第7話:密やかな報告
日差しが傾き始めた頃、定食屋の前に見慣れない男が立っていた。
旅人のような風体に、黒ずんだ外套。顔は半分、深く被った帽子の影に沈んでいる。
男は何も頼まず、ただ外から店を見ていた。
やがて客が数人入るのを見届けると、石畳の路地に姿を消した。
「……今日は“合わせ”がいつもより早くなくなったな」
厨房でヨナスが言った。
「午前中に一度、街の噂話をしてる人を見かけたよ。“パンと汁の昼定が、今一番この街でうまい”って」
「……それを広めたのは誰だろうな」
「よく来るお客さんか、それとも商人か。もしかしたら、好奇心のある貴族かもね」
ヨナスは肩をすくめた。
「目立つのは好きじゃねえが、客が増えるのは悪くねえ」
そう言いながら、彼は火加減を整えた鍋の蓋をそっと開ける。
香りがふわりと広がる。
それはもう、かつての“塩湯”ではなく、何層もの味が重なった一杯だった。
その夜、ひとりの使者が馬を駆って北へ向かった。
身なりは地味だが、その足取りは慣れたもので、途中の宿にも寄らず馬を替えながら進む。
数日後、ある地方領主の執務室に、その報告が届くこととなる。
「――クレマン領にて、新たな食を確認。街の定食屋にて、パンと組み合わせたスープ、温菜料理が広く支持されております」
書状を受け取った男は、目を細める。
ロンベルグ辺境伯。
広大な北方を治める貴族であり、食の革新に密かな関心を寄せている人物だ。
「……また、エドガーのところの倅か」
ロンベルグは「ふん」と鼻をならしつぶやいた。声には呆れと、ほんのわずかな期待が混じっていた。
辺境伯の私室。
窓辺に立つロンベルグは、書状をもう一度手に取りながら、執事に言う。
「この件、次の定期報告に含めよ。あまり大げさにせず、要点だけで構わぬ」
「は。承知いたしました」
「それと……エドガーには一言添えておけ。“件の食事改革に関し、詳細を知る人物があれば、同席を望む”とな」
「エドガー子爵の御子息を、とのことで?」
「はっきりと言葉にする必要はない。ただ少し、こちらら知っていると言うことを匂わせればよい」
ロンベルグの声は低く、重かった。
一方その頃、定食屋では仕込みが進んでいた。
「坊ちゃん、次はどんな具を考えてんだ?」
「根菜を一種類だけ増やしてみたい。甘みの層を足すと、口に残る余韻が変わる」
「なるほどな。なら火は弱めのまま長く煮るか」
「うん。焦げないように見てくれる?」
「任せとけ。火を見るのは俺の仕事だ」
鍋の中で湯が揺れる。
ヨナスとボク――スープという器の中で、違う素材が合わさって、互いの形を変えていく。
それは、料理だけじゃなく、店も人も、すべて同じだった。
翌日。
厨房で湯気を浴びながら、ボクは帳面を開いてスープの仕上がりを記録する。
「塩分、昨日と同じ。具材も寸法通り。……でも、ちょっと味が違う気がする」
「昨日より、空気が冷えてるからな。火の通りも微妙に変わる」
「なるほど。じゃあ、火を少しだけ強くしよう」
ヨナスが火口を調整しながら、笑った。
「坊ちゃん、なんでそんな細かい違いに気づけるんだ?」
「……神の啓示、かな」
「は?」
「冗談だよ」
ヨナスが呆れたように笑う。
でも、本当のことは言えなかった。どこまで行っても、ボクの知識は“この世界のもの”じゃないのだから。
小さな店に、またひとつ客が入ってくる。
パンとスープの香りは、確実に街に根を張り始めていた。
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