第7話:その一口が届くまで
日々の献立が少しずつ変化していく中で、厨房の空気もまた、わずかずつ変わり始めていた。
大きな音もない。派手な盛りつけもない。
それでも、温かな湯気とささやかな香りが、石造りの空間にゆるやかな色を灯していた。
「今日のスープの仕上がり、昨日より少し塩が軽いかもしれません」
キエルが味見を終えて、控えめに声をかけてくる。
ボクはひと口、鍋からすくって確認した。
「たしかに……でも、今日の根菜の甘味が強いから、これくらいの塩加減でちょうど良いと思いますよ」
「なるほど......。はい。ではこのまま仕上げますね」
キエルはすぐに火加減――いや、熱板の調整に戻った。
加熱に火を使わないこの装置にも、厨房の面々はすっかり慣れてきている。
午後の配膳。
配られた器を手にした兵たちは、もう以前のように“疑う目”を向けることはなかった。
「今日のスープ、昨日より少しとろみがあるな」
「柔らかいパン、もう慣れてきました。腹持ちも悪くないですし」
それぞれが、ごく自然に“違い”を受け止めている。
それが何よりも嬉しかった。
ある兵士が、そっとこちらに視線を向けて言った。
「アルフォンス様、こうして食事が変わっていくのを見るのが、最近の楽しみなんです。明日も、きっと少し違う気がして」
「それはよかった。少しずつですけれど、確実に前へ進んでいます。皆さんの身体に負担がなく、かつ心が軽くなるような食事を目指して」
ボクの言葉に、その兵士は穏やかに頭を下げて、再びスープに向き直った。
その夜、ルミナ様の私室を訪ねると、部屋には小さな灯がともっていた。
机に向かって、ルミナ様は何かを書いているようだった。
「こんばんは、ルミナ様。今夜のお皿には、少し新しい試みを加えてみました」
声をかけると、ルミナ様は筆を置き、そっとこちらを向いた。
今夜の皿には、色味を抑えた根菜のスティックを、白い陶器の器に放射状に並べてある。
その中央には、淡い黄色の果物を煮詰めてつくったピューレ状のものをひと匙。
どこか陽だまりを思わせるような、やさしい見た目とごく控えめな香り。
「これは……今日のお話?」
「ええ。“風の丘”という名前をつけました。丘を越えた先に、ひとつだけ甘い果実が落ちている……そんな風景を、お皿の上に描いてみたのです」
「……絵みたい。綺麗ね」
ルミナ様は、皿をじっと見つめた。
手はまだ動かない。でも、拒絶の色はなかった。
「果物は……においが強いから、いつもはいや。でも、これは……あまりにおいがしない」
「そう感じていただけたのなら、調整は成功です。香りを閉じ込めて、刺激を抑えるよう工夫しました」
ルミナ様は、小さなスプーンを手に取った。
迷いながら、けれど真っ直ぐにピューレに触れる。
そして、ほんの一匙だけ、唇に運ばれた。
「……甘い。でも、こわくない。やさしい甘さ」
小さな声だった。でも、はっきりとした言葉だった。
その表情には、ほんの少しだけ緊張が残っていたけれど――それ以上に、何かを“確認した”ような静かな安堵があった。
「無理に召し上がらなくて大丈夫ですよ。ただ、少しでも“きれい”だと、大丈夫だと感じていただけたなら……それだけで、今日は嬉しいです」
「……ちょっとだけ、こわくなかった」
「それなら、きっと明日はもう少しだけ遠くまで行けますね」
ルミナ様は、器の縁にそっと指を添え、もう一口、スプーンを口へ運んだ。
何かを口にするというのは、ただ身体を満たすことではない。
五感を通じて、自分と世界との関係を確かめる行為だ。
それがどれほど怖く、どれほど尊いことか――ボクは今、目の前で教わっている気がした。
ひと皿に物語を。
ひと匙に、やさしさと静けさを。
ボクは、ルミナ様の小さな一歩に応えるために、また明日、道の続きを考える。
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