6.いつか散るべき花-1
〝女神様〟を家に招き入れてから数分が経過した。
いやに静まり返った玄関には、カチッカチッと置き時計の秒針が進む音が響いている。
時計を玄関に置くことは風水的には良いことらしい。まあ実際には鏡や観葉植物の方が良しとされているらしいが。
それでもここに置き時計があるのは、風水のためではなく単純に時間を確認するためだ。我が家は時間にシビアだから。
時計から首を右に傾けて、俺と一人分のスペースを開けて玄関框に腰掛ける〝女神様〟を見る。
〝女神様〟は折り曲げた足を抱え込むように両腕を回し、膝の上に顎を乗せて一点を見つめている。
そしてふと息を吸って意気揚々と顔を上げるも、俺と目を合わせると途端にスポンジのように体を脱力させて、再び数秒前の姿勢に戻ってしまう。
先ほどの威勢はどこへやったのやら、〝女神様〟は家に上がってから何度もこれを繰り返していた。
俺自身、衝撃的な事実の判明で何から話せば良いか悩んでいる一方で、〝女神様〟も自分が伝えるべきことを切り出せないようだった。
行き場の失った俺の視線は〝女神様〟を捉え続けてしまっている。
しかしこうして改めて〝女神様〟のことを見ても、とても同性とは思えない。
髪はウィッグの類だろうから別として、骨格や肌などといったものが自分とはあまりにも違いすぎる。こういう言い方はあれだが〝女神様〟は女性よりも女性らしく感じる。
ところが、〝女神様〟が男性だということを前提にして今一度見ると、確かに違和感は感じるのだ。何か得体のしれない妙な違和感。
それが何なのかを言語化するには時間が掛かるためひとまず置いておいて、今は〝女神様〟のカミングアウトについての話の切り口を考えなければ。
〝女神様〟は自分のことを男性だと言ったが、それは身体的な意味でのことなのか、それとも精神的な意味合いで言ったのだろうか。
身体的には女性だが、精神的には男性である可能性もあるのか。
しかし女装していると言っていたからそれも違うのか。
考えれば考えるほどわけがわからなくなってくるため、まずは一つずつ明らかにしようと、張り詰めた空気感のなか重い口を開く。
「なあ、姫野さんは本当に男なんだよな?」
「えっ……も、もしかして、今ここで脱いで証明しろってこと……⁈」
「ちげえよ!」
なんでそうなるんだ。
〝女神様〟は俺と目一杯距離を取ろうと壁際まで這っていき、身を縮こまらせて怯えるような眼差しを俺に向けてくる。
「なんかそういうのあるだろ……今の時代、多様性とか、ジェンダーフリーとか、ジェンダーレスファッションとか」
〝女神様〟の誤解を解くためにとりあえずそれっぽい単語を並べて捲し立てると、〝女神様〟は緊迫した表情を緩めた。
「そ、そういうことか……。えっと、つまりわたしの……、ぼくの性自認がどっちなのかっていうことを聞きたいんだよね……?」
「ああ、そう……。ごめんな、紛らわしい言い方して」
俺がそう言うと、〝女神様〟は一呼吸置くと、グッと手を握って視線をこちらに据えた。
「──ぼくは心も体も正真正銘、男だよ」
〝女神様〟は微かに声を震わせてそう言い切る。
「……なら、何で女装してるんだ?」
「そ、それは……」
何か深い事情でもあるのか、〝女神様〟は目を細めて言い淀んでしまった。まあそんな簡単に言い出せることでもないか。
「言いたくなかったら言わなくても良いぞ」
「……ごめん」
申し訳なさそうに目を伏せる〝女神様〟に、なら別の質問をと切り出す。
「姫野さんが女装していることを学園では誰が知ってるんだ?」
「……知ってるのは先生と生徒会の人たちだけ……、なんだけど……」
顔を上げて答える〝女神様〟は俺に疑惑の目を向けてきた。なぜお前は生徒会役員なのに、こっちの事情を把握していないんだとその目が語っている。
「……なんで俺は共有されてないんだろうな」
「ぼくが聞きたいよ……」
俺の知らない間に周知されていたのか、はたまた俺のような下っ端には言えない事情があるのか。
まあ学園の〝女神様〟が実は男性でしたなんて情報は、ある意味学園側にとっても秘匿事項ではあるのだろう。
この話を必要以上に広めて情報が流出するリスクを考えれば、情報共有を最小限に抑えようと生徒会役員の上層部のみに限定した可能性はある。
そう思えば俺に話が回ってこないことには納得がいく。けれど俺は〝女神様〟と同学年であり、同じクラスにもなったんだ。おのずと〝女神様〟と関わる機会は嫌でも増えるだろう。
もし事前に〝女神様〟の事情を知っていれば、学園生活を送る中でそれとなく〝女神様〟のサポートをすることだってできる。
そして、ちょっとした事故で〝女神様〟の秘密が露呈してしまうような危機が迫った時にも柔軟に対処できるはずだ。
俺自身の感情は抜いて、俺がそのように機能することを考えた上で情報共有がなされていないのであれば、もしかすると……。
「……俺って、信用されてないのかもな」
「えっ……」
俺が自嘲気味にぽつりと呟くと、〝女神様〟は顔色を変えて狼狽始めた。そして懇願するような眼差しを俺に向けてくる。
「……あ、あの、できればこのことは秘密にしておいてほしいんだ……できればっていうか、絶対に……。ぼくにできることがあればなんでもするから」
「いきなりそんなこと言われてもな……」
〝女神様〟からの急な等価交換に言葉が詰まる。
そもそも俺は〝女神様〟の秘密を言い触らすつもりはないし、もし仮に俺が生徒たちに〝女神様〟が本当は男性だということを話しても、それを間に受ける者はいないだろう。
だから仮に俺がこの情報を広めようと目論んでいたとしても、〝女神様〟がその噂を否定すればいいだけの話だ。
かといって〝女神様〟は〝女神様〟で気が気じゃないのかもしれない。
自分の体をさらに内側に吸い寄せるようにぎゅっと縮こまり、俺と距離を取ろうとする〝女神様〟はとんでもないことを言い出す。
「ぼく男だから、その……そういうのは無理だけど……」
「いや求めてないから。そういうのってなんだよ。俺は何も求めてないぞ。大丈夫だから」
何故か俺が身の潔白さを示すために両手を上げてアピールする羽目になった。なんだこれ。
「そんな焦んなよ……。そんなに釘刺さなくても、俺はこのことを話して回ったりなんてしないからか。俺はそこまで非道な人間じゃないぞ」
俺には噂話をする友達すらいないんだからな。
俺の訴えは〝女神様〟には響いていないのか、でもだのなんだのと口ごもらせている。
俺は〝女神様〟にも信用されていないのか……。まあ、さほど親しくもない相手を信じろというのも無理があるか。
「わかった。じゃあ、姫野さんが視察に協力してくれる借りを、今ここで返すっていうていでどうだ?」
「……それは、これより前にもう決まってたことだし、早乙女さんから頼まれたことだから、佐竹くんが恩を返すのは違う気がする……」
〝女神様〟は意外と頑固なのかもしれない。
「ならいいよ。他に何も浮かばないから」
「でも……」
「それに明後日から姫野さんと視察で一緒に行動することになるのに、このタイミングで俺が生徒たちに秘密をバラしてわざわざ気まずい空気を作るわけないだろ」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「ともかく、俺は視察を真面目にやってくれれば満足だから。それでいいだろ?」
「……う、うん……。わかった……」
〝女神様〟は渋々といったように頷いた。
そして、何度目かわからない沈黙がやってくる。
今までの話を聞いて〝女神様〟の大体の境遇は把握できた。話をまとめると、なんらかの理由で女装をして学園に通う〝女神様〟は、その事実を限られた人間しか知らない環境の中で一人の女子生徒として生活しているということだ。
突拍子がなさすぎて未だに信じられないが、ひとまずそれを鵜呑みにするとして、そもそも〝女神様〟はなぜ女装をしているのだろうか。
何か精神的な問題を抱えているのか、それとも趣味なのか。男子生徒として通学することに何か不都合でもあるのだろうか。もしくは女子生徒になりすまさなければいけない何かしらの理由があるのかもしれない。
疑問や憶測は後を絶たないが、真実を〝女神様〟自身から聞き出すのは難しそうだ。
そんなことを考えている間にも、時間はどんどんと進んでいく。
ふと時計を見ると、〝女神様〟を家に上げてから三十分以上が経っていた。明日も学校はあるし、俺もこの後やらないといけないことが残っている。
結局〝女神様〟についてあまり深く聞き出せなかったが、俺は曖昧だった〝女神様〟の性別を知れたし、〝女神様〟は俺に口止めができたし、今日のところはこの辺でお開きとしていいだろう。
「そろそろいい時間だからここらで切り上げよう。俺の親も帰ってくる頃合いだし」
そう言って俺が先んじて立つと、続いて〝女神様〟も慌てて立ち上がった。
「あっ、ご、ごめん……! こんな時間まで……」
「いいよ。この話し合いを提案したのは俺なんだし」
そして玄関の扉を開けて〝女神様〟に帰宅を促す。外の様子をざっと見た限りでは、幸いにも俺の両親はまだ帰ってきていないようだった。この状況を見られたら色々と面倒なことになるだろう。
「えっと……、それじゃあね?」
遠慮がちな上目遣いで控えめに手を上げて別れの挨拶をした〝女神様〟は、小走りに扉の外へ出ていく。
「ああ……。とりあえず、俺は姫野さんのこと黙っておくから、視察の方はよろしくな」
暗闇に溶けゆく〝女神様〟の背中を見送りつつも声をかけると、〝女神様〟はくるりと振り返った。
「──……うん」
そうしてこくりと頷くと、〝女神様〟は曖昧に微笑んだ。
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