第8話:心が動けば、味は変わる
兵の食事に湯気が戻ってから、どれほど経っただろうか。
最初は警戒と戸惑い、次に驚きと静かな反応。今はもう、誰も疑うような目をしていない。
柔らかく香ばしいパンと、あたたかなスープ。
たったそれだけのことが、兵たちの足取りや目線を変えていた。
「アルフォンス様、今日の塩加減、昨日よりやわらかですね」
キエルが控えめに言った。
「根菜の甘味が出やすいので、少し引いています。味が丸くなるはずです」
そう応じながら、器の湯気を見つめる。
同じ一杯でも、味は日々変わる。変えているのは、鍋の中だけじゃない。
向こう側で静かに膳を囲む兵たちの顔も、穏やかだった。
「なんだか最近、腹のもちが違う気がします」
「前より食ったあと、少し眠れるな」
小さな感想が、交わされる。
その一言一言に、ボクは確かな手応えを感じていた。
夕方。
父上とともに、ボクはロンベルグ閣下の前に立った。
定例報告の場とはいえ、今回は特別な意味を持つ。
厨房改革――軍の根幹にかかわる問題への取り組みに、閣下がどんな判断を下すのか。
執務室の空気は、ひとつの声を待つように張り詰めていた。
「……報告を」
低く、だが明確に発せられた言葉。
ボクは父上に一礼し、歩み出る。
「行軍時も含めた温食の提供と、それに伴う調整についてご報告いたします。再加熱器具を導入し、補給班との連携のもと、対象は兵全体に拡大済みです」
閣下は、腕を組んだまま動かない。
その沈黙が、逆にすべてを見通していることを語っているようだった。
「兵からの反応は?」
「……最初は警戒もありましたが、現在は“ありがたい”“楽しみだ”という声も出ております。食後の疲労感や体調不良の報告も、明らかに減少傾向です」
「味に満足しているのか」
「“おいしい”というより、“やさしい”“落ち着く”といった声が多いようです。必要だったのは、刺激ではなく安心だったと……ボクはそう考えています」
閣下の視線が、ほんの少しだけ深くなった。
鋭さのなかに、測るような重みが宿る。
「兵の胃袋は、戦の根だ。……だが、それはただの燃料ではないのかもしれん」
閣下はゆっくりと椅子に凭れた。
その言葉は、結論ではなく、自らへの問いのようだった。
そして。
「アルフォンス。お前の働き、しかと見届けた。……今はまだ、すべてを変えるには早い。だが、続けてみよう」
「はっ。御意にございます」
その評価が、どれほど重みのあるものか――ボクには、痛いほど伝わっていた。
翌朝、ボクはルミナ様の部屋へ向かった。
彼女の偏食について相談を受けたのは、もうだいぶ前のように感じられた。
今日は閣下自身が、その“経過”を見に来られると聞き、慎重に献立を整えた。
選んだのは“白い森”。
白根菜を薄く削ぎ、ふんわりと重ねて雪のように盛りつけ、中央に淡い果実のピューレをひと匙添えた。
控えめな香りと色合い。主張しすぎない温度と甘味。
ルミナ様にとって、少し先へ進むための、穏やかな一皿だ。
「今日は、森に初雪が降った日をイメージしました。ひんやりした空気の中に、やさしい甘さを、ほんの少しだけ」
ボクの言葉に、ルミナ様は目を細めて皿を覗き込み、やがてスプーンを取られた。
その手に、もはや迷いはなかった。
一匙をすくい、静かに口に運ぶ。
「……ふわふわしてる。やさしい味。……こわくないよ」
小さく微笑まれたその横顔を、そっと見守っていた。
そして、その様子を確認するように、部屋の奥で気配が動いた。
「ふむ……たしかに、変わっているな」
低く落ち着いた声。
ロンベルグ閣下が、扉の外から様子を見ておられた。
「閣下。今朝は、お時間をいただきありがとうございます」
「礼を言うのは、こちらの方だ。アルフォンス。ここまで進めるとは思っていなかった」
視線はルミナ様へ。だが、あくまで言葉はボクに向けられていた。
依頼されたのは“偏食の改善”。
それは、ただ食べさせることではなく、“口にしたいと思わせること”だ。
「彼女は、もう“食べること”を怖れていません。今日の皿も、恐怖ではなく関心のもとで選ばれたものです」
「……なるほどな。言葉より、皿が語っている」
ロンベルグ閣下はわずかにうなずき、娘の皿へ視線を落とした。
そして、ルミナ様がふとボクの方を向いて言った。
「アルの考えたごはん、すきよ。たべると、やさしいきもちになるの」
「ありがとうございます。ルミナ様にそう言っていただけるのが、何よりです」
ルミナ様は、スプーンを器の縁に置いて、少し考えるような顔になった。
そして、まっすぐな声で言った。
「じゃあ、アルをルミナのお婿さんにしてあげてもいいかなって思うの」
時が止まる。
そして――静寂。
侍女が器を落としかけて慌てて受け止め、ボクは反射的にロンベルグ閣下の方を見た。
「……ルミナ?」
その一言に、閣下は眉をひそめる。
「だって、アルのごはん、ずっとたべたい。だから……お婿さんにしたら、ずっとつくってくれるでしょ?」
無邪気な問いだった。けれど、問いにしては破壊力が強すぎた。
ロンベルグ閣下は口を開きかけ、何も言わず、やがて顔を手で覆った。
「……アルフォンス。貴様まさか、ここまでとは……」
そのまま踵を返すと、黙って部屋を去っていかれた。
その背中からは威厳も剛直さも消えていて、ただひたすら混乱と困惑が滲んでいた。
ルミナ様は残った“白い森”を、静かに口へ運ばれていた。
「ねえ、アル。ルミナのすきなもの、また、つくってくれる?」
「……ええ。もちろん。機会があれば、また」
自然な口調で、そう返せたのは、もう彼女に対する“恐れ”がなかったからかもしれない。
彼女の心にも、兵たちの心にも、ボクの一匙は届いていた。
変化は、起こすものではなく、重ねるもの。
刻まれた一皿一皿が、確かにそれを証明していた。
いかがでしたでしょうか?
これにて3章完結です。
結構悩んで何度も修正しました......。
4章はプロットまでは出来てるので、ちょっとずつ書いていきます、しばしお待ちを。
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