第1話
眩い光の洪水が、私の網膜を容赦なく焼く。
シャンデリアから降り注ぐ無数の輝きは、まるで天上の星々をすべて集めて溶かしたかのようだ。オーケストラが奏でる優雅なワルツの調べ、貴婦人たちのドレスが擦れる衣擦れの音、そして見せかけの賞賛と隠された嘲笑が入り混じる喧噪。鼻腔をくすぐるのは、甘ったるい香水と高級な酒の香り。
そのすべてが、今の私にはひどくどうでもいいものに思えた。
(あぁ、今日も壁の花。我ながら板についてきたわね)
王城の大広間。その隅で、私は息を殺してたたずんでいた。
黒に近い濃紺のドレスは、夜会の華やかさの中ではまるで染みのように沈んで見える。派手な装飾もなく、流行からも外れたデザイン。私が身につけている唯一の宝飾品は、手首にはめられた一本の古びた銀の腕輪だけだ。
「ご覧になって? ベルクシュタイン辺境伯の……」
「まぁ、あのような地味な方を妃に迎えるなど、アルフォンス殿下が本当にお気の毒……」
ひそひそと交わされる会話が、刃のように私の耳をかすめる。
私は、イライザ・フォン・ベルクシュタイン。この国の第二王子アルフォンス殿下の、今日までは、婚約者である。
物心ついた頃から、私の隣にはいつも彼がいた。けれど、彼の瞳が私を映したことは一度もなかったように思う。彼が愛するのは、宝石のようにきらびやかで、花の蜜のように甘い笑顔を振りまく女性。
地味で、愛想笑いが苦手で、夜会よりも工房の埃っぽい匂いを好む私など、彼の世界には存在しないも同然だった。
(早く、早く終わらないかしら。この茶番)
心の内で毒づいた、その時だった。
喧噪が、すっと潮が引くように静まり返る。人々の視線が一斉に、広間の入り口へと注がれた。
そこには、輝く銀の髪を揺らし、自信に満ちた笑みを浮かべるアルフォンス殿下の姿があった。彼の隣には、子犬のように寄り添う可憐な少女。淡い桃色の髪に、潤んだ青い瞳。今、王都で最も注目を集める『聖女』ソフィア・フォン・ヴァイス嬢だ。
(主役の登場、というわけね)
アルフォンス殿下は、ソフィア嬢をエスコートしながら、まっすぐにこちらへ歩いてくる。その蜂蜜色の瞳は、初めて見るような熱を帯びて、私を射抜いていた。
いや、違う。その瞳が見ているのは私ではない。私の背後にいる、大勢の観客たちだ。
彼は私の腕を乱暴に掴むと、まるで罪人を引き立てるかのように、広間の中央へと引きずり出した。
「皆、聞いてくれ!」
アルフォンス殿下の声が、静まり返ったホールによく響く。
「私は今この瞬間をもって、イライザ・フォン・ベルクシュタインとの婚約を破棄する!」
ざわっ、と観衆がどよめいた。
だが、そのほとんどが予想通り、という表情を浮かべている。
(キターーーーッ! 待ってました、そのセリフ!)
外面では、私は驚きに目を見開いて、か弱く唇を震わせている。完璧な令嬢ムーブだ。しかし、私の心の中は、スタンディングオベーションの嵐が吹き荒れていた。
「イライザ! お前のように地味で、気の利かない女は、次期国王たる私の隣にはふさわしくない! お前は私の顔に泥を塗り続けた!」
まぁ、ひどい言われよう。
でも、事実だから仕方ない。私があなたに贈った、ネクタイピンもカフスボタンも、一度だってつけてくれたことはなかったものね。デザインが地味すぎると、侍従に下げ渡していたのを私は知っている。
「それに比べて、ソフィアはなんと素晴らしく、慈愛に満ちていることか! 彼女こそが、この国を導く聖女であり、私の唯一無二の伴侶となるべき女性だ!」
殿下はそう言って、うっとりとした表情でソフィア嬢の肩を抱き寄せた。ソフィア嬢は、はにかむように頬を染め、「そんな、もったいないお言葉ですわ」と首を振る。
その仕草のあざとさに、私の心の中の私が盛大な拍手を送った。
(いいぞ、もっとやれ! これで私もようやく自由の身だわ!)
この婚約は、私の実家であるベルクシュタイン辺境伯が持つ、特殊な鉱石の採掘権を王家が独占するための政略の道具でしかなかった。五歳の時に結ばされたこの呪いから、私はずっと逃れたいと願っていたのだ。
「そんな……アルフォンス殿下、ひどいですわ……」
私はか細い声で、台本通りのセリフを口にする。瞳にうっすらと涙を浮かべることも忘れない。女優顔負けの演技力に、自分でも惚れ惚れする。
「うるさい! お前のような女の涙など見たくもない!」
アルフォンス殿下の罵声が飛ぶ。
よし、これで完璧。周囲の同情は、すべて聖女様と王子様へ。そして私には、惨めな捨てられ令嬢というレッテルが貼られる。それでいい。それがいい。
私は静かに頭を下げ、踵を返した。
もう、ここには一秒だって長居する必要はない。
嘲笑と侮蔑の視線が、ドレスの背中に突き刺さる。けれど、私の足取りは信じられないほど軽やかだった。
やっと、あの息の詰まる王妃教育から解放される。
やっと、大好きなあの場所に帰れる。
やっと、本当の私に戻れるのだ。
広間の出口に向かう私の目に、ふと、遠くの柱の影に立つ一人の男性の姿が映った。
漆黒の髪に、凍てつくような氷の瞳。他の誰とも違う、静謐で圧倒的な存在感を放っている。
『鉄血公爵』の異名を持つ、カイウス・フォン・エーレンフェルト公爵。
戦場でしか笑わないと噂される、冷酷無比な人。
彼が、なぜか、じっと私のことを見ているような気がした。
いや、正確には、私の左腕に嵌められた、この古びた腕輪を。
その鋭い視線に、ほんのわずかに心がざわめいたけれど、私はすぐにそれを振り払った。
今はただ、この素晴らしい解放の瞬間を、心の底から味わいたかった。




