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転生貴族の食卓革命!  作者: まるまめ珈琲
第4章 湯気の向こうに、新たな一杯
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第3話:新しい味の実験室

 翌朝、ボクは再びラージスの店を訪れた。


 看板は昨日と同じように古びていたけれど、どこか、ほんの少しだけ、その木目がまぶしく見えた。


 扉を開けると、昨日と同じがらんとした空間。誰の声も、客の気配もない。


 奥から現れたラージスは、ボクを見るなり少しだけ眉をぴくりと動かしたが、特に声をかけるでもなく、無言のまま厨房の奥へと引っ込んだ。


 ……無言の了承、ってことかな。


 まぁ、昨日の今日だ。まだ気持ちが落ち着かないのも無理はない。


 でも、厨房を貸してくれるだけで十分だった。


「お借りします」


 小さく一礼して、ボクは厨房へ足を踏み入れた。


 


 厨房は素朴で、よく手入れされていた。


 石造りの作業台、窯、棚に並ぶ香草と塩の壺。

 それらを見ながら、ボクは鞄の中からいくつかの香草と、持参した調味用の瓶を取り出す。


 まずは、スープの再構築から。


 昨日感じた、あの「ちぐはぐな味」。

 スープと麺が互いに寄り添っていない、あのばらばらな印象。

 それをほどいて、繋ぎ直す作業を、今日から始める。


「香草の強さ……塩気の濃さ……煮出しの温度……」


 口の中でつぶやきながら、鍋に湯を沸かし、順に素材を加えていく。


 まずは、香草抜きの塩のみで出汁を作ってみる。


 昨日のスープは、最初の一口がとにかく“尖って”いた。

 香りが先に鼻を突き、塩気が舌を殴る。けれどそのあとが続かない。


 味が平坦で、奥行きがなかった。


「たぶん……煮込みすぎなんだ」


 香草は、強火で長く煮れば煮るほど、香りの芯を失って、苦味だけが残る。

 あれは香りじゃなく、痕跡だけだった。


 昨日のあの味を思い出しながら、ボクは鍋の火加減を細かく調整し、時間を計り、何度も試す。


 塩を変え、水の硬度を変え、温度を変えたスープをいくつも作っては味見して、捨てる。


 いくつ目かの鍋を火からおろしていたとき――


「……なんか、昨日よりずっといい匂い」


 背後から声がした。


 振り返ると、レイチェルが戸口にもたれてこちらを見ていた。


「見に来たの?」


「うん。おじいちゃんは口には出さないけど、ちゃんと聞いてるよ。奥で、ずっと静かにしてるもん」


「……そっか」


 ちょっとだけ嬉しい気持ちが胸の奥で膨らんだ。


「そのスープ、味見していい?」


「もちろん」


 木の匙で少しすくって、彼女に差し出す。


 レイチェルはそっと口に含んで、目を細めた。


「……やさしい味。前みたいに、舌に刺さってこない」


「ありがとう。でも……まだ、足りない気がする」


「どこが?」


「奥行き。香りも味も整ってるけど、なんか……芯になる味がない。たとえば、肉の出汁とか、乾物とか……何かが軸になってくれると、全体がまとまるんだけど」


「ふーん……」


 レイチェルは腕を組んで天井を見上げたあと、ぽつりと言った。


「そういえば、おじいちゃん……昔、そういう実験よくしてたよ。干した魚とか、香味油とか使って、いろんなスープ試してた」


「ほんと?」


「うん。たしか……その頃のノート、あったはず」


 ぱたぱたと厨房を出て行き、数分もしないうちに戻ってきた彼女は、やや古びた帳面を抱えていた。


 革張りの表紙。角は少しすり減っていて、紐で留められている。


「これ。あたしが小さい頃、厨房の棚で見つけたやつ。たぶん、おじいちゃんが若い頃に書いてたんだと思う」


「見せてもらってもいい?」


「どうぞ」


 ボクは帳面を開いた。


 中には、びっしりと文字と数字、素材の名前が並んでいた。

 “干し鯖、煮出し時間五分”、“揚げ香草油”、“白胡椒を加えると苦みが立つ”――そんな細かいメモが、ページをめくるごとに現れる。


「……すごい」


 目を通しながら、思わず声が漏れた。


 実験の跡だ。試行錯誤の痕跡。

 料理人としての、迷いと探求の証。


 ページの端には、あちこちに“✕”や“◎”、“次はこれ”といった言葉も添えられていて、ラージスがただ守るだけの職人ではなかったことが、痛いほど伝わってきた。


「焦がし油……干し魚……これ、今のスープに足せば、ぐっと変わるかも」


 ボクはノートを閉じ、ふっと息を吐いた。


「ありがとう、レイチェル。これはすごく大きなヒントになる」


「よかった。おじいちゃん、ほんとは頑固じゃないんだよ。……でも、あたしが物心ついたときには、もう“伝統を守る”ばっかり言ってて」


「守るって、ある意味では“止まる”ことでもあるからね。だからこそ、動き出すのって、すごく怖いことだと思う」


「……うん」


 ふたりの間に、少しだけ静けさが流れた。


 でも、どこかその空気は昨日よりもあたたかかった。


 


 ――その奥。厨房の扉の向こう。


 見えない位置にあるその隙間から、小さく誰かの気配がした。


 声も、足音もない。ただ、息を殺した誰かが、そこにいる。


 きっとそれは、あの帳面を書いた本人。


 


 味は、少しずつ形になってきた。

 バランス、香り、飲みやすさ――少なくとも、昨日の一杯よりは確実に良くなっている。


 けれど、完成とはまだ言えなかった。


 整った味に、もう一つ何か――魂のようなものが足りない。


 伝統に縛られすぎていた麺と、異国のように生まれ変わろうとしているスープ。

 それらがちゃんと手を取り合うためには、もう一段、踏み込まなければならない。


 そしてそれは、きっと――

 ボクひとりでは、越えられない壁なんだと思う。


 


 ふと、視線を上げると、帳面のページが風でぱらりとめくれた。

 書きかけの言葉、未完成のレシピ、思いつきの走り書き――

 どれもが、“もっと良くしよう”という意志の跡だった。


「……昔のラージスって、こういうこと、いっぱい考えてたんだね」


 そう呟くと、レイチェルが静かに頷いた。


「うん。……今のおじいちゃんより、ちょっと若くて、ちょっと無茶してて、でも楽しそうだった気がする」


「その人が、どこかにまだ残ってるなら――また出てきてくれると、嬉しいな」


 


 ボクは再び鍋に向かって、今日最後のスープに火を入れた。

 あたたかな香りが立ち上り、湯気が天井へ向かって細く昇っていく。


 その背後。厨房の奥の戸の向こう。


 きっと、あの人はまだ黙ってそこにいる。

 目も合わないし、声も聞こえないけれど――

 こちらの音は、匂いは、きっと届いている。


 


 ほんの少しでも、あの背中が――かすかに揺れてくれたら。


 ボクは、そう願いながら、火を止めた。


読んでいただきありがとうございます!


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