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転生貴族の食卓革命!  作者: まるまめ珈琲
第4章 湯気の向こうに、新たな一杯
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第5話:香る焦がし油と干し魚

 スープの香りが、ようやく厨房に広がりはじめた。


 それはまだ“完成の香り”じゃない。

 けれど、昨日までの空っぽだった湯気とは、確かに違っていた。



 朝。火を入れるために厨房に入ると、すでにラージスの姿があった。


 黙って、薪をくべ、鍋に水を張り、包丁を研いでいる。


「……おはようございます」


 ボクが声をかけると、ラージスは一度だけ頷いた。


 それきり何も言わず、手元の作業に戻っていく。


 でも、それで充分だった。昨日までは“厨房に立っていなかった”人が、今はそこにいる。それだけで、空気はまるで別のものになっていた。


 


「今日は、干し魚の出汁からやってみようと思います。香味野菜と組み合わせて、うまくバランスを……」


「魚は、熱湯じゃなく、ぬるめの湯で。いきなり熱いと、香りが飛ぶ」


 ラージスの声が、低く響いた。


「え、ありがとうございます」


 びっくりして振り返ると、ラージスはもう次の作業に移っていた。

 だけど、それが“助言”だったのは、誰が見てもわかった。


 


 干し魚と香味野菜。組み合わせ自体はめずらしくない。

 ただしこの世界では、味がぼやけていて、香草のえぐみが強い“とりあえず煮込んだだけ”のスープが多かった。


 ボクは、もっと“輪郭のある味”にしたかった。

 干し魚の甘みとコク、香草の爽やかさ、それを引き締める焦がし油――

 そうやって重ねていけば、きっと“芯のあるスープ”になるはずだ。



 鍋に水を張り、干し魚をゆっくり戻す。

 香味野菜は火を入れすぎないよう、じっくりと香りだけを移す。


 途中、焦がし油の準備も進める。油に香草を入れ、表面がじゅわっと泡立つ瞬間に火を止める。


 湯気の中に、淡く甘い匂いと、香ばしい香りが交じりはじめた。

 


「……アル様」


「ん?」


 いつの間にか、扉の向こうからレイチェルが顔をのぞかせていた。


「これ、昨日焼いたパンの端っこ。おやつにどうかなって」


「ありがとう。今ちょうど一段落ついたところ」


 包みを受け取り、作業台の端に置く。


 レイチェルはちょっと顔をしかめながら、厨房の奥を見た。


「おじいちゃん、今日はずっと厨房にいるね」


「うん。昨日から、ちょっとずつ関わってくれてる」


「なんかさ、昔みたいな手の動きしてる気がする」


 ふっと笑いながら、レイチェルはパンをかじる。


「アル様が来てから、おじいちゃん、あんまり怒らなくなったよ。……なんていうか、背中のとげとげが減った感じ?」


「とげとげ……?」


「うん、背中のとげとげ。ずーっと近づくなって言ってるみたいな空気だったのに、最近は違う」


 ボクも思わず笑ってしまう。


「たしかに、“火加減見ててやる”なんて、昨日はちょっとびっくりしたよ」


 

 香味野菜を変え、干し魚の戻し時間も数パターンで調整する。

 ラージスは横目でその様子を見ていたが、時折、ほんの短く言葉をくれる。


「その魚、皮目を炙ると香りが立つ」


「この香草は、生より刻んで一晩干したほうがいい。匂いが立ちすぎない」


「油は……煙が立つ直前で止める。火を落としてから、少し待て」



 ひとつひとつの助言が、的確だった。

 料理としてのセンス、というより、“体に染みついた職人の経験”が言葉になっている感じだった。


「昔はこういう料理の会話、よくされてたんですか?」


「昔は……誰も訊いてこなかっただけだ」


 そう呟いたラージスは、表情を変えずに火加減を調整し続けた。



 何度か試作を繰り返すうち、スープに“輪郭”が見えてきた。

 甘さと塩気。香草の爽やかさ。焦がし油の苦みと香ばしさ。

 ひと口目で広がって、最後に引き締まる――そんなイメージに近づいてきた。

 


 最後の試作。干し魚の出汁をベースに、刻んだ香味野菜をほんの少し。

 塩の分量を微調整し、仕上げに焦がし油をひと垂らし。



 ふわり。


 香りが、厨房の空気ごと変えていく。

 出汁のふくよかな香りのなかに、焦がし油の苦みと香ばしさがふっと立ち上がった。


 鼻を抜けるようなその香りに、ラージスが静かに顔を上げる。

 


 そして、何も言わずに、椀をひとつ取り出した。


 ボクがうなずき、そのスープを注ぐ。


 ラージスは、湯気の向こうでそれをじっと見つめ、そして――静かに啜った。



「…………」


 何の言葉もない。

 でも、表情が、わずかに変わった。


 眉が少しだけ緩み、口の端がほんのすこし、上がった。

 


「……おじいちゃん、今、ちょっと笑ってた」


 レイチェルが小声で言った。

 驚いたような、でもどこか嬉しそうな声。


 ボクは横目でラージスを見つめながら、静かに頷いた。



 ラージスは椀を置いて、湯気の向こうでひと息つくと、ぽつりと呟いた。


「……これ、店の外まで香るな」

 


 その声は低く、しわがれた声だったけれど、はっきりと芯があった。

 まるで“認める”ことそのものが、長い時間をかけてようやく出てきた言葉のようだった。

 


「うん。そうなってくれたら、嬉しいです」


 ボクは素直に答えた。


 


 思えば、何十回も試作してきた。

 うまくいかない時も、味が壊れてしまった時もあったけれど――


 今日の、この一杯は、ようやく“前に進む味”になった。



 ラージスがふと立ち上がり、棚から器をもうひとつ取り出した。


 それを湯で温めてから、こちらに差し出しながら、低く言った。


「……そっちも、一口くらいは食っとけ」

 


 言い方はぶっきらぼう。けれどその声には、どこか柔らかいものが混じっていた。


 ボクは、思わず笑ってしまう。


「ええ、そうします」

 


 受け取った器に、スープを注ぎ、ボクもひと口、啜る。


 干し魚の甘み。香味野菜の軽さ。焦がし油の苦みと香ばしさ。


 全部が、ひとつにまとまって、まるでちゃんと“料理”として完成していた。

 


「……おいしい」


 ぽつりと漏らすと、ラージスは何も言わず、鍋の火を少しだけ弱めた。


 その背中を、ボクはしばらく見つめていた。

 


 昔を知る料理人と、新しいものを作ろうとするボク。

 そのふたりが、ひとつの味を前に、黙って椀を啜っている。


 それだけで、なにか確かなものが通じ合った気がした。

 


 レイチェルが、小さく拍手をした。


「おじいちゃんも、アル様も、いい顔してるよ」


「……そうかな?」


「うん。なんか、いい匂いの中で笑ってる顔。あたし、好きだな、そういうの」


 


 厨房の空気が、やさしくなっていた。

 火はまだついているのに、不思議と緊張はなくて――


 でも確かに、ここには“期待”があった。


 


 まだ麺が残ってる。

 でも、きっとこのスープに合う麺は作れる。


 ボクはもう一度、鍋を見つめながら、そっと息を吸い込んだ。


 香ばしさと旨味の混じった湯気が、鼻をくすぐる。

 


「次は、麺だね」


 誰に言うでもなく呟いたその言葉に、ラージスがゆっくりと、背を向けたまま、うなずいたような気がした。

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