3.はじめまして〝女神様〟-3
始業式後に続く授業も終了した放課後。今日はこれから視察に参加する者たちを集めて、会議を開く予定となっている。
部活動や同好会は存続の条件として組織内を一度精査し、合同説明会で新入生たちへ向けてプレゼンをする必要がある。それを経て学園側が各組織の継続意志を確認し、今年度も存続するに値するかを判断する。
それは裏を返せば組織内の状況を詳らかにすることで、改善点などを学園側に報告して対応してもらう機会を設けられるということだ。それは例えば、組織に当てられる予算の増加だったり設備の整備だったりと、今回の視察はそういうことにも繋がる可能性がある。
この視察は学園側にとっても、生徒たちにとっても利点があり、六月に行われる生徒総会での議題にも関係する重要度の高い行事なのだ。
それなのに、視察に参加する予定の者が来ない。挙げ句の果てにこの組織の顧問を務める教員さえも、今回の会議には顔を出せないらしい。
昨日俺が電池を取り替えて、今では元気に動いている壁掛け時計を見ると、集合時間の10分前を過ぎていた。
こんな調子でこの先しっかりと視察を進めていけるのだろうか……。
本格的に視察を開始する前にすでに綻びが生じていることに不安を募らせながらも、ほんの少しの希望を求めて部屋の扉が開くことを願う。
本館三階にある使われていない小教室が、俺たち視察組織にあてがわれた会議室だった。
会議室と言っても春休み前までここは物置き部屋のような惨状だった。そのため、会議を開けるように一から整える必要があった。
ガラクタからいつか何かの行事で使えそうなものまで、まとめて部屋の後ろに追いやって、通常の教室よりも半分の広さである小教室のさらにまた半分のスペースに長テーブルを二つ重ねる。そして部屋の奥に埋まって埃まみれだったホワイトボードを添えると、即席の会議室が完成した。
一通りの整備を終えてこの部屋を見渡した時は達成感に包まれたが、どうせまた一年後には物置部屋に戻っているのだろうと思うとやるせない気持ちになった。
そんな狭い会議室内では俺と同じく視察組織のメンバーである、早乙女若葉と北条の二人の声が反響している。
「んで〜、これがママとパパと三人でシーパラいったときの写メ! コレ、メチャよくない⁉︎」
「ふーん……、よく撮れてるじゃん」
「でっしょ〜⁉︎ ウチ、意外とこういう才能あんからね〜」
「……なら、視察の時の撮影は早乙女さんに任せた方がいい写真撮れそうじゃない」
「任せとけって! イイ感じの写真バシャバシャ撮ってやっから〜!」
今日も今日とて人におだてられて調子づくお調子者の早乙女と、おそらく視察当日の自分の負担を軽減しようと目論んでいる北条は、互いのスマホを見せ合いながら春休みの思い出などを語っているようだ。
他人の会話を黙って盗み聞く趣味はないが、こうもでかい声で喋られると嫌でも耳に入ってしまう。
「紅葉ちゃんは春休みどっかいったん?」
「大きいところにはどこも。何回か東京行ったぐらい」
「おぉ! イイじゃ〜ん!」
両手でサムズアップをして、北条に太陽のような明るい笑顔を向ける早乙女。
早乙女は俺と同じく去年生徒会執行部に所属し、役職は会計に就いている。
会計の業務内容は部活動などの各団体から流れてくる領収書の管理や会計処理が主で、金銭が発生する行事での予算案の作成などもしている。
特に忙しくなるのは年度末で、各団体が予算を使い切ろうと動くため、先々月の早乙女は泣きながらキーボードを叩いていた。
俺たちはそれぞれ就いている役職の業務以外、何もしていないというわけでもない。書記である俺と同様に、校内で騒いでいる生徒たちを鎮めるために駆り出されたり、多忙な教師に代わって雑用を引き受けたりしている。
故に学園の生徒たちは皆このポジションに就きたがらないため、多忙の割に役員数が少ない。
会話に花を咲かせていた彼女らは、お互いのスマホの中身を見せ合うことに飽きたのか、互いの容姿についての話題へと移っていた。
「そういえば。それ、染め直した?」
北条が早乙女の髪を指差すと、早乙女は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「おおっ! 気づいちゃった〜?」
早乙女はサイドでふんわりと一つに束ねている髪を解くと、肩から背中にかけて垂れる髪の毛を首元に回して自慢げに微笑む。
「いいっしょ〜コレ! 春っぽいし!」
「昔からその色でしょ」
早乙女は派手で今どきな、所謂ギャル風な身なりをしている。
見ていて目が眩しくなるほどキラキラしたメイクに、見ていてヒヤヒヤするほど短いスカート、首から下げているだけのリボンを中心に全てを緩めに着こなしている。どう見ても生徒会役員とは思えない。
そして極めつきは、パーマを当てて緩やかにウェーブする髪に数箇所入っているハイライト。深いブラウンのベースカラーが、パッションピンクに着飾るそれを際立たせている。
その見た目が生徒会役員としてどうなのかと問われると何ともいえないが、早乙女本人の普段の素行は決して悪くないため、他役員や教師からは黙認されている。
この学園には早乙女のような格好の生徒は珍しくない。我が校は『生徒の自主性を重んじる校風』を元にして、校則が限りなく緩い。学生制服や通学カバンの指定などの一般的な規則はあるものの、それ以外の生徒の身だしなみには一切教員側は関与しない。
それ故にいきすぎた風貌の者が現れる時もあるが、それも基本的には同じく生徒が指導し、律することを求められている。
今回の視察もそのような自治の精神が現れた行事の一つだ。
「渚も色直してたから」
「おお〜そうなんだ〜! ああーなぎさっちね〜……」
結城の名前が出た途端、表情を曇らせる早乙女。
「メチャやる気あったっぽかったけど……」
「まあタイミングが悪かったんでしょ。それに、普通に渚の自業自得だから」
ピシャリと言い放った北条に、早乙女は「んー」と一言返事をしたきり静かになった。
北条もそれきり何も話さない。
急にやってくる静寂。
この沈黙のなか、示し合わせたかのように午後四時を告げるチャイムが鳴った。それは本来、用事もないのに校内に居座っている者に帰宅を促すチャイムなのだが、俺たちにとっては別の意味を持つものとなった。
チャイムが鳴り終わると同時に、早乙女が俺をはたと見る。
「これどーする? ウチら三人しか揃ってないケド……」
「……むしろ半分も揃ってるだけで御の字なのかもな」
この視察に参加する予定のメンツを考えれば、そう無理矢理自分を納得させるしかなかった。
「えぇ〜……マジか〜!」
ガクッと項垂れる早乙女。
「まぁー、しゃーないか〜」
しかし早乙女はすぐに感情を切り替え、いつもの調子でそう言った。
かといって、この状況に対して俺が何も思っていないわけではない。
現在ここに来ていないのは俺が集めた者たちだ。
俺と早乙女は視察に向けてそれぞれ二人ずつ人を集めようと動いていた。
俺が声をかけたのは男子二人。多賀谷清十郎と葛西渉。どちらも俺と同じく二年生だ。
その二人には個人的に貸しがあり、彼らにはその貸しを返してもらう名目で協力を仰いだ。
葛西はその件を軽く揺すると首を縦に振ってくれたが、多賀谷には視察の拘束時間を考えると自分に着せられた恩と比べて不釣り合いだと駄々をこねられ、結局俺が一日分の学食を奢ることで手を打った。
両名とも口約束ではあるが視察への参加を取り付け、先月の顔合わせを兼ねた会議には出席していたのだが……。
「多賀谷くんは教室で見かけたから、学園には来てんだケド〜……。なんかあったんかね?」
多賀谷と同じクラスになったらしい早乙女が、心配そうに首を傾げる。
「どうだろうな。あいつが予定をすっぽかすのはいつものことだから、どうせまたどっかほっつき歩いてるんだろ。むしろ前回のこのこやってきたのが奇跡だったんだよ」
「あはっ、なんそれチンジューみたいじゃん!」
早乙女はチンパンジーみたいに手を叩きながら、ケラケラと笑った。
「……あながち間違ってないかもね」
チャイムが鳴ってからずっと黙っていた北条が、小さくもはっきりと耳に入る声で呟いた。
「えっ、多賀谷くんって動物なん⁉︎」
「そんな可愛いものだったらいいけどね。あれは自由を求める獣でしょ」
自由を求める獣。それは多賀谷清十郎という自由人を評するのに最適な表現だった。
昔あいつに何度振り回されたことか。それは今でも変わり無いのが逆に安心する。
早乙女は微妙な顔をしながら、ニヒルな笑みを浮かべている北条の顔を覗き込む。
「……紅葉ちゃん、多賀谷くんとなんかあったん? 仲あんまよくない系?」
「別に。ただ昔からあの人のこと見てきて、個人的にそういう印象抱いてるだけ」
昔からそういう性格だから気に留めるだけ無駄。と北条は早乙女に助言するように呟いた。
すると、早乙女はほっとしたように顔を綻ばせて間延びした声を出す。
「あ、そっか〜。紅葉ちゃんと多賀谷くんって同中だっけ〜? ……んじゃあ、佐竹くんも?」
「ああ、そうだな」
「へ〜! じゃああれか、なぎさっちと四人揃って上城に進学したんか〜!」
一人で盛り上がる早乙女の声は口数とともに上擦っていく。
「なんかそれメチャあこがれる! なぎさっちは今回ザンネンだったけど、こうして同中四人でしゅーごーとかさ〜……。なんだかんだで仲良いんじゃ〜ん!」
「…………」
「…………」
「……あ、あれ?」
俺と北条はどちらも早乙女の言葉には反応しなかった。反応できなかった。
再び訪れる沈黙。先ほどよりも重々しい雰囲気が漂っている。
何も言わない北条を視界から外そうと視線を横にずらすと、早乙女が困惑気味な表情で北条のことを見ていた。多賀谷の件からの一連の北条の態度に何か違和感でも感じているのか、ぽかんと開けた口は何か言葉を喋ろうとかすかに動いている。
早乙女のそれが音をなす前に、この沈黙を破ったのは北条だった。
「それで、もう一人の方は?」
「あ、ウン……。……葛西くんは?」
何かを飲み込むように頷いた早乙女は、俺に視線を移して何か情報はないのかと目で訴えてきた。
「葛西からは別の用事が入ったって連絡があった」
「マジか〜。学園には来てるんかね?」
「来てはいるらしいな。体調も万全とは書いてあった」
「ならいっか〜……。多賀谷くんとは連絡先交換してないん?」
「持ってはいるけど……、あいつスマホ持ち歩かないからな」
多賀谷は今の時代には珍しい携帯を持ち歩かないタイプの人間だ。
俺が常々平日の日中ぐらいスマホを持てと何度も言っているのだが、あいつは自分の生活スタイルに干渉されることが嫌らしい。
ならせめて家に居る時に着信が来ていないかぐらい確認しろと文句を言っても、あいつはそれすらも煩わしく感じるようだ。
「はぁ……休み明け初日の会議がこれって、幸先悪すぎでしょ」
俺と早乙女の会話を聞いていた北条が、こめかみを抑えて小さくため息をついた。
「ん〜……まあ今回の会議、せーぞんかくにんメインみたいなとこあっから……。それはダイジョブそだし、二人には後で連絡しよか〜」
俺が連れてきたやつらがこんな調子で申し訳なくなる。でもこんなんでも俺の数少ない友人たちなんだ。
「ああ、それは俺がやる」
「んじゃ、ヨロ〜」
「……まじめに来た私が馬鹿みたい」
「んなことないって! こうやって一緒にやってく人たちと喋んのも大事っしょ!」
早乙女は冷めた表情をしながらぼやく北条を宥めるように、彼女の肩に手を置いて優しくさする。
「でもここんところマジでよかったわ〜。これで紅葉ちゃんも抜けるって言われたら、ウチらゲキヤバだったし〜……ねぇ?」
早乙女が同意を求めるように視線をこちらに寄越す。
「ああ──」
俺がそれに同意するべく口を開こうとした時だった。
「私は人との約束事を反故にはしないから。……平気で取り決めすっぽかす人もいるみたいだけど」
「…………」
俺の言葉は北条によって遮られた。
「まあまあ〜。あの二人にも事情があったんかもしれんしさ〜」
「事情ねぇ……。連絡もよこさないでただ人を待たせるだけの人に、大層な理由があるとは思えないけど」
…………。
「あ〜……」
再三俺の顔を伺う早乙女。
機嫌の悪そうな北条をどう対処するべきか、このまま来るかわからない多賀谷を待って会議を始めなくて良いものか。そんな複雑な感情が宿っている目をしている。
一応この組織のトップは自分となっている。俺が物事の判断をして組織全体の舵取りをしなければいけない。
早乙女が言ったように、今回の会議は休み明けに体調を崩していないか、今後の視察に参加できそうかを確認するために開いている。もちろん他にも連絡事項や情報共有の目的もあるが、それは後日個別に伝達すればいい話だ。
「まあ来ないやつを待ってても仕方がないし、顧問の先生も来れないみたいだから、先に会議を進めておこう」
そう言って俺が自分のカバンから資料を取って、テーブルの上に置くと同時にピコンっと軽快な音が鳴った。
「んー?」
それは早乙女のスマホから鳴ったようだ。早乙女はブレザーのポケットからゴソゴソとスマホを取り出すと、カンカンと爪の音を鳴らせながらそれを操作し始める。
すると、「おぉっ‼︎」と甲高い声を出して、勢いよく立ち上がった。
「──うるさ」
「ちょいちょい! ローホーローホー!」
隣で眉を顰めてさらにピリピリしだす北条には構わず、早乙女は朗報だと騒ぎ立てる。
「ウチが声掛けてた人がさ〜、今から来るって!」
いきなりテンションを最大まで上げた早乙女の、大事な部分を端折った説明では全容を把握できないが、おそらく視察についての話だろう。
「……声掛けてた人って、結城の代わりの人か?」
「そーそー! 昨日スマホの連絡先眺めてたとき、これだっ! って思ってさ〜。やっぱウチ天才じゃね⁈」
「そうか……なら一安心だな。それで、誰を誘ったんだ?」
「クリスマス会でもメチャ頑張ってくれてたし〜、今回も一緒にやれんの地味にうれし〜!」
俺の声はすでに早乙女の耳には入らないらしい。一人で舞い上がっている早乙女を横目に、彼女が言っていたことを頭の中で反芻する。
去年のクリスマス会で頑張っていた。つまり当時運営側にいたうちの一人が、今この会議室に向かっているということだ。
なんだか嫌な予感がする。
当時のクリスマス会の運営は生徒会メンバーと、ボランティアで募った五名で構成されていた。つまり候補となる人物はその五名に絞られる。その中には彼女もいた。
そして、その予感は残酷にも的中してしまう。
唐突にガラガラっと扉が開く音が響く。
「──ご、ごめん……! 遅れちゃった……!」
その声を聞いた瞬間、体の内から熱が冷めていくのを感じた。真冬に外で思いっきり息を吸った時のような、肺が冷気で満たされて体全体を凍りつかせるような感覚だった。
開け放たれた扉の先には、息を切らした様子の少女がいた。
本当に地毛かと疑いたくなるほど艶のある長い黒髪は、彼女のすらっとした佇まいを際立たせている。
華奢に見えてどこか芯の強さを感じさせる雰囲気を纏う彼女は、まごうことなく〝女神様〟だった。
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