜んでくれた。
私の本質を理解してくれる家族の存在が、これほどまでに心強いものだとは。
王都での出来事を簡単に報告し、旅の疲れを癒やすのもそこそこに、私はいてもたってもいられず、長年使っていなかった離れの工房へと足を運んだ。
ギィ、と錆び付いた蝶番が悲鳴を上げる。
扉を開けると、埃っぽい空気と、油や金属の入り混じった独特の匂いが鼻腔をくすぐった。
(ああ、この匂い……!)
壁一面に整然と並べられた工具。作りかけの魔道具の残骸。設計図の描かれた羊皮紙の束。
そのすべてが、私にとっては何よりも愛おしい宝物だった。
「さて、まずは腕慣らしと行きましょうか」
私はドレスの袖をまくり、革のエプロンを身につける。
今、この領地で最も喫緊の課題は、数ヶ月続く日照りによる水不足だ。村の井戸は枯れかかり、畑は乾ききっている。
(空気中に漂う微量なマナを集束させ、水脈に直接作用させる魔導式のポンプ……構造は頭の中にある。あとは、この世界の素材でどう形にするか)
前世の知識と、この世界で培った魔道具の技術を総動員する。
カン、カン、とリズミカルな槌の音が、静かな工房に響き渡る。
魔力を込めた鉱石を熱し、叩き、伸ばしていく。複雑な魔力回路を寸分の狂いもなく刻み込む作業は、まさに至福の時間だった。食事も睡眠も忘れ、私は文字通り何かに取り憑かれたように制作に没頭した。
そんな日々が数日続いたある日の午後。
父が慌てた様子で私の工房に飛び込んできた。
「イライザ、大変だ! エーレンフェルト公爵がお前を訪ねてこられた!」
「え? どなた、ですって?」
エーレンフェルト公爵。その名前に、私の心臓がどきりと跳ねた。
『鉄血公爵』カイウス・フォン・エーレンフェルト。
あの夜会で、私に凍てつくような視線を向けていた、あの男だ。
なぜ、彼がこんな辺境の地に? しかも、私を訪ねて?
客間に通された私を待っていたのは、やはりあの夜と同じ、圧倒的な存在感を放つ漆黒の貴公子だった。軍服に身を包んだその姿は、まるで精巧に作られた鋼の彫像のようだ。
「……ベルクシュタイン辺境伯令嬢、イライザ・フォン・ベルクシュタインです。この度は、ようこそお越しくださいました、エーレンフェルト公爵閣下」
貴族令嬢の完璧なカーテシーを披露すると、彼は表情一つ変えずに、ただじっと私を見つめた。
その氷のような瞳が、私の指先――油で汚れ、槌ダコのできた、令嬢らしくない手――に留まったのを、私は見逃さなかった。
「単刀直入に言おう」
静かだが、よく通る声だった。
「私は、魔道具職人『エインズ』を探している」
ごくり、と喉が鳴る。
「巷の噂では、『エインズ』の正体は誰も知らぬ、と。しかし、私は確信している。その者は、このベルクシュタイン領にいる、と」
彼の視線が、私の左腕の腕輪に突き刺さる。
まずい。彼はやはり、この腕輪から私の正体を推測しているのだ。
「まぁ、そのような方がこの領地に? 存じ上げませんでしたわ」
私はあくまでも白を切る。
だが、公爵は私の動揺を見透かしたかのように、わずかに口の端を吊り上げた。
「そうか。では、しばらくこの地に滞在させてもらうとしよう。何せ、この辺境の地は、王都の人間が知らない『宝』が眠っているようだ」
その言葉は、明らかに私という『宝』を指していた。
彼は、私がボロを出すまで、ここに居座るつもりなのだ。
氷の瞳の奥に、獲物を見つけた狩人のような獰猛な光が宿っているのを、私は確かに見た。




