第6話:売れ残らない器
「今日も“合わせ”が一番先に売り切れたな」
昼の片付けを終えたヨナスが、スープ鍋を洗いながら言った。
“合わせ”とは、ボクとヨナスの共作スープ。魚の出汁と野菜の甘みを丁寧に重ね、最後に香草を浮かべた、あの一杯だ。
「じゃあ、明日はその鍋を一回り大きくしてみる?」
「ずいぶん調子に乗った話だ......けど、そうだな。鍋は大きくしてみるか」
ヨナスは笑いながら、洗った鍋を布で丁寧に拭いた。
この数日、彼の所作が少しずつ変わってきている。無駄が減り、手に迷いがなくなり、表情に張りが出た。
街の声も変わってきていた。
パンと一緒に食べられる“汁”がある店、として、噂が少しずつ広まりつつある。
「ここ、あの柔らかいパンと合うスープが出るんだって」
「なんか身体に染みるってさ。汁、だけど前と違うって」
そんな言葉が、昼の店先から流れてくる。
通りがかりの子どもが、スープの香りに引き寄せられて立ち止まる姿も見かけるようになった。
「このまま客が増えたら、人手が足りなくなるかもね」
厨房でボクが言うと、ヨナスは腕を組んでしばらく考え込んだ。
「確かに。だが、誰でもいいってわけじゃねえ。うちのスープは“仕組み”で成り立ってる。下手に触られたら、味が狂う」
「仕込み担当だけ増やしてみる?」
「……いや、まずは俺の匙を、帳面に落とし込んでからだな」
「レシピ化?」
「お前の言い方だと、そうなるな」
ヨナスはそう言って、鍋の蓋に手をかけた。
それはちょうど、一週間が経った日のことだった。
昼時の客入りは上々で、スープ定食は今日も早々に売り切れた。
ボクはふと気づいたことをヨナスに告げる。
「今月に入って、“スープが売れ残った日”が一日もないよ」
「……本当か?」
「うん。正確には、スープを全部出し切った日が、連続して続いてる」
ヨナスは目を細めた。
「“売れ残らない”ってのは、地味に見えて、一番強ぇんだ」
「でも、“売り切れすぎる”のも問題だよ。食べられなかった人が、次に来なくなるかもしれない」
「それもそうだな……よし、明日から仕込みを一割増やす。器の数も見直す」
「スープの温度管理もだね。混み始めたら時間がずれるから、味も変わる」
「わかった。分量と時間、改めて計り直す」
こうして、店はまた一段階進むことになった。
片付けを終えた後、ヨナスがぽつりと呟いた。
「昔、売れ残った鍋を一人で飲み干してたことがあったんだ」
「え?」
「客が少なくてな。せっかく作ったスープを捨てる気にはなれなくて、無理やり腹に入れてた。……苦かったよ。味はいつもと変わらないはずだったんだがな、なんだか不思議と」
「うん。わかるよ。作った人の気持ちって、味に乗るんだ」
「今、鍋を空にするのがこんなに気持ちいいとはな」
ヨナスは鍋の内側をぬぐいながら、微笑んだ。
「坊ちゃんざ来てから、俺は“作る意味”をまた考えるようになったよ」
「それは嬉しいな。でも、ボクもだよ。ヨナスがいたから、ボクの知識が役に立ってる気がする」
「合わさるってのは、やっぱり力になるんだな」
そして翌日。
新しく用意した大きめの鍋が、火にかけられていた。
「この鍋が、売れ残らなければ、うちはもう大丈夫だな」
「そうだね。でも、売れ残ったっていいと思うよ」
「どうしてだ?」
「味を残せば、また調整できる。挑戦できる。それは、前に進んでるってこと」
「……確かに。売り切れるのが目的じゃねえ。喜ばれて、また来てもらうのが目的だ」
ヨナスはうなずいて、火を調整する。
鍋の中から、ふわっと湯気が立ち上った。
売れ残らないことに喜びを感じるようになったこの定食屋に、今は確かにあたたかい風が吹いていた。
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