第4話:湯気の立つ兵食、彩りのない膳
大鍋の湯気が立ちのぼるのを見て、思わず肩の力が抜けた。
熱と香り――たったそれだけのことが、これほど空気を和らげるなんて。
ボクは調理棒を持ったまま、ぼんやりと湯気を目で追っていた。
「これは……前とは、だいぶ違う匂いですね」
マルコさんがぼそりと呟いた。
彼の視線は、鍋の中で静かに煮込まれている具材へと向いている。
「干し肉と塩漬け根菜、それに干した香草。材料はあまり変わりませんが、水加減を少し変えて、温かさと香りを引き出しました」
「……香りなんぞ、腹の足しにならんと思ってたが、こうして漂うと……妙に落ち着くもんですね」
マルコさんの言葉には、戸惑いとわずかな納得が混ざっていた。
軍厨房に、温かい香りが満ちたのは何日ぶり、いや何年ぶりだったのだろう。
今、鍋で煮ているのは「軍用スープ」の試作品。
クレマンで扱った定食の手法を、保存食と限られた燃料で再構成したものだ。
具材はすべて薄く刻み、火の通りを早くし、熱が逃げにくい鍋を使って短時間で仕上げる。
そして、主食の固いパンの代わりに用意したのが、クレマン式のパンを基にした混ぜ物パンだった。
「こちらがパンです。干した根菜を粉にして、小麦粉に加えています。油も少しだけ入れて、しっとり感を残しました」
差し出した小さなパンを、マルコさんが慎重に受け取る。
指先で押して、わずかに凹む感触に目を細めた。
「柔らかい……というか、湿り気があるな。これで腐らないんですか?」
「二、三日なら問題ありませんよ。遠征には干しを、駐屯にはこれを。場面に応じて使い分ける形を考えています」
「……なるほど」
パンを噛んだマルコさんは、しばらく無言だった。
やがて、ごく短く、言葉をこぼす。
「温かいもんと、柔らかいもんを一緒に口に入れるのは……久しぶりだ」
その日の午後、実地試食に選ばれたのは、補給班のキエルたち数人だった。
配られたスープとパンを手に、彼らは最初こそ戸惑っていたが、やがて静かに口を動かし始めた。
「……温かいのって、こんなに腹に染みるんですね」
「味もちゃんとあるし、香りが鼻に抜けていく感じがする」
表情がわずかにゆるみ、肩の力が抜けていくのがわかった。
もちろん、劇的な変化ではない。けれど、確かな反応だった。
「アルフォンス様」
キエルが顔を上げ、まっすぐボクを見た。
「これは......続けて頂けるんですか? ……できれば、他の班にも」
ボクは笑って頷いた。
「もちろん。改良も続けるよ。君たちの体が資本なんだから、食も武具と同じくらい整えなくちゃ」
試作を終えたその夜、ボクは用意した二皿を盆に乗せて、邸内の奥にある小部屋へと向かった。
ルミナ様の食事時間に合わせて、あらかじめ届けるように依頼しておいた。
皿のひとつは、例の白いすり潰しスープ。
もうひとつは、根菜を薄くスライスして並べた温野菜――花の形に切りそろえ、白い器にきれいに配置してある。
ルミナ様は椅子に座って、すでにスプーンを持っていた。
「こんにちは。ルミナ様、今日はちょっとだけ、新しいお皿を用意しました」
笑顔を浮かべてそう言いながら、白い器をそっと彼女の前へ置いた。
ルミナ様は黙って皿を見つめていた。
指先が器の縁に触れる。まだ、口は開かない。けれど、拒絶もない。
「色は控えめに、形はお花のように整えています。味も薄め。もし、少しでも気になったら、香りだけでも感じてみてください」
その言葉に、ルミナ様の指がほんのわずかに動いた。
そして、スプーンを一度白いスープに沈め、ひとくち。
そのあと、ふと目を戻して、そっと花形の野菜に視線を落とした。
「……これは、きれい」
かすれるような声だった。でも、確かに届いた言葉だった。
ボクは深く息を吐いた。
兵の食も、姫君の膳も、目指す場所は同じ。
“生きる”ことに寄り添う食。それは、温度であり、香りであり、やさしさでもある。
その一口が、誰かの中で確かに“何か”を変えていく。
そして、そこに火が灯る。
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