第3話:お嬢様は器を選ぶ
応接間の扉が静かに開いて、ほんの小さな足音が部屋に響いた。
現れたのは、銀色の髪に淡い紫の瞳を持つ、まだ幼い少女――ルミナ様だった。
辺境伯閣下の娘。ボクより歳は一つ下、まだ四歳だというのに、ひと目でわかるほどの気品がある。
彼女の視線が、まるで細い針のようにボクを見抜こうとしていた。
「こちらが、クレマン子爵家のご子息、アルフォンス様でございます」
侍女が紹介すると、ボクは席を立ち、静かに一礼した。
「初めまして、ルミナ様。アルフォンス・フォン・クレマンと申します。以後、お見知りおきいただければ幸いです」
ルミナ様はほんのわずかに首を傾けると、黙って頷いた。
それだけ。言葉はなかったけれど、少なくとも歓迎されていないわけではなさそうだ。
まもなく、侍女たちが昼食を運んできた。
銀の蓋が開けられ、中からは丁寧に調理された温野菜と柔らかく焼かれた白いパンが顔を出す。
彩りを整え、香りも控えめにしてある。味見もしたが、刺激が少ない、優しい仕上がりだ。
けれど、ルミナ様の手は動かなかった。
「……きれいじゃないわ」
小さな声で、でもはっきりとそう言った。
周囲の侍女たちが、ぴたりと緊張する。
ルミナ様は皿をじっと見ている。
その目は、「食べたくない」ではなく、「食べられない」と訴えているようだった。
「形がバラバラ。色も、匂いも混ざってる。こういうのは、いや」
わがままというよりも、感覚が過敏なのだとすぐにわかった。
形が不揃いなだけで、彩りが複数あるだけで、受けつけられなくなってしまう。
刺激に敏感で、ほんの少しの違和感も“異物”として認識してしまう。
ボクがこれまで見てきたどんな子どもとも違っていた。
「……ルミナ様、白いスープをお持ちいたしましょうか?」
侍女がそう言うと、ルミナ様は黙って頷いた。
やがて運ばれてきたのは、すり潰した根菜のスープ。真っ白で、とろみがあり、ほとんど香りもない。
それを見たルミナ様は、初めて手を伸ばし、ゆっくりと一口だけスプーンを口に運んだ。
「ルミナ様は、この白いスープしか召し上がりませんの。味も匂いも控えめなものを、できる限り、形がない状態に整えて……」
隣にいた侍女が、声を潜めて説明してくれる。
「他のお食事は、召し上がろうとされないのですね?」
「ええ。色の濃いもの、酸味のあるもの、やわらかすぎたり、逆に弾力があるものも……。少しでも違和感があると、泣いて嫌がってしまいます」
ボクはルミナ様の様子を見守りながら、思う。
たしかに、無理に食べさせれば心を傷つける。
けれど、このままでは身体が持たない。どちらに転んでも、誰かが苦しむ。
目の前で、静かにスープを口に運ぶルミナ様。
小さな手に握られた銀のスプーンが、緊張感をそのまま映している。
食べることが、戦いになってしまっている――そう、感じた。
「ルミナ様。もし、すごくきれいな形に整えたら……少しだけ、他のものにも興味を持てそうでしょうか?」
そう問いかけてみると、ルミナ様は顔を上げ、まっすぐにボクを見つめてきた。
「……きれいだったら、気になるかも。でも、いやだったら食べないわ」
「もちろんです。無理はいたしません」
小さな一歩。でも、大きな一歩だ。
ボクはもう一度、ルミナ様の皿に目を落とした。
食とは、ただ栄養を摂るだけの行為じゃない。
色や形、香り、そして――安心感。
そのすべてがそろって、ようやく“口にする”という行為に繋がることがある。
この姫君にとって、それは“美しさ”であり“秩序”だった。
ならば、そこに火を灯すのは、料理ではなく“器”と“かたち”だ。
ボクは、あの空の皿に何を乗せるべきか、すでに考え始めていた。
いかがでしたでしょうか?
ブックマーク、評価、コメント、感想など励みになります。
いただけたら嬉しいです!




