第6話:火と兵と、立ち止まる時間
鍋の底で、薄切りにした根菜が静かに揺れる。
たったそれだけの動きなのに、兵たちの視線が自然と集まっていた。
屋外に設けた簡易の調理台――今日から、行軍用の新しい加熱器具を試験的に導入している。
石板に油脂を染み込ませて熱を発生させる、いわば火を使わない「小さな台所」だ。
魔法もある世界だ。当然のように魔石のようなものもあるがコストがかかるので今回は除外した。
使う食材は、前日に火入れを済ませた干し肉と根菜、それに加熱用のスープ。
冷たいまま出されていたものが、湯気と香りを伴って配られると、周囲の空気まで柔らかくなったようだった。
「まさか、こんなに違うとは思いませんでした」
「湯気があると、それだけで食べる気持ちが変わりますね……」
素直な驚きと小さな感嘆が、いくつも聞こえてきた。
ボクは調理台の脇で立ち止まりながら、その様子をひとつひとつ確かめていた。
「アルフォンス様。兵たちの反応……とても良いですね」
補給班のキエルが、少し嬉しそうな顔で声をかけてくる。
「ええ。まずは、温度を感じてもらえれば十分です。香りや味の調整は、次の段階ですね」
「冷たい食事が当たり前になっていましたから……これだけで、随分と変わるものなんですね」
「食事は、栄養だけじゃなくて気持ちにも働きかけますから。暖かさを得ることで、少しでも心が緩むなら、それが一番の効果です」
キエルはうなずいて、兵士たちの器を手伝いに戻っていった。
湯気を前にして、彼らの肩の力がほんの少しだけ抜けている。
それを見ただけで、十分だった。
夕方。厨房では、マルコさんが鍋の底を静かに洗っていた。
冷たい水に手を浸しながらも、その表情は落ち着いている。
「お疲れさまでした。今日の試み、手応えがあったように思います」
「ええ、あの装置、なかなか使い勝手が良いですね。火を扱わないぶん、安全ですし……手間もかかりません」
布で鍋の水気を拭いながら、マルコさんは続けた。
「何より、兵たちの顔つきが、ほんの少しやわらかくなった気がいたします。大げさかもしれませんが」
「大げさではありませんよ。ほんの一口でも、温もりがあれば、人は変わります」
「……なるほど」
マルコさんは、しばらく無言で道具を並べ直していたが、やがて静かに口を開いた。
「熱のある食事は、単なる栄養以上のものをくれるのですね。……今日、あらためて思いました」
「はい。“温度”は、心を立ち止まらせるきっかけになります。慌ただしい日々の中では、それがとても貴重なんです」
「……確かに。皆、少し立ち止まっていた気がします。あのわずかな時間が、ずいぶん長く感じられました」
マルコさんの声には、どこか微笑のような響きがあった。
「明日以降も、続けてみましょう。さらに工夫を加えて」
「はい。よろしくお願いいたします」
翌朝。
ルミナ様のお部屋を訪ねると、小さな机の上に一枚の紙が置かれていた。
昨日お出しした“森の皿”が、色鉛筆で描かれている。
整えた根菜の花、細い道、その先の果実まで。
そして隅には、幼い筆跡で「またつくって」と一言だけ。
「……伝わったんだ」
紙の上の淡い色合いを見つめながら、ボクは思わず微笑んだ。
兵の皆んなも、ルミナ様も、それぞれの場で“食べる”という行為に、少しずつ心を向け始めている。
暖かさのある一皿が、誰かの一日を変えることもある。
その積み重ねが、やがてこの地を変えていくのかもしれない。
ボクの灯した温もりが、静かに広がっていくのを感じていた。
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