第2話:頑固職人の冷たい一杯
キットスの町は、クレマン領の南に位置する小さな宿場町だ。
交易路の途中にあり、旅人や行商人の立ち寄りが多いこの町には、さまざまな店が立ち並んでいる。
その一角に、少し目立たない木の看板が揺れていた。
「……ここ、かな」
ボクは足を止めて、看板を見上げた。
“ラージスの麺屋”と、古びた筆で書かれている。
ガストンが言っていたとおり、昔からある伝統的な麺料理屋だ。
「中に入ってみよう」
ボクは戸を押して中へ入った。
――がらん。
鈴の音が鳴ったが、店内には客の姿はなく、少し古びた木のテーブルがいくつか並んでいる。
湯気の残り香が漂っていたが、それも弱く、どこか活気に欠けていた。
「いらっしゃ――……おや?」
奥から出てきたのは、年配の男性。
がっしりした体格で、手には打ち粉の白さが残っている。きっと、ずっと厨房に立っていたのだろう。
「もしかして、ラージスさん?」
「……ああ。俺だが……えっと、あんたは……?」
「あ、ええと、クレマン子爵家から来ました。アルフォンスっていいます。ガストンから話、通ってませんか?」
ボクがそう言うと、ラージスは「あっ」と小さく声をあげ、額の汗を袖でぬぐった。
「おう……あいつの言ってた坊ちゃんか。なるほどなるほど……失礼した、いや、失礼しました。まさか本当に来るとは思わなんだ」
「ふふ、言われ慣れてます」
ラージスは照れたように鼻の下をこすりながら、ちらちらとボクの顔色をうかがった。
「おじいちゃん、なに緊張してんの? その人、ガストンさんの知り合いなんでしょ?」
ぱたぱたと小走りで現れたのは、赤茶色の髪を後ろで結った女の子だった。
まだ十代の後半くらいで、瞳の奥には強い好奇心が光っている。
「……孫のレイチェルです。手伝いは任せてるが、口のほうも達者でな」
「こんにちは、レイチェルさん。クレマン子爵家から来ましたアルフォンスと言います」
「こんにちは。……って、子爵家のご子息!? うわ、緊張するじゃんおじいちゃん!」
「おまえが言うな!」
ラージスが叫ぶと、店内に微かに笑いが起きた。
「でた、せっかくだ、食っていくか? 今のメニューでよけりゃ、すぐに出せるが」
「ええ、ぜひ。味を見てみたいです」
ラージスは厨房へ戻り、レイチェルもそれに続いた。
しばらくして、香草の香りをまとった煮込み麺が出てきた。
見た目はきれいに整っている。丁寧に切られた野菜、澄んだスープ。
ボクはひと口すすって――思わず眉をひそめた。
「どうだ?」
ラージスが腕を組んで問う。
「うーん……たぶん、ですけど。麺とスープが、仲良くしてない感じです」
「仲良く……?」
「それぞれは悪くないんだけど、合わさったときに、主張がぶつかってて。味の芯が定まらない、というか……」
ラージスは黙ってスープをすくい、ひと口啜った。
「……そういうもんだろ。昔から、うちはこれでやってきたんだ」
声は穏やかだったが、どこか棘がある。
「伝統の味には理由がある。奇をてらうより、守るほうがよっぽど大事だ。……坊ちゃんにはわからんかもしれんがな」
「でも、食べてて“気持ちよくない”んです。スープが強すぎて、麺が味を運んでくれない。これじゃ……」
「これじゃ、なにさ?」
ラージスの視線が鋭くなる。
「……“また食べたい”とは思えない」
ボクは正直にそう言った。
一瞬、空気が凍ったように感じた。
その沈黙を破ったのは、レイチェルのつぶやきだった。
「昔は、もっと色々と工夫してたのにね……」
ぽつりと落ちたその声は、スープの湯気よりも静かに、でも確かに店の空気を揺らした。
ラージスの眉がぴくりと動く。
「……レイチェル」
低く名前を呼ぶその声に、彼女は少しだけ唇を噛み、視線をそらした。
「だって……本当じゃん。香草の種類も、スープの濃さも、その日の気温や湿度で変えてたでしょ? “毎日違うから面白い”って、おじいちゃんが言ってたの、覚えてるもん」
「それは……」
「でも、最近はずっと同じ。何年も。食べるたびに、なんとなく……がっかりするの」
ラージスが何か言いかけて、言葉を飲み込む。
拳を握ったまま、目を伏せるその姿には、怒りでも反論でもなく、ただ戸惑いが浮かんでいた。
ボクは、静かに麺の器を見下ろした。
伝統を守ることと、変わらないことは違う。
変えることは、捨てることじゃない。
――パンのときと、同じだ。
「……ごめんなさい、おじいちゃん。言いすぎました」
レイチェルがぽつりと謝った。
けれどラージスはそれに返事をせず、ただ黙って厨房の奥へと引っ込んでいった。
背中はどこか、寂しげだった。
しん……とした空気が残された店に、レイチェルの小さなため息が響く。
「ごめんね……せっかく来てくれたのに、変な空気になっちゃって」
「ううん、気にしないで。……ボクも、言い方、少し強かったかも」
「おじいちゃん、頑固だから。でも……あの人、本当は変えるのが怖いだけなんだと思う」
レイチェルがスープの器を片づけながら、ぽつりとこぼす。
「昔ね、“料理ってのは、お客の顔を思い浮かべて作るんだ”ってよく言ってたの。そういうの、今は言わなくなっちゃったけど」
「……それ、いい言葉だね」
「うん。でも、いまは“昔の味を守る”ばっかりで……なんか、食べてて嬉しくないの」
ボクは少しだけ、笑った。
「じゃあ……その嬉しくない理由、もうちょっと探ってみようか」
「え?」
「できるかはわかんないけど。美味しくない理由がわかれば、美味しくできるかもしれない。……きっと、パンのときと同じように」
レイチェルの瞳に、少しだけ光が戻った。
それでも、厨房の奥からは、ラージスの足音も、声も聞こえなかった。
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